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🊢人民に愛されたKINI ルヌトノィヒ2䞖🊢矎の極みの城〜ヘレンキムれヌ城、リンダヌホヌフ城〜埌線

 今日、6月13日はルヌトノィヒ2䞖の呜日だ。
呜日を前に、先月、王が最埌に建おた城ぞ旅したこずも䜕かの瞁かもしれない、ず決めおこの前この旅行蚘を曞くこずに決めたのだった。
 ルヌトノィヒ2䞖に関する資料は、日本に党郚眮いおきおしたった。手元にあるのは、芳光客向けの城に関する図譜のみ。
 これたで読んできた曞物や資料を思い起こしながら曞くのでは無謀ずも思ったけれど、ドむツにいる今、曞いおおかなければ、ずいう思いが匷く、雑駁にはなろうが、旅行蚘の䞀぀ずしお曞くこずにした。
 人物の名前や時期の確認だけでもしようず怜玢をしおみおも、情報はごく僅かであるこずに驚く。私の曞きたい郚分はたず芋぀からない。
 蚘憶の断片を探り探り曞き起こすこずにする。


 4〜月、連䌑が䜕回かあるので、小旅行向きの時期だ。行き先はい぀ものように倫が決めたのだが、シシィずルヌトノィヒ関連の行き先は、明らかに私の興味関心に合わせおいる。圓然、車䞭の䌚話は、私の蘊蓄を披露するこずずなる。
 時折、ナビの案内がわかりにくい時だけ、
「ちょっず黙っおいお」ず蚀われるが、それ以倖は喋りっぱなし。

 前線で曞いたヘレンキムれヌ城、そしおこの埌線のリンダヌホヌフ城には共通点がある。車を利甚する以倖、その堎所は実に行きづらいのである。 
 この城を目的ずする芳光でなら問題ないだろうが、限られた日数の䞭であちらこちらの街を蚪れたい人には、行くのが難しい堎所ず蚀える。

 ノむシュバンシュタむン城の堎合は、最寄りの駅たで電車で移動しお、そこからタクシヌに乗れば、比范的楜に到着できるただし、ノむシュバンシュタむン城も村に着いおからは、専甚シャトルバス狭い曲がりくねった山道をかなりのスピヌドで突っ走るで山の䞊たで行く必芁があるが、バスの本数は倚い。たた、谷を挟んで城を眺められるマリ゚ン橋の近くでバスを降りおから、 城たでは䞋り道を埒歩で20分ほど必芁。城の芋孊の予玄時間に間に合うように、せっせず歩いお行かなければならない。

 ヘレンキムれヌ城ぞは、電車を乗り継げば就航船の船着堎たで行かれる。ここだけでも面倒な道のりであるし、曎に船は1時間に䞀本だ。
 島に枡っおからも、埒歩か銬車で城たで移動するのに15〜20分くらいは必芁であるので、城の予玄時間に間に合うように行くには、䜙裕を持っお到着する必芁がある。

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 さお、リンダヌホヌフ城は『春の居心地の良い庭』ずいう意味を持぀。グラヌスノァング・タヌルの人里離れた山の䞭にある。近隣の村に到着しおも、城ぞの路線バスはなく、そこから曎に山に向かっお車で20分以䞊かかる。
 駐車堎から䞊り坂を数分歩き、チケット匕換堎所からも䞘を䞊ったり䞋ったり、10分以䞊歩かないず城の姿は党く芋えおこない。
 こちらも入堎チケットは事前予玄が必芁で、城内は30分毎のツァヌガむドの案内なので、こちらも時間調敎は必芁だ。

 この䞉぀の城ぞ向かうには、車以倖の芳光客は倧抵
ツァヌを利甚する。
 比范的行きやすく、たた最も名を知られたノむシュバンシュタむン城には、日本人やC囜の団䜓芳光客が倧倉倚いけれども、このリンダヌホヌフ城では、私が蚪れた折には、党く䌚うこずもなかった。
 C囜の団䜓旅行の人々が珟れないこずで、この城がいかに行きづらい堎所であるかがよくわかる。

 チケット売り堎から城に向かっお進むず、颚光明媚な自然の景色が広がる。森に囲たれおいるので、なかなか城は珟れない。
 ルヌトノィヒ2䞖が、城の堎所ずしお遞んだこの森や䞘は、王の望みの静寂さず、地圢を掻かした自然ずの調和を楜しめる最適な堎所であったのだろう。
 ここは元々、父王マクシミリアン1䞖の狩り甚の小屋のあった土地で、王は1869幎に呚蟺の土地を買い入れた。

 この「ケヌニッヒス・ノィラ王の別邞」ず蚀える城は1870幎より8幎の歳月をかけお造られ、王の生存䞭に完成した。
 城建蚭の目的は『隠遁甚」ずいう私的なものであり、王が特に奜んだ滞圚地であったずいわれる。
 


城正面、ファサヌド、噎氎の池

 隠遁甚ずいうこずで、他の城に比べおごく小ぶりな造りであるが、庭園も含めた城党䜓が背景の山や森の景色ず調和し、優矎で矎しい。
 噎氎は花ず矎の女神フロヌラを䞭心ずする金色の矀像から、高さ30mの氎柱が立぀。


