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コメント欄500文字に込める気概と美意識〜注釈、論説、計らい、そしてホスピタリティ〜SPECIAL編

▪️いきなり余談から〜おまけの子育て論〜

 2週間ぶりにnoteに帰還致しました。
 娘一家が日本から遊びにきまして、通常インドアの日々を過ごす私は、案内の為に、1週間毎日外出しておりました。

 華奢(嘘)で脆弱な私は、疲れの為に、いつ倒れるかと危惧しておりましたが、大事に保管しているユンケルを毎日一包服用しつつ、何とか1週間を乗り切りました。

 帰国の日、空港✈️まで見送りに行き、娘一家が手荷物チェックの人混みに紛れて姿が見えなくなるまで手を振り合い、ホッとしながら愛犬と共に空港を後にし、帰宅した後は、まさに崩れ落ちたのでした(^◇^;)。

 その後数日間、基本的な家事以外は、ほぼ動けずにおりました。
 とにかく無事に帰国するまでを見届けた安堵感で、もういくら寝込んでも良し、と毎日一緒にイレギュラーな日々を過ごした犬と共に、回復するまでゴロゴロしておりました。
 折角休養するのだから、この記事の下書きを、とも思ったのですが、文字を見ると目に違和感があり、胸がえぐれるような痛みまであり、相当な疲れだったと言えましょう。


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 それにしても、初めて会った1歳の孫(女の子)は人見知りもせず、抱っこをすると、両手で私の巻き髪(掴みやすい形状)をはっしと掴んで、力強く手繰り寄せ、お口にちゅっ💋✨💕✨、極上の可愛さでございました。
 悪戯っぽくはっきりした目の印象から、愛嬌たっぷりの意志の強い子に育つ予感が致します。

 またむずがると頭が背中に付くほどそっくり返ります。この点が娘と似ていますが、娘より激しいそっくり返りぶり。
 昔、私の母(抱っこがとても上手)がこの娘を抱っこした時に、機嫌が良くても、するりと器用に海老反りをして腕から抜けてしまうので、珍しい子だとよく嘆いていたものでした。
 何にせよ束縛が嫌いなのでしょう。反抗期がしっかりありそうな予感です(^◇^;)


 人の印象というのは不思議なもので、生まれたてから1歳くらいまでの赤ちゃんを見ると、その後どう育って、どんな人になるか、大体見当がつきます。

 家庭環境の影響(親との関わり、経済的な生活の在り方)によって、身に纏う空気は変化しても、本人の人格そのものは、産まれてきたその時の印象ほぼそのままに成長していくように思えます。
 私の娘たち、甥や姪、孫たち、少なくともこの7人は『やっぱりね』という育ち方をしましたから、まぁまぁこの説は当たっているかと。

 つまり、
【誰がどう関わり、周囲がどんな環境であろうが、その子はその子として産まれた時の個性そのままを生きる】

 子育てに悩む親御さんは、
『私の育て方が悪かった!』などと考える方も多いかと思いますが、余程劣悪な環境で育てたのでない限り、悩む必要はないと思います。

 [その子はそういう子]として生まれてきているので、親のせいでも何でもない、と私は考えます。
 うまくいかなければ子ども本人のせい、その後をどう生きるかは本人の問題。別人格なのだから、親が悩んだところでどうしようもない。

 その子が安全に、健康で成長する為の環境をちゃんと与えてあげれば、もう親の勤めは十分だと私は考えます。

 まだ1歳の孫ですら、既に自我があり、個性がある。強い意志を感じる目を眺めながら、あの子はもうあの子の人生を自分らしく生きている、人の生き様というのは実に面白い、と感じた次第です。


 このnoteの世界に身を置く皆様も、赤ちゃんの時代を経て成長なさって、今のご自分がおありなわけです。
 もし、あなたご自身の赤ちゃん時代はどのようであったのか、ご存知の方がご健在であるならば、是非質問なさってみてください。
 今のあなたご自身を一言で表す、端的な言葉を知ることができるやもしれません。

 ちなみに私の生まれたては『ひょうきんな子』だったそうです。なるほど。

 ✨🧸✨🧸✨🧸✨🧸✨🧸✨🧸✨🧸✨


▪️はじめに
 前編、中編、後編と4人の方々をご紹介してきました。この方々の共通点は、コメント欄を目一杯活用される事。活用のされ方はそれぞれ違います。

 読者の立場でやり取りをさせていただくうちに、皆様大変個性的でいらして、それぞれの分野での造詣が深く、記事を拝見すればするほど興味が湧きました。そして充実したコメント欄は本文同様に楽しませていただきました。

