お子さんたちに、ただ生きてほしいと想ってる。
わたしには12才以上、年のはなれた
妹がいます
妹は、かつて小学5年生から…
学校へ行くことができなくなりました
おとなと同じように…子どもにも、
こころとからだがあります
学校へ行きたくないきもちの日。
体のぐあいが、なんとなくよくない日。
こども同士のにんげん関係…
数えきれない色々なこころと
からだです…
わたしの妹は、当時その小さな
こころで学校へ行けないじぶんを
責めていたとおもいます…
わたしのお父さんは
「学校には行かないといけない」
って言ってました
お父さんは終戦から10年後くらい?
の生まれで、その固まっている考えを
手放すことは本当にむずかしかった
んだろうとおもいます
わたしは年のはなれたかわいい
妹が学校へ行けなくて、
青白い顔をしているのをみるたびに
こころがぎゅっとして、
お父さんの考えを
ほんとうにそうだろうか、って
おもっていました
もちろん妹が、小学校から学校へ
行けなくなった不安ももっていました
妹の将来への不安です
でもそれ以上に、妹が青白い顔を
してるのが、いつも目にうつり
こんなにまでして行こうとする
学校…の、妹にとって学校へ行く…
その意味が、わたしには見つけられ
ませんでした
妹は、児童精神科に通院したり
入院することになりました
そのあとに頭が良くてきびしいはずの
お父さんは、わたしや妹に
「ただ、テレビを見てわらっている
だけでいいんだよ」
っていいました
このことばは、子どもへ
ただ生きてるだけでいい、
そして出来ればわらっていてほしい
というお父さんの想いの表れ
だったかなぁと思います
わたしまできもちが楽になったのと、
お父さんからこんなことばが出る
とは思わず、20年近く前の
ことなのにいまだ覚えています
お父さんは、固まっている考えを
手放しました
これは、お父さんも大きな勇気が
いることだったとおもいます
でも、お父さんはそれ以上に
大切な想いを見つけたとおもいます
子どもにただ、生きてほしい想いです
お父さんも、かわいい子どもの(妹)
つらい様子を見るたびに、なやみながら
このような考えに少しずつ…なって
いったんだとおもいます
その想いにいたるまでの道のりは、
お父さんにとって、果てしなく遠かった
とおもいます
でもそれからは、おうちのピリピリ
していた空気が、沈んだ空気が
やさしくなりました
そのときくらいからです…
妹は、中学校でほけんしつ登校を
始めました
親やおねえちゃん達のしんぱいを
よそに高校では、本当にじゆうな
私立の高校に通い、ギリギリですが
卒業しました
これは、うちの妹のペースであり、
お子さんには、お子さんの数だけ
それぞれのペースがあるとおもってます
わたしの子どもは
生まれてすぐに
NICUに入院しました
こぼれて失いかけた
うちのこどものいのち…
こどもにはただ、生きてほしいと
それだけをおもいました
そのときの想いを、わたしは子どもが
NICUに入院したというショックとともにいまもなお、持ちつづけていて、
これからも、その当時の
深いショックとともに
この「こどもにただ、生きてほしい…」
想いは消えません…
人は、失いそうになって初めて、
やっと大切な想いに気づくときが
あります
お父さん、お母さんは
じぶんの我が子が産まれたとき
我が子がこの世界に産まれた
ことをただ喜び、
その産まれたばかりの小さくて
何も出来ない我が子にただ、
生きてほしい…とだけ、願ったと
おもいます
わたしはこどもが成長していっても
こどもが産まれたときの、
「こどもにただ、生きてほしい…」
その大切な想いを、どうか忘れない
でいてくれたらいいなとおもってます
わたしのこの想いは、大人の方にも
通じていて
「あなたにただ、生きてほしい」
っておんなじように想っています
わたしは、大切な想いだとおもってます
読んでいただいて、
ありがとうございました🐱