城ず庭園を眺められるテラス
マリヌ・アントワネット像
 テラス最䞊階からの眺め

 早目に到着したので、予玄時間たで庭園を散策する。テラス最䞊階たでは距離もあり、階段が続くので、ゆっくり散策するのがお勧め。
 
 この城はワンコも抱っこしたたたなら入城可胜であるずいうこずで、初めお倫ず䞀緒に芋孊したのだった。
 ツァヌガむドは英語。他の蚀語が必芁な人は資料を、ずいうこずで、今回もプリント資料をもらおうず頌んだら、ファむルに入った貞し出しであった。犬ずファむルを抱えながらの芋孊は案倖キツく、結局ファむルは開くこずなく、ガむドの話のみに集䞭する。

 15名ほどの予玄メンバヌが揃ったずころで入堎する。

 なお、こちらも城内の撮圱は䞀切犁止ずなっおいる。
その為、城、他の斜蚭の内郚の写真は、城のガむドブックからお借りした。

⚫BurgenfÃŒhrer   FOTOVERLAG HUBER より

城入り口ホヌル

 èµ€å€§ç†çŸ³ã®å††æŸ±ãŒäžŠã¶å…¥ã‚Šå£ãƒ›ãƒŒãƒ«ã«ã¯äž­å€®ã«ãƒ•ランス囜王ルむ14䞖の階銬像、倩井には、ブルボン家のモットヌがラテン語で曞かれおおり、黄金の光茪に瞁取られおいる。芋䞊げた倩井の煌めきに思わず皆から声が䞊がった。
“Nec Pluribus Impar 即ち、誰よりも尊倧なるべき”

 これはブルボン家から出た代々のフランス囜王に察する、敬意を瀺したものである。
 バむ゚ルン王囜ずフランスずは、フランスの埌の君䞻 ルむ16䞖が、王の祖父ルヌトノィヒ1䞖の掗瀌芪ずいう関係性もある。

ちなみにルヌトノィヒ2䞖の名前は、オットヌ・ルヌトノィヒ・ノィルヘルムであり、圓初は王家で最も重みがあるオットヌず呌ばれたが、その埌、祖父の望みでルヌトノィヒを先行したず蚀われおいる

 こうした経緯は別にしお、ルヌトノィヒ2䞖は、倪陜王ルむ14䞖を『厇高な絶察的な王囜の暩化』ず捉え、たた「その霊的継承者は自己である」ず受け止めおいたずいう。

前線のヘレンキムれヌ城は、本文に述べたように、ルむ14䞖を讃える為に建蚭された城であり、王の䞭では、『この城はルむ14䞖のものであり、自分はそこに間借りしおいる䜏人である』ずいうような意識を持っおいたずいう

 ホヌルの䞡偎には扉が党郚で四぀あり、偎近、埓者の為の郚屋が造られおいるずの説明。ただしこちらは芋るこずはできない。

西ゎブラン郚屋  音楜宀ずしお䜿われた

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謁芋宀


 金色の燭台や調床品、壁の装食、たたビロヌドのカヌテンに金糞の刺繍。
 ヘレンキムれヌ城、リンダヌホヌフ城共に、装食過倚ず思うほど、空癜の郚分は存圚しない。絢爛豪華な壁や倩井の装食に満ちおいる。
実際、ここを芋孊しおしたうず、他の城は地味過ぎお、閑散ずした様子に芋えおしたう

王の寝宀

 城䞭心郚の最も広い郚屋。化粧挆喰や倩井画は叀代ギリシャ、ロヌマ神話が描かれおいる。
 王䜍を象城する寝台、倩蓋の青が鮮やかだ。ベッドのビロヌドには党䜓に金糞の刺繍がされる予定であったそうだが、バむ゚ルン柄の刺繍以倖は未完ずなったずいう説明であった。

王の曎衣宀

 描かれおいるのは、フランスの宮廷人。ここにもデュ・バリヌ倫人ルむ15䞖の愛功の絵があった。

食事宀

 郚屋は楕円圢で、金色の装食の䞭に、赀を効かせた配色。
 ヘレンキムれヌ城同様、食卓の郚分の床が昇降可胜な造りになっおいお、料理は䞋の階でテヌブルに準備される。
 人嫌いの王が䞀人で萜ち着いお食事できる為に造られた装眮だ。
 シャンデリアはマむセン補。草花が緻密にデザむンされた同じくマむセンの陶磁噚の食り鉢が食卓に眮かれおいる。


鏡の間 カヌテンで仕切られたニヌシェ郚分
鏡の間

 最も華矎な広間。18䞖玀にドむツの城で流行した『郚屋面鏡匵り』ずなっおおり、絢爛豪華。鏡の呚囲も金色の装食がなされおいる。
 向かい合わせの鏡がそれぞれを写し合い、鏡に映る郚屋の光景は無限に続いおいく。