 そして皆様それぞれが人に対してとてもご親切であり、その手間を惜しまず書き込まれるコメント欄の根幹に共通して感じられたことは、まさしくそれが読者へのノブレス・オブリージュ、またはホスピタリティであろう、と。


 記事の公開後、お読みになられた方の中には、私がまずこの4人の皆様をご紹介させていただいた事に驚きを表された方もいらっしゃいました。それは、皆様がそれぞれの分野で大変目を引く活動をされる方々でいらっしゃるからだと思います。

 敢えて自分の記事として書かせていただくという行為がどうなのか、また、お相手は敢えてご紹介させていただく事を躊躇してしまうような方々です。失礼がないようにその方を語る、というのは難しいことです。

 直接お会いしたこともなく、その方のお書きになる記事を拝見するのみ、その方のごく一部しか存じ上げない、その上でその方を語るというのは難しい事ではありますが、そうした状況下であるからこその面白みがあり、『コメント欄の充実っぷり』、という私の目線での興味をそそられる共通点を知ってしまった以上、注目せざるを得なかったわけです。


▪️さてSPECIAL編
 私がnoteを始めて二ヶ月経った頃、ある方の専門性の高い、多岐に渡る分野の記事を目にする機会がありました。
 きっかけは他の方の記事で、面白いコメントをなさっていたので、それに釣られてプロフィールを拝見。シリーズ化された様々な分野の中から、特に興味を引かれた幾つかを拝見しました。

 更にそのコメント欄には、本文に迫るような量と質の内容の書き込みがなされており、毎度驚愕したのでした。
 この方を、このシリーズの最後にご紹介させていただきます。

 とはいえ、これをご本人が目になさったら、どんな感想をお持ちになるかと考えますと、思わず書く手が止まりかけますが、もう後には引けません(^◇^;)

 私自身、何故そんなリスクを犯すのか、自分でも疑問です‥‥
 おそらく、お気に召さずに、500文字10面くらいのコメントを速攻でお返しいただきそうな気も致しますが、その時はその時で(~_~;)
 

🍄【武智 倫太郎氏】🧑‍💻

noteが趣味の多国籍企業経営者。筑波大学地中海・北アフリカ研究センター客員研究員。元・東京大学大学院産学連携アドバイザー。専門地域はMENA(中東・北アフリカ)、専門領域は情報工学、環境・エネルギー学、経済学、資源経済学など多岐にわたります。実名での著書・論文多数。



 私は当初、武智氏のAI理論の生真面目な記事からスタートして読ませていただいており、難解であるものの、武智氏の論点、視点に興味を感じ、一覧の中から連続して拝見していたところ、ある日このシリーズに出会いました。

[記事冒頭より抜粋]
【この作品集は、短編小説(ショートショート)の『本文』よりも『自己解説』が長く、その『自己解説』を超えるほど充実したコメント欄が特徴です。

 タイトルの『そして誰も~なった』には、物語の結末がタイトルと同じになるという顕著な特徴があります。この執筆スタイルは、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が長編推理小説として極めて高度な作品であることと似ています。

 意外な結末が重要な推理小説やショートショート作品において、タイトルで結末を宣言し、尚且つ読者の興味を引き付ける高度な執筆スタイルです。このように自らの作品を自画自賛するところが、『謙遜』という言葉を知らない武智倫太郎ならではの独特の世界観を反映しています。も『自己解説』が長く、その『自己解説』を超えるほど充実したコメント欄が特徴です。

 タイトルの『そして誰も~なった』には、物語の結末がタイトルと同じになるという顕著な特徴があります。この執筆スタイルは、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が長編推理小説として極めて高度な作品であることと似ています。

 意外な結末が重要な推理小説やショートショート作品において、タイトルで結末を宣言し、尚且つ読者の興味を引き付ける高度な執筆スタイルです。このように自らの作品を自画自賛するところが、『謙遜』という言葉を知らない武智倫太郎ならではの独特の世界観を反映しています。】


 おや? 『本文よりも自己解説が長い』あたりで、何か引っかかり、『その自己解説を超えるほど充実したコメント欄』で、充実したコメント欄? と更に引っかかりました。
 『このように自らの作品を自画自賛』、『謙遜という言葉を知らない』あたりで、一番初めの頃読んでいた記事本文からイメージする作者の姿が少し変わったのでした。
 それ以後は数多くの作品とコメント欄の中で、武智氏の世界観というものを目にすることとなりました。


