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欲望と絶望の交差点、それが水道橋。

水道橋という駅を、単なる「交通の要所」や「ドームへの玄関口」として捉えるのは、あまりに解像度が低すぎます。あそこは、東京都千代田区と文京区の境界線上にぽっかり空いた「人生のバグ」であり、全人類の欲望と絶望が煮凝り(にこごり)になった巨大なサラダボウルなのです。

Noteの企画「私のスキな駅」に寄せて、このカオスな聖域について筆を執ってみます。

様々な人が行き交う水道橋駅

属性が殴り合う、欲望のモザイクタイル

水道橋駅の改札を抜けた瞬間、鼻腔を突くのは「揚げ物の油」と「勝負師たちの加齢臭」、そして「夢を見る若者たちの青臭いアドレナリン」が混ざり合った、なんとも形容しがたい匂いです。

この駅ほど、人間の属性という名のカードをデタラメにシャッフルし、無理やり一枚の絵に収めた場所はありません。
ある10月の日曜日を切り取ってみましょう。

東京ドームではアイドルの「大運動会」が開催され、瞳をキラキラさせた中高生たちが、自作のうちわやペンライトを武器に集結します。
彼女たちにとって、ここは「約束の地」。
推しの汗が聖水へと昇華し、一挙手一投足に命を懸ける神聖な場所です。

しかし、視線を数度ずらせば、そこには「もう一つの勝負」に魂を削る男たちがいます。
ウインズ後楽園(場外馬券売り場)へと吸い込まれていく、ワンカップを片手に、歯の隙間から「一攫千金」という名の空気を漏らすおじさまたち。
その耳には赤鉛筆、手には手垢で黒ずんだ競馬新聞。

ここで、絶妙に噛み合わない不条理な構図が完成します。

「おじさん、チケット余ってる?」という絶望のマッチング

今から20年前、まだ駅周辺にダフ屋という絶滅危惧種が跋扈(ばっこ)していた頃の光景を思い出します。
チケットを取れなかった中高生が、藁をも縋る思いで、競馬新聞を広げたおじさんに「チケット買います」と書いた段ボールを掲げ、必死の形相で声をかけるのです。

「おじさん、チケット余ってない?」

このマッチングの、眩暈がするほどの噛み合わなさ。
アイドルファンの少女: 夢と希望とキラキラの具現化
競馬新聞のおじさん: 現実と万馬券と絶望の化身

交わるはずのない平行線が、水道橋という特異点においてのみ交差する。
おじさんは「馬体重や毛ズヤ」の話しかしていないのに、少女は「推しの立ち位置」を気にしている。
言語体系が全く異なるのに、同じアスファルトの上で、何らかの奇跡を信じて言葉を交わしている。
このシュールな光景こそ、水道橋の真骨頂といえるでしょう。

野球ファンが「優等生」に見える異常事態

通常、プロ野球の試合、特に「巨人対阪神」の伝統の一戦ともなれば、街の緊張感は高まるものです。
縦縞のユニフォームを身にまとい、メガホンを叩きながら怪気炎を上げる阪神ファンは、他の街では間違いなく「動乱の主役」でしょう。

しかし、ここ水道橋において、彼らは驚くほど「行儀のいい優等生」に見えてしまいます。

なぜなら、彼らには「ルールのある勝負」と「帰るべき場所」があるからです。
九回裏が終われば、勝敗がどうあれ彼らは駅へと整列し、秩序を守って電車に乗る。
水道橋に渦巻く他の住人たちに比べれば、彼らの熱狂など、計算された規律の中にあります。

彼らの横を通り過ぎるのは、後楽園ホールでの日本タイトルマッチを終えたばかりの、チャレンジャーを応援しに来たヤンキー軍団。
殺気立った彼らの視線の先には、チャンピオンの端正な顔立ちを愛でるために集まった、美容液の香りを漂わせる女性ファンたちがいます。

みんな違って、みんないい???