 郚屋の䞀角が奥たった構造になっおおり、ニヌシェず呌ばれる。カヌテンで仕切るこずもでき、青い゜ファに座り、王はこの無限に拡がる鏡の䞭の䞖界を芋ながら想像に耜った。


東ゎブラン郚屋 西偎の郚屋ず察になっおいる

 ギリシャ神話の人物や堎面の絵画が芋られる。西ゎブラン郚屋ず同じ、孔雀の眮物が矎しい。

 ヘレンキムれヌ城に比べお郚屋数が少ないのにも関わらず、䞀郚屋䞀郚屋があたりに凝った豪華な造りである為、芋孊を終えるずほが同じような感芚であった。


 城を出お裏偎は、西偎の庭園が広がる。

城の西偎庭園


 城の埌方、山腹のかなり傟斜のき぀い坂を数分䞊り続けるず、掞窟の岩の入り口が珟れる。こちらも時間毎に集たった人を匕き連れ、ガむドが案内する。

掞窟入り口

 入り口から10メヌトルほど進む。この時代に、しかもこの山腹に人工ずは思えない、粟巧な鍟乳掞が造られおいる。
 曎に奥に進むず、池のある広い空間に出る。

ノィヌナス掞窟

 タンホむザヌに描かれた、ノィヌナス山の堎面が再珟された内郚ずなっおいる。右偎の絵はノィヌナスの胞䞭にあるタンホむザヌ。 
 この案内の時、《タンホむザヌ》の曲が流されおいた。掞窟であるので反響も独特で迫力があり、この光景を眺めながら聎くタンホむザヌは倢の䞖界のような荘厳さに満ちおいた。

 池は、この時代の新技術である発電機によっお氎䞭が様々な色でラむトアップされおおり、右偎の厖の䞊からは滝が流れ萜ちる。たるでディズニヌランドのアトラクションのようだ、ず思っおしたった。

 シンデレラ城のモデルずなったノむシュバンシュタむン城ずいい、りォルト・ディズニヌは倧いにこの掞窟も参考にしたこずだろう。
 この時代に、電気を䜿ったこのような斜蚭が造られおいたずは?!

 王の倢の䞖界を曎に挔出しおいる郚分もある。
 池の反察偎は、メヌトルほどの高さのテラス状の郚分がある。そこたで䞊れるヘアピンカヌブ状のゎツゎツした岩山の通路があり、その高い䜍眮に金の装食の王座が蚭られおいた。
 王は䞀人そこに座り、掞窟内の光景を芋枡しお楜しんだずいう。

 しばらくボヌトが浮かべられた池の景色を楜しみ、鍟乳掞の䞖界を眺めながら、出口に向かった。
 池を離れた埌、通路を進むず、10メヌトル皋で倖に出おしたうので、『したった!もう少し䞭ににいれば良かった』ず感じる人が倚いようで、出口呚蟺は名残惜しそうにしおいる人が䜕人も。再入堎は犁止である。

䞀旊出ちゃったんだけど、もう少し芋たかったわ〜
掞窟の先の道を進む
もっず奥たで遊歩道は続いおいる

数癟メヌトル先に建造物が芋える。

ムヌア匏園亭


 ムヌア人の建築様匏。王はオリ゚ント文化に愛着を持っおおり、異囜颚の趣向を床々取り入れおいる。
 䞭倮のムヌア匏噎氎、ランタン、喫煙甚の机が配眮されおおり、長い氎煙管でチヌブク・タバコを吞い、異囜情緒を味わったずいう。
 䞭は柵越しに芗けるが入堎䞍可。

3匹の孔雀


教䌚

 ルヌトノィヒは信仰心が匷く、ミサなどにも必ず参加しおいたずいう。
 この城内にも小さな教䌚を蚭けた。
 入堎䞍可。


森の䞭の遊歩道をたた数癟メヌトル歩き、再び城正面ぞ。

 䞀呚しお戻っおくるのに3キロほど歩いた。実際は遊歩道はただ先たで続いおいお、もう少し先たで散歩できる。掞窟ぞの䞊り坂が本圓にキツかった‥

城正面向かっお巊偎に眮かれおいる倧花瓶

 このマゞョリカ颚の倧花瓶は、ミュンヘンのニンフェンブルク城埡甚達の磁噚補造堎で制䜜された。

モロッコ通

 城からチケット売り堎方面に戻る小埄を少し䞊るず、いく぀かの建物が芋孊できる。
1878幎パリ䞇囜博芧䌚の売店甚に蚭蚈された建物がルヌトノィヒに買い䞊げられ蚭眮された。内装は王の奜んだオリ゚ント様匏を組み蟌み、造り盎された。


゜リに乗った王の雪䞭倜行の図

 城内斜蚭に展瀺されおいる。
 雪に埋もれたリンダヌホヌフの倜の庭園。
 王は、金塗りの豪華な゜リに乗っおいる。ロココ颚のカツラに䞉角垜の正装した臣䞋たち。

 森の䞭の道をたた抜けお、リンダヌホヌフ城を埌にする。チケット売り堎近くの芝生の奥の方にルヌトノィヒ2䞖の胞像がある。
 そこたで距離があった為、衚情たでは確認できなかったが、胞像に挚拶しお、城を埌にした。


ルヌトノィヒ2䞖像


 ヘレンキムれヌ城は未完成の郚分もあるが、䞻芁な郚分は完成しおおり、その郚屋だけでも十分芋応えがあったら。たた、このリンダヌホヌフ城は完成しおいる。
 ノむシュバンシュタむン城も含め、この城の数々の芋事さは、他に類を芋ない。
 想像を遥かに超えたルヌトノィヒ2䞖の矎意識を実感できた。実際の斜工者は、予算に頭を悩たせ぀぀、王の期埅に応えるべく奮闘したのだ。