▪️理系、文系


 『ド文系』この一言で、ド文系、ド素人である私の第一印象は、
『これは理系の人の、文系に対する上から目線に違いない』
であったのですが、本文を読み納得致しました。
 現実の職場の中で、文系からの指示系統や、理系のスキルに対する無理解など、軋轢がいかに多いか、その為に理系が定着できない点など、以下、本文から引用させていただきました。


【この『ド文系でもわかる』シリーズを書き始めた理由は、日本の文理分断の異常性を正し、文理融合の取り組みをわかりやすく伝えることにあります。】


専門スキルの活用不足
 理系人材が持つリスク計量やデータ解析のスキルが、文系的な経験則や慣例に基づく意思決定により十分に活用されていません。
意思決定の非効率化
 理系出身者が提案する分析やモデルが文系出身の管理職層に正しく理解されず、誤った指示が下されることで業務全体が停滞する事態が生じています。】


【文化的なミスマッチ
 日本の銀行業界は、長年にわたり文系出身者が意思決定層を占める構造を維持してきました。一方で、金融工学やIT技術の発展により、理系人材の重要性が高まっています。しかし、文系中心の意思決定プロセスと理系人材の専門スキルが十分に融合していないことが、以下の問題を引き起こしています。】


武智氏はこの分離分断の状況から、文理融合へ向かう為の幾つかの提言をされています。

【産業構造の硬直化
 文系と理系の役割分担が固定化され、新しい価値創造が進みにくい状況です。

イノベーションの欠如
 グローバルな課題に対応するための学際的なアプローチが不足しています。】

【文理の枠組みを超える芸術や文化の重要性も忘れてはなりません。詩や和歌、俳句、陶芸、書道、茶道、プロレス観戦といった活動は、文系・理系という二項対立を超えた文化的行為であり、高い教養と感性を求める領域です。

これらの創作や鑑賞は、理系的な論理思考や文系的な抽象思考を超えるものであり、知的好奇心と文化的成熟の問題です。】


【リベラルアーツ教育の推進
 幅広い教養をし、異なる視点を学ぶ機会を提供する。
芸術や文化の再評価
 教育や産業界で文化的素養を高め、創造的な思考を育む。

学際的なプロジェクトの支援
 文系、理系、人文科学、芸術を統合する研究や事業を推進する。】


 この記事から、理系と文系という視点から捉えた社会の構造の実態に思いを馳せました。
 そして、他にも武智氏が繰り返し書かれる『ド文系』に関する記事を拝見していて思うことは、余程そうした世の中の実態を腹に据えかねていらっしゃるのであろう、と。

 武智氏のこの記事を拝見して納得しつつも、私の感想は、
『 物事の理解の仕方が違うから、融合は無理』と感じた次第です。身も蓋もない感想ですが。
 
 以前、私の理系友人とお喋りしていて、たまたま大変感動的な映画を観たばかりだったので、内容と感想を話しましたところ、
「で?」
とだけ言われた時の脱力感を思い出しました。情緒的な会話は苦手で、無駄な情報と判断した時点で切り捨てるタイプです。
 どうしても和やかな会話にならないので疲れてしまい、あまり関わらないようにしましたが、そうすると「いかに自分には価値があるか」を声高に語るのです。
 『‥‥そういうところ』

 人間関係でも、職場でも、そうした元々の感性の違いというものは埋めることができないので、誤解や齟齬が生じないように、ごく常識的に仕事をしつつ、平穏に関わるしかないのでは、と思うわけです。

 他の記事のコメント欄にて、身内の理系の人の話をさせていただいたことがありました。すると武智氏から、
『そんな程度の話と一緒にするな』とのコメントが。

 話のネタは、情緒的な会話をことごとく踏み潰すタイプの理系の銀行勤めの人の話だったのです。本文中にも例えとして銀行内部の話があったのでコメントしただけなのですが( ⌯᷄௰⌯᷅ )
 

本文より
【(理系の人材は)銀行内部でのキャリアパスが不明瞭であるため、定着が困難です】

 そうでしょうね。


 
 武智氏は巻末でこのように示唆されています。
【文理分断を解消し、科学と文化が相互補完的に機能する社会を築くことで、日本は新たな競争力と持続可能性を得られるでしょう。文理の壁を越え、文化的成熟を深めることで、未来の可能性が大きく広がるのです。


 これまで、私自身、『文系、理系』と簡単に口にしてきましたが、この記事で語られる文理分断の実態の一端を拝見して、新しい観点を持つことができた気が致しました。
 そうした問題が解決すれば、より生産性は高まり、人間関係は良好となり、個人の生活レベルも向上することでしょう。
 文系の人が、苦手だからと理系の情報を避けることなく自ら学び理解を深め、理系の人は得意分野で活躍できるような場に恵まれて、実力を発揮する。
 相互協力して、より良い社会を作る、それは理想の社会であろうと、日本の未来に思いを馳せたのでした。


▪️ノブレス・オブリージュ?