さらにその隣のプリズムホールで「着物の大商談会」でも開催されていれば、三越の紙袋を提げたハイソな貴婦人たちが、百戦錬磨のヤンキーと肩を並べて信号待ちをする。

「殴り合って鼻血を出す男」を叫んで応援する若者と、 「一反数十万円の布」を静かに吟味しに来た夫人。

この二組が、同じ横断歩道で、同じ赤信号に止められている。
この場所は、異なる階層のオーラが絶え間なく正面衝突を起こしている交差点なのです。

文京区の顔をして紛れ込む「知性」の影

さらにこの混沌を複雑にしているのが、アカデミズムの存在です。
神田川を渡った先、文京区側には中央大学のキャンパスが鎮座しています。彼らは「ここは文京区、つまり文教地区ですよ」という涼しげな顔をして、物理の学術書を小脇に抱え、この欲望の渦をすり抜けていきます。

しかし、冷静に考えてみてください。
その「知性」のすぐ裏側では、同じ文京区のアドレスで、万馬券に人生を賭ける男たちが咆哮を上げ、ボクサーたちが肉体を削り、アイドルが歌い踊っているのです。

文京区という「お上品な肩書き」を盾に、これほどまでの業(ごう)を飲み込んでいるエリアが他にあるでしょうか。
中央大学の学生たちが、どれほど優等生的に振る舞おうとも、この駅の放つ「負けの匂い」と「狂騒の熱」からは逃げられません。
むしろ、そのギャップがこの街の歪な魅力を引き立てているのです。

悲喜こもごも、神田川の「上」と「下」

さらに水道橋の残酷かつ滑稽なところは、その「垂直方向」にまで及ぶコントラストです。

ある日、神田川にかかる橋の上では、勝負に敗れ、あるいは人生に疲れ果てた男が、酒の空き瓶を枕に泥睡しています。
昨日の夢を追いかけ、今日すべてを失った「夢の跡」。

しかし、その男の視界の端を、あるいはその数メートル下を、皇居周辺から流れてきた意識の高いランナーたちが、最新の機能性ウェアに身を包んで「健康」という名の正義を掲げ、軽快な足取りで走り抜けていく。

橋の上: 立ち止まり、沈殿し、腐敗していく人生
橋の下: 前進し、燃焼し、再生していく人生

この、まるで「天国と地獄」を1フレームに無理やり収めたような、ルネサンス絵画も真っ青な構図。
これを誰が演出したわけでもなく、ただの日常の風景として垂れ流しているのが、水道橋という街の凄みです。

ここは一種の「自意識のデトックス会場」なのかもしれません。
自分がどれだけ高尚な悩みを持っていようと、あるいはどれだけ気取っていようと、水道橋に降り立てば誰もが「剥き出しの欲望」の一片に過ぎない。

アイドルのうちわを持っていようが、競馬新聞を丸めていようが、生物工学の論文を読んでいようが、皆等しく「何かを欲し、何かに飢えている人間」として、この街の混沌に等価に飲み込まれていく。
その潔さが、妙に心地よいのです。

それでも、私は深呼吸ができない

『笑点』の収録に訪れる、平和の象徴のようなおじいちゃん・おばあちゃん。 海外ロックバンドの来日公演で、革ジャンを羽織り「反逆」を気取るロッカーたち。

万馬券を夢見る人と、万馬券に夢を壊された人。
夢を売るアイドルと、夢を買いに来るファン。
そして、そのすべてを無慈悲に、かつ寛容に受け入れながら、茶色く濁って流れる神田川。

人々の感情をすべて飲み込む神田川

水道橋という駅は、決して綺麗ではありません(昔のことですよ)。
でも、ここには人間が文明の裏側に隠し持っている、剥き出しの生命力がすべて展示されています。
綺麗事だけで生きていくのに疲れ、誰の目も気にせずドロドロの自分を晒したいとき、私は水道橋のホームに立ち、このモザイク模様を眺めます。
すると、「ああ、人間ってこんなにバラバラで、こんなに勝手で、それでいて同じ場所で呼吸しているんだな」と、少しだけ救われた気持ちになるのです。

……と、ここまで美談のように綴ってきましたが、最後に一つだけ白状しなければなりません。

私はこの駅で、大きく深呼吸をすることができません。

揚げ物の匂い、酒の匂い、ギャンブラーの体臭、ヤンキーのポマード、貴婦人の香水、おじいさん・おばあさんの加齢臭、そして中高生の思春期の分泌物。

これらが複雑怪奇に、かつ重層的に混ざり合ったこの駅の濃密な空気を、肺の奥まで吸い込めるほど、私は人生を達観できてはいませんし、何より生理的にも、やはり、どうしても、絶対に厳しいのです。

愛してはいるけれど、決して深くは吸い込めない。
そんな絶妙なディスタンスを含めて、私はこの、人生のるつぼのような水道橋という駅が、たまらなくスキなのです。


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