 この王が建蚭した数々の城の投資的䟡倀を、䜕故政府は予枬しなかったのだろうか。政治家たちは、城にたるで興味を向けなかったずいう。
 即䜍埌、たもなく起きたワヌグナヌ問題で玛糟したあたりから、若き王のするこずに察しおの反察掟ず擁護掟が出来䞊がっおいたのだ。
 芏暡的にも、予算的にも、将来的な䜿い道にしおも、どう考えおも、囜家的プロゞェクトであっおしかるべき斜蚭だ。

 祖父ルヌトノィヒ䞖は囜立劇堎、アルテピナコテヌク・ノむ゚ピナコテヌク二぀の矎術通を建蚭し、展瀺甚矎術品を収集しおいるが、それは圓然ながら囜家予算で行った事業であった。
 城の予算に関しおは、囜家事業ずしお財務倧臣も䞀旊は考慮したものの、結局は倉わり者の王の趣味なのだから、建蚭は王宀費私財で、ず決定された。
 王はその埌亡くなるたで、莫倧な金の問題で頭を悩たせた。この時ばかりは心配した母マリヌが、自分の宝石類を提䟛するず申し出るも、王は断ったずいう。
 
 この時、バむ゚ルン王囜ずその王の将来を鑑みお、囜の予算ず展望、資産的䟡倀評䟡等、先を芋通せる、財務の本圓の意味でのプロ、投資家、経営者目線で未来を語り、アドバむスできる人物が存圚しおいたのなら、王も政府も玍埗できる解決を芋出せたのではないだろうか。



 もし歊智氏がバむ゚ルン王囜の財務倧臣でいらしたずしたら、この王ず政府の決定ず、バむ゚ルンの経枈をどう刀断されるこずだろう。


 
【䞀から囜家予算で建蚭を考える条件】
①王の死埌、残された借金は4幎分の王宀費私費であった。
 王は囜の財政を傟けお、城造りにう぀぀を抜かしたわけではない
ヘレンキムれヌ城に関しおは、森林資源の保護ずいう目的もあっおの賌入であった為、圓初は財務倧臣が「たっ、囜でやっおもギリOK」ず刀断しおいたが、結局 王が支払った。

王の私財の額は䞍明🙇‍♀

②ルヌトノィヒ2䞖の建造物は、矎しいドむツの颚景の䞭にあるロマン掟掟叀兞䞻矩建築ずしお再評䟡が高たり、歎代王の䞭でも最も効果的な業瞟を残したず蚀われおいる。
 幎間の参芳者は130䞇人を遥かに超える。

 さあ、もし歊智様が財務倧臣だったらどんなご刀断を?

 
✚🊢✚🏰✚🊢✚🏰✚🊢✚🏰✚🊢✚


【投皿埌の裏話】
ず、䞊蚘のように曞いたずころ、投皿埌たもなくロサンれルス時間差で13日䞭、ずご自身の締切たで考慮しおくださった䞊で、歊智倫倪郎様がお題の回答のような圢で投皿をなさった。

 私のこの本文よりも面癜いものを曞かれるのはいかがなものかず思うが、ルヌトノィヒ2䞖を救い、バむ゚ルン政府の経枈に察しおの明快な解決策をご教授いただいた。胞のすく思いである。
 お読みいただいおいる皆様には、是非私の蚘事を差し眮いおでもお読みいただきたい。



🊢ルヌトノィヒの謎の出自〜謎の死🊢

 前線でも觊れたように、幌少期より父王に厳しいスパルタ教育を受け、母マリヌは子育おに党く無関心であった。圓時は乳母が生埌6ヶ月の時に急死しお、しばらく授乳がなされず、ルヌトノィヒが痩せ衰え、発熱した時も䞡芪は旅行䞭であった。
 その埌の乳母はルヌトノィヒに献身的に䜿え、母のように接し、ルヌトノィヒも安らぎを埗たが、9歳の時に解雇されおしたう。
 その埌は教育係がやっおきおスパルタ教育が始たるのだ。

 䞡芪に愛されないトラりマは、その埌の王の人生に暗い圱を萜ずす。匟のオットヌにしおも、埌に深刻な粟神的状態に陥る。
 芪ずの関わりによるトラりマはこの時代に限るこずはない。しかし、圓時の粟神医孊は圌の蝕たれた心を癒すようなものではなく、『䞀人でいたい』ずいう圌の願いや倢は、埌に粟神異垞の刀定の䞀぀ずしお捉えられおいく。
 この時代の粟神孊はただ遅れおおり、刀断基準も珟代では考えられない曖昧さである。
 医垫が『狂っおいる』ず䞀旊刀断したら、長く隔離されおしたい、それにより死を迎えるようなケヌスがおおかったずいう。

 この時代に、Uさんのようなトラりマ専門の臚床心理士が、王の偎近ずしお心をほぐしおくれたなら、王が生涯抱え続けた苊悩は、どれだけ軜枛されただろう。

 王のように䞡芪から愛されず、王䜍継承者ずしおのプレッシャヌを垞にかかえ、極端に制限された厳しい環境䞋に眮かれ、䞀日䞭人に囲たれお息の詰たる生掻を続ける。その䞊呚囲に理解者がいなければ、王は自分の䞖界に入り蟌むくらいしか逃げ堎はないではないか。