 武智氏がnoteにて展開される世界は、実に幅広く、プロフィールに掲げられた専門領域から、様々な方向へと拡がりを見せます。

 当初、私が興味を持って拝見していたのは主に環境・エネルギー学や経済の分野でした。しかしあまりに記事の内容が豊富で多岐に渡っていましたので、その後はジャンルにこだわらず拝見し続けました。
 一人の方の書かれた記事に、様々なジャンルがシリーズで存在するという事自体、稀な事と言えましょう。

 また以前拝見した内容が、その後の記事の伏線となっている事も多く、しばしば創作作品の中に現れる登場人物がいて、立場や状況を変えて登場しますが、その人物像を知らなければ、内容が理解できないこともあります。
 武智氏の作品を一通り拝見しておいた為に、その回を丸ごと理解できた時などは快感でした。

 テーマの掘り下げ方や、そこから多層的に拡がる思考の在り方が遥か遠くに伸びて進化していくように感じます。
 中途半端に読むと迷宮を彷徨うような感覚になりますが、過去と同じテーマが武智氏ご自身の思考の変化などにより、進化バージョンとして公開された場合なども興味深いのです。

 noteがご趣味にしても、信じられないペースで新しい記事が挙げられ、その合間に2、3行のコメントをした読者に対しての返信コメントがトータル1500字くらいで返される様子は驚異でした。
 500文字3面の返信が、数分とかからずアップされる様子を目にした時は、コメント欄に対して『何故そこまで?』と思っておりました。

 武智氏のそれだけの返信に対して、もう一度コメントを返す人はまずいらっしゃらない。返される内容に圧倒され、情報量の多さにビビり、うっかりコメントした自分に呆れる(~_~;)、そんな様子が伝わってきます。

 武智氏ご自身はそれをどう思われるのか、疑問でした。
 私も何回かコメントさせていただいた事はありましたが、他の方同様に、私の感想や質問の内容を遥かに超えた情報を山ほど返していただき、それに圧倒されて終わり。久しぶりに『ギャフン』という言葉を思い出した次第です。
 『これは返信ではあるものの、対話ではない』
そう感じました。このコメントに対して対話は望まれないのだろうな、と。

 それでも、誰かのコメントをきっかけとし、武智氏がその全員に対して、時間と手間をかけられ、多くの情報を伝えようとされる意味は何だろう、とふと考えました。

 そのうちに
『これはノブレス・オブリージュに違いない』と思うようになりました。
 武智氏が多くの知識・経験を既に得た立場におありになる為に、その溢れる知識を人々へ伝える役割を負うべきと自覚され、相手が望もうが望むまいが、溢れんばかりの知識を伝えきらないと気が済まないに違いない、と。

となれば、私のコメントに対して、どれだけ情報工学者のお立場からの専門的なお返事が返ってこようが、当初のように恐縮したり、圧倒されてギャフンとなるのではなく、
『武智氏は書きたくて書いていらっしゃるのだから、別に気にする必要はないのだ』
と、私は寧ろツンデレな受け止め方をするようになったのでした。
 
『書きたい人は書けばよろしいのよ』と。



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✳️この記事の投稿後、あめもり「お出口に『なんのはなしですか』を。」さんから別記事にて感想をいただきました。
まっさらな目で記事をご覧いただいた感想は、芯を突かれた感じでハッとしたのでした。


コメント欄本文より抜粋
【日本はよくも悪くも「はっきり言わない」だったり、「言い方に形式」だったりで、よくイメージされる理系には面倒くさいだろうなぁと思います。
イメージされる文系も、文系で苦労が無い訳ではないのですが、意欲と行動力のある文系が(メンタル的に牽引出来るからか、)強い社会ではあるなぁと思う日々です。
個人個人の様に、理系文系も違う処理回路なだけで、感情は同じ気はするので、まさかこんな脱線から『ノブレスオブリージュ』の話に続くのです†††】


武智さんのコメント返信は『書きたい人は書けばよろしいのよ』の通り、
『ノブレスオブリージュ~知識編~』に見えています。
 興味持って貰えてコメント嬉しいから、『手土産に余談』ではなく『補強知識』。そんな感じかなと思っています。】


 前編にご登場のあめもりさんは、優れた論客でいらっしゃり、さらりと納得のいく答えを引き出してくださいます。
 行間を読むのと同時に、文章そのものからグリグリっと解を引き出す方で、この方の出される答えは実にしっくりと納得でき、私の頭の中の絡まった糸を解いてくださるような気が致します。