 この物語は、Uさんが臚床心理士ずしお関わられた実䜓隓に基づいお創䜜されたずのこず。芪からの虐埅やネグレクトで心に傷を負った子䟛たちが、その埌眮かれた環境で、枩かい人に出䌚い、癒されおいく姿が描かれる。
 『ひかりがひかる』〜ルヌトノィヒ線〜がもし存圚したら、そこで救われるルヌトノィヒの姿を芋おみたいものだ。
 幌い頃受けた「王暩神授説」の教育に名を借りた虐埅。『このトラりマを解決しおくれるのは、やはり人なのだ』ず王は知るこずになるだろう。


⚫幌少期のルヌトノィヒ2侖
 さお王の幌少期の日々の過ごし方である。
 教育の基本はマクシミリアン䞖が決めたもので、信仰ず知識を王族の矩務ずした。
 父王マクシミリアン䞖もそれを螏襲した。そしお息子たちには、嫌がらせのように自分が受けた以䞊の厳しさを䞎えた。
 日課は毎朝5時半起床、ラテン語の勉匷、朝食、ギリシャ語、数孊、昌食䞭はラテン語ずドむツ語の朗読を聞きながら、昌食の埌は䌑憩だが、祖父母など身内に挚拶に行く。午埌はドむツ語、宗教、地理、歎史、䜜文、音楜等。その埌倕食、お祈りず続き、倜8時たで続いた。土日のいずれかが歊術などスポヌツ。これが10歳の子どもの毎日であるずは!

 ルヌトノィヒやオットヌの郚屋には厳冬でも火は入れられず、食事も極端に質玠にさせられた。食事に関しおは、それが高い身分の貎族の子どもの育お方ず考えられおいた。マクシミリアン2䞖の厳しさを芋かねお、䟍女が自分の食べ物を分け䞎えおいたずいう。
 殆ど虐埅である。父王からの䜓眰もあったず偎近や䟍女の蚘録が残っおいるずいう。
 父王は単に王䜍継承者であるからず、息子に厳しくしおいたずは蚀えないようだ。埌述する。

 王は䞀人になりたかった。自由になれたのは就寝時だけだから、読曞も倜だ。
 寝宀にいる時は誰の邪魔もされない、想像の翌を広げ、空想し、劖粟たちず共に過ごす倢の䞖界、父王も教育係もいない、ルヌトノィヒだけの最も安らげる時間であった。
 王はシェむクスピアや、シラヌ、ゲヌテを読み、戯曲を暗唱し、自らの立堎以倖になるこずを想像した。
 䞀日䞭人に囲たれおいたから、䞀人の時間が倧切であった。

 15歳でルヌトノィヒは初めおリヒャルト・ワヌグナヌの《ロヌ゚ングリン》を芳お感動する。元々9歳たで䞖話をしおくれた乳母から、ロヌ゚ングリンの物語を聞かせおもらい、高朔な心を持぀癜鳥の階士を倢芋るようになる。
 その埌もタンホむザヌを暗蚘したり、ワグナヌの本を読み続ける。

 この頃、ルヌトノィヒは自分の出生の秘密を偎近などから聞かされ、知るようになっおいた。
「父王からあたりの扱いを受けおいるのは、血を分けた父芪ではないからなのだ」ず。

 ロヌ゚ングリンの䞭で、癜鳥の階士は語る。
「私の名も玠性も聞いおはならない。誓いを砎るず、私は消えなくおはならない」
ルヌトノィヒは、玠性を知った途端に党おの幞せが消えおしたうロヌ゚ングリンず、自分の玠性を重ね合わせお考えたようだ。


  父王の急死により、ルヌトノィヒ2䞖は18歳で王䜍に就く。ただ倧孊に入った䞀幎目である。哲孊や科孊、歎史や宗教、孊びたいこずはただ山のようにあったにも関わらず。ルヌトノィヒは、匕き続き倧孊で孊べなかったこずを生涯悔やむこずになる。
 
 王は王䜍継承埌、王ずしおの䜿呜を果たすこずに誠意努力し、数幎で王ずしおふさわしい颚栌を備えおいった。ただ若いから囜王ずしおは‥ず甘く考えおいた呚囲は驚いた。王は真面目で博識、完璧に執務をこなし続けたのだった。
 若く矎しい王は皆の泚目を济びた。そしおこの幎、運呜の出䌚いが起こる。そうワヌグナヌずの出䌚いである。


⚫ワヌグナヌ珟る

   ãƒ¯ãƒŒã‚°ãƒŠãƒŒã¯ãƒ‰ãƒ¬ã‚¹ãƒ‡ãƒ³ã§äž‰æœˆé©å‘œã«å‚加し、政治犯ずしお指名手配者ずなっおいた。債暩者ず治安譊察から逃げお スむスに萜ち延びおいた。
 この時、バむ゚ルンの王宀秘曞官長は王の呜什でオヌストリアやスむスにワヌグナヌを探しに出かけおいた。
 ずうずうスむスでワヌグナヌを芋぀ける。ミュンヘンぞの切笊代すら払えなかった借金たみれのワヌグナヌは、この日から経枈的に救われるこずずなったのだった。
 この時、ルヌトノィヒは18歳、ワヌグナヌは50歳である。王は憧れるワヌグナヌの䞭に父芪や垫を求めた。


 ワヌグナヌに王は玔粋にワヌグナヌの音楜を愛し、敬愛した。わずか18歳で、ワヌグナヌの才胜を読み取っおいたのだ。これだけでも、いかに芞術に察する先芋の明があるかがわかる。

 ワヌグナヌは王の庇護を受け、オペラを䜜り、総譜をルヌトノィヒに献䞊するこずず匕き換えに安泰した生掻を埗た。ルヌトノィヒの厇拝を利甚しお、生涯の金づるを埗たのだ。
 
 王はワヌグナヌの借金の返枈をした䞊、囜の圹人の䜕十倍もの収入を保蚌し、『ニヌベルンゲンの指茪』を仕䞊げるこずを条件に前金を枡した。
 その埌ワヌグナヌの莅沢な生掻は垞識を超え、お金の芁求が曎に高たる。圓たり前のように2000䞇くらいのお金を芁求するようになっおいくのだ。

 王の敬愛が深たれば深たるほど、呚囲はその熱䞭ぶりに呆れ始める。ワヌグナヌはマクシミリアン通りに豪奢な家を䞎えられ、莅沢䞉昧の日々を過ごしおいたのだった。

 おたけに、フランツ・リストワヌグナヌずは友人関係の嚘、24歳幎䞋の人劻コゞマず䞍倫関係になっおいく。
 ワヌグナヌず知り合ったこずで、ルヌトノィヒの芞術ぞの想いは満たされおも、次第に䞍遜な態床を取り始めるワヌグナヌは政治にたで口を出し始め、これもたた政府からの批刀が高たっおいく。
 ワヌグナヌは王に父芪のような優しさを芋せながら、同時にルヌトノィヒを操っおバむ゚ルンの統治者であるような振る舞いをするようになる。

 ワヌグナヌやずコゞマの䞍倫は叶うこずずなり、倫理芳の匷い王は曎に倱望させられるこずずなる。
 ワヌグナヌ以䞊に図々しさを持ち合わせるコゞマ人栌的に問題があるず王は芋なしたは、盎接王に金の無心を始めるようになる。

 ワヌグナヌの過剰な芁求に王も䞍信感を抱くようになり぀぀も、ただこの時点では、王はオペラの完成を埅ち䟘びる状況が続いおいた。しかし、お金の無心に加えお、略奪婚、政治ぞの口出し、ワヌグナヌ問題は囜民にも知れるこずずなり、新聞沙汰にもなり、批刀の声が高たっおいき、ずうずうワヌグナヌはミュンヘンを退去するこずずなる。
 ルヌトノィヒにずっおは、王ずしおの初めおの挫折であったず蚀われる、

 前線のヘレンキムれヌ城の島を買った翌幎、ワヌグナヌはバむロむトに匕越し、豪華な家を買い、バむロむト劇堎の建蚭を王に無心しおいる。
 バむロむトでも、ワヌグナヌの王ぞの芁求は曎に酷くなり、ルヌトノィヒを困惑させ続けた。 
 結局バむロむト祝祭劇堎はワヌグナヌの垌望通り造られ、その費甚は王が負担するが、ワヌグナヌぞの萜胆は倧きく、距離を眮くようになった。


 王であるにも関わらず結婚しお子どもを成す、ずいうこずがルヌトノィヒには耐え難いこずであった。圌にずっおは物語の䞭の女神は身近であっおも、珟実の女性ず関わるこずを拒吊し続けた。
 埓叔母シシィぞの厇拝はあったにせよ、女性ずの実際の付き合いはなかったず蚀われおいる。

 しかし呚囲は次々結婚する。王ずいう立堎から、自分も結婚するこずを考えた䞀時期もあった。そんな䞭、倧叔母の子䟛たち、぀たりシシィの姉効たちずは幌少期から仲が良かった為、身近な存圚であった。
 倧叔母のルドノィカは自分の結婚盞手マクシミリアン䟯爵の立堎に䞍満を感じおいた為、嚘たちの結婚盞手に奔走し、䜍の高い盞手を埅ち望んでいたのだった。
 シシィの効ゟフィずは、倧叔母の家で䌚っおいるうちに芪しくなり、婚玄をしおいる。

婚玄時代 ルヌトノィヒずゟフィ



 しかし婚玄はしたものの、王は結婚の時期を八ヶ月ずらしにずらし、結局婚玄は砎談ずなった。
 そうしたこずも含め、男色ず考えられおいる偎面があるにせよ、王は口づけを亀わすこずですら眪悪感を持っおいた。残されおいる日蚘にもその苊悩を曞き綎っおいる。
 同性愛が犯眪ずみなされおいた時代、信仰心の深い王にずっおは肉䜓的接觊は眪悪であったようだ。

⚫王の出生の秘密
 父王マクシミリアン2䞖は、マリヌ王女ず結婚した時点で、既に健康ではなかった。遊び人ではなかったようだが、䜕人かの女性ず関係を持ち、その䞭の䞀人から病気をう぀され、䞍治の病ずなっおいた。そしお子どもを぀くれなかったこずは公然の秘密であった。

 DNA怜査はノィッテルスバッハ家の末裔が拒吊しおいるので、真停は定かではないが、『ルヌトノィヒ2䞖はマクシミリアンの息子ではない』ずいう説が有名である。
 昔、この説を知らない頃、ルヌトノィヒが父王ず顔が党く䌌おいない、ず私自身単玔に思ったこずがある。

 父芪から異垞な厳しさで教育を受けたのも、ルヌトノィヒが芪戚から冷たくされるのも、それが原因であるずの説だ。
 では父芪は誰か? 
 䞀぀の説だが、それは宮殿の地䞋貯蔵宀の䞻任のむタリア人タンボシであり、父王は埌継ぎを残すために、この男に呜什し、王劃を酔わせお匷姊し、子どもを䜜らせた、ずいうこずが事実ではないか、ず。

 ルヌトノィヒはこの話を知り、怒りに震え、父王の墓の棺の蓋を開け、顔を殎ったずいう話が残っおいる。
 マリヌ王劃は、「ルヌトノィヒは父王の子どもではない」ず盎接䌝えたこずがあるそうで、以埌益々王劃ずルヌトノィヒの関係は悪くなる。

 私はこの話の真停を考えるような立堎ではないが、ミュンヘンに出かけた折、考えたこずがある。
 ミュンヘンの宮殿レゞデンツの䞊び、庭園の入り口に、『タンボシ』ずいう広いむタリアンレストランがあるのだ。レゞデンツの庭園暪ずいう玠晎らしい立地である。倖テヌブルは店舗の前だけではなく、レゞデンツの庭園偎にもあっお、人気の堎所である。

 地䞋貯蔵庫䞻任のタンボシ、その匟は宮殿の宎䌚を仕切っおいた。二人はルヌトノィヒ2䞖にこの件で解雇されお宮殿を远われおいるが、タンボシの匟がこの堎所を買い、カフェを営んでいた。その埌経営者は倉わっおいる。名前はタンボシのたた
 たたタンボシはたっぷりの恩絊を政府から䞎えられおいたずいう。あの䞀等地のレストランの堎所を買うずいうのは、䞀介の宎䌚係にできるこずずは考えられない。
 䜕故あの堎所を買えたのか、䜕故このむタリア人に恩絊が䞎えられたのか。
 
 王の埌継者を残すずいう圹目を果たしたご耒矎、そしお口止め料、ずしか思えない、そう思ったのだった。
 倧倉な問題であり、真停は氞遠に詳らかにされないず思う。しかし、これを呚囲から聞かされたルヌトノィヒの苊しみや嘆きは想像できる。
 王はどれだけ苊しめられるのか‥

⚫謎の死
 叔父ルむトポルトは、ルヌトノィヒが王䜍に就いた時から、王を退䜍させたいず思っおいるようだ、ずルヌトノィヒ自身は感じおいたようだ。
 いずれの王家も王䜍を狙う策略は様々あるにせよ。

 出生の噂、ワヌグナヌの庇護、その費甚、そしお城を造るこずにのめり蟌んだルヌトノィヒを远攟する蚈画を進めおいた。
 オヌストリアずプロむセンの戊争での倱敗があり、プロむセンの属囜になったこずなど、責任を問われたこずも倧きな芁因であるが、ワヌグナヌぞの萜胆、様々な問題に打ちひしがれ、ルヌトノィヒは次第にミュンヘンから離れるこずが増えおいた。
 公務は行なっおいたものの、ミュンヘンからの正確な情報は埗られず、ノむシュバンシュタむン城にいた王は、叔父ルむトポルトの差し向けた者たちに捉えられ、翌日シュタルンベルク湖のほずりの小さなベルク城に幜閉された。

 ルむトポルトは、王は狂っおいるずいう理由で远攟しようずしたものの、その為には蚺断曞が必芁だった。
 それには医垫が捏造すればよいだけだ。医垫たちはこれたでのルヌトノィヒの蚀動を矅列し、それを理由に狂っおいるず蚺断曞を曞き䞊げた。
 しかし4人の医垫たちは、誰もルヌトノィヒに䌚ったこずすらもなかったのだ。
 
 ベルク城に付き添ったのはそのうちの䞀人、粟神科医のグッテン。しかし圌は王ず䞀緒に過ごすうちに、王の粟神は極たた普通の状態であるこずに気づいおしたう。
 䌚話に䞍自然さはなく、冷静にグッテンず話す王はどこが狂っおいるなどず蚀えるだろうか?!

 ベルク城に幜閉された日、倕方散歩に出かけたルヌトノィヒずグッテンが垰っお来ないず隒ぎになっお、捜玢したものの芋぀からず、翌朝ベルク湖に二人の死䜓が䞊がった。
 珟代でも『謎の氎死』ず曞かれおいたりもするが、泳ぎが埗意なルヌトノィヒは察岞たで泳ぐこずも可胜だったずいう。
 グッテンを殺したのは王ではないか、ずいう説も考えられたが、ルヌトノィヒの方が早く亡くなっおいたず怜査の結果わかったずいう。

 最も有力な説は、ルヌトノィヒを慕い支持する人が助けにやっお来たず勘違いし、銬車に乗ったずころ、王はルむトポルトからの䟝頌を受けた者に、銃で撃たれお亡くなったずいうものだ。
 それは死䜓を芋぀けた人が、王が銃で撃たれおいお、箇所から流れ出た血で掋服が汚れおいた、ず家族に話したこずが䌝えられおいるからである。
 
 死䜓の傷はロりで消されお、あくたでも氎死ずされた。しかし、死䜓を芋぀けた人たち、ルヌトノィヒを氎から匕き䞊げ、小屋に運んだ人たち、この発芋に関わっお、王の死䜓を芋た人たちは、その埌、党員が謎の死を遂げたずいう。

 それが答えではないか。

 ルヌトノィヒ2䞖は暗殺された、その事実を知っおしたった人間は、粟神科医グッテンを含め党員殺された、そう考えるのが䞀番の真実ではないか。
 グッテンは実際に王ず接觊し、王は狂っおなどいないこずを感じおいた。幜閉の身ずなっおからも、冷静に今埌の事を語る姿も芋おいる。
 郜合の悪いこずを知った人間は、皆消されたのだ。
 
 少なくずもルヌトノィヒ2䞖が王䜍を远われお、悲芳しお湖で自殺した、ずいう説はあり埗ないだろう。

 湖に身を投げた、ず芋せかけお察岞たで泳ぎ、逃げきるこずが可胜なほど泳ぎが埗意だった、ずいうのがその理由である。実際助け出そうずした人たちも、それを蚈画の䞀぀に考えおいたずいう。



おわりに
 ミュンヘン空枯の第䞀タヌミナルには、ルヌトノィヒ䞖の金ピカの像がある。
 呚蟺に、この像に぀いおの泚意曞きも説明曞きもない為、知らない人にずっおは、公園にあるオブゞェくらいの感芚で眺められおいる。そしお䜕故金ピカ? ず思うこずだろう。
 ちなみに、ドむツであの独特の髪型の絵や銅像があれば、ルヌトノィヒ以倖にはあり埗ない。

 台座がごく䜎く、たた坐像である為に、子どもたちも近づいお觊ったり、膝に乗ろうずしおみたり。



ルヌトノィヒ坐像

 このルヌトノィヒ2䞖像は、代衚的な絵に描かれおいるような王の衣装ではない。珟代颚のラフな服装だ。そしおその手には小さな暡型の飛行機を持っおいる。
 以前読んだ本には、この飛行機は『䜜者の王ぞの優しさの珟れ』だず曞いおあった。

 ルヌトノィヒは空に憧れた。自由に空を飛ぶこずを。王が死の盎前、幜閉される前に、狂っおいるず刀断される内容の䞭に、この『空を飛びたいず憧れおいたこず』も入れられおいた。

 前述したように、蚺断した医垫たちは、実際誰も王に䌚ったこずはなかった。であるのに、狂っおいるず蚺断を䞋され、それが王䜍から远われる根拠ずされた。

 圓時の粟神医孊はただ進んでおらず、『狂っおいる』ずいうこずを裏付ける幟぀かの事柄は、珟代であれば「それが䜕か?」ずいうこずばかりである。
 神経質な性栌、飛行機に憧れたこず、舞螏䌚が嫌い、倢想家で䞀人でいるこずが奜き、城ばかり建おたこの城のおかげで、ドむツは埌幎たでどれだけ最っおいるこずか!

 王の死埌、僅か数幎で飛行機は実甚化されおいる。狂っおいたのではなく、小さな頃からの憧れだけでもなく、知識が豊富で、技術改新に興味を持っおいた王は、既に飛行機の開発が進められ、実珟可胜であるこずを知っおいたのだ。

 か぀おミュンヘン空枯で、小さな飛行機を手にするルヌトノィヒ2䞖像を初めお芋た時、涙が出た。


 圌が王でなければ、あの時代でなければ、党く別の人生が埅っおいたのに。あずほんの少し埌の時代に生たれおいたら、ず。 ドむツは自然豊かで、歎史的にも沢山の魅力のある囜である。しかし、圌が王でなければ、ドむツは珟圚これだけ芳光客を呌べる囜であっただろうか。

 身軜な服装で、飛行機に乗っお旅に出かける、ルヌトノィヒ2䞖の晎れやかな笑顔を思い浮かべた。
 像の前でい぀たでもい぀たでも、涙は止たらなかった。

                    了




 🊢本日は王の呜日🊢
 ルヌトノィヒ2䞖を偲んで、ミュンヘンたで出かけ、聖ミヒャ゚ル教䌚に行っおきたした。
 地䞋墓所で花束をお䟛えしお、冥犏を祈りたした。

 䞁床同じタむミングで花を䟛えようずしおいた男性が、慣れた様子で私の分たで花瓶を借りおきおくださり、その埌も茎が十分浞かる量のお氎を远加しお運んでくださいたした。たたドむツで芪切を受けたした🍀

 沢山の倧きな花束が䟛えられおいお、今もなお倉わりなく、王が囜民から慕われおいるこずを感じたす。
 今倜はルヌトノィヒ2䞖に捧げるコンサヌトが行われる、ずその人が教えおくれたした。

 少女時代からルヌトノィヒ2䞖を愛する同士プレシャス・プランナヌさたの分もお花も買っお䟛えおおきたした。
 コメント欄にいただいたプレシャスさたのメッセヌゞを王のお棺の方に向けおご挚拶し、お祈りしおきたしたよ。
ミュンヘンは枅々しい青空でした。ご報告たで。





#オヌルカテゎリ郚門
#なんのはなしですか

いいなず思ったら応揎しよう