 武智氏がお書きになる超ロングコメントは
『補強知識  ノブレス・オブリージュ〜知識編〜』

 なんと的を得た表現でしょう。
 一旦私の考えをまとめて記事を公開した後ですが、あめもりさんの優しい目に誘われて、ここで改めて付け加えさせていただきました。


▪️創作作品


  私自身も沢山書き込みをさせていただいた
[ツンデレ童話 : 秋葉原の路地裏のキノコとトマト]

 私がコメント欄の使い方というものを改めて考え、書きたくなったのか、そもそもはこの記事から始まりました(^◇^;)
 この記事をまだご存知ない方は、是非本文と共に、コメント欄の流れをトータルでご覧いただきたく存じます。

 noteの世界の様々な方々がコメントされています。
また武智氏のツンデレ童話以外のシリーズと繋がる伏線になっている部分もあり、興味深い流れです。

 そもそも武智氏がツンデレな印象が強い方ですが、このツンデレ童話のシリーズは特に楽しそうに自由に書いていらっしゃるように感じ、大変面白く充実しています。

 更に、このコメント欄を締めくくる場面(結果、締め括られたといいますか(^◇^;))、
ひびきnadaさんの登場が実に可愛らしく、見事なオチとなっています。


 有名なカルタの方ですね。実にセンスのある言葉をお持ちの方でファンです💓
[なんのはなしですか]があれほど情緒的にもハマる場面はなかなか見られない、と今でも感動しております。



▪️ロマンあるテーマ作品


アメリカの気象学者エドワード・ローレンツが提唱した『ブラジルで蝶が羽を一回はためかせると、アメリカで竜巻を引き起こすかもしれない』という趣旨の『バタフライエフェクト』理論。

 蝶🦋の小さな羽ばたきが、やがて大きな影響を及ぼすというテーマ自体、物語的であり、ロマンもあり、文系も惹かれるテーマだと思います。

本文より
歴史における偶然や小さな選択が、未来にどれほど大きな影響を与えるかを知ることは、現代を生きる私たちにも大切な洞察を与えます。

日常の選択を大切にする
 バタフライエフェクトの考え方は、私たちの日々の選択が未来にどのような影響を与えるかを意識する大切さを教えてくれます。

社会運動でのセレンディピティ:一人の声が予期せぬ広がりを見せ、世界的な運動に発展することもあります。これは、バタフライエフェクトとセレンディピティが相互に作用する典型的な例と言えるでしょう。】

 元々のシリーズは、完全ガイド(1)〜(4)へと展開されています。


 そして武智氏は完全ガイドの巻末をこのように締め括られました。

【おわりに:未来をつくる一歩

 バタフライエフェクトは、日常の中で私たちが見過ごしがちな『小さな選択』に光を当て、その選択が未来にどのような影響を与えるかを考えさせてくれる強力なフレームワークです。このガイドを通じて、多くの方が日々の行動に新たな価値を見出し、それがどのようにして未来を形作るのかを意識するきっかけとなれば幸いです。

・小さな行動が持つ力
『自分一人の行動では何も変わらない』と思う瞬間があっても、バタフライエフェクトの視点を取り入れることで、その考えを変えられます。一歩一歩が未来につながり、それが他者との連鎖を生む可能性があるのです。

 例えば、挨拶一つがコミュニケーションの扉を開き、小さなプロジェクトが社会的ムーブメントの火種になるように、未来の可能性は日々の小さな行動に宿っています。

・不確実性を楽しむ視点
 バタフライエフェクトが示すように、未来は予測不可能であるがゆえに、希望を持つことができます。不確実性はリスクであると同時に、可能性でもあります。私たち一人ひとりが、未知の未来を形作る主体であることを忘れないでください。

・偶然の力を信じる
 偶然の出会いや予想外の出来事は、新たな道を切り開くきっかけになることがあります。それを恐れるのではなく、積極的に受け入れることで未来が開けていきます。

・失敗を恐れず前進する
 予測不可能な要素があるからこそ、失敗も貴重な経験となります。挑戦し続けることで、新たな可能性が見えてきます。

・バタフライエフェクトを実践するコミュニティの力
 未来を変える一歩は、一人で踏み出すだけでなく、他者とのつながりの中でより大きな力を発揮します。

・協力の連鎖
 小さな行動の連鎖が、大きな変革を生むことを私たちはすでに歴史から学んできました。教育、環境問題、テクノロジー、社会変革といった多様な分野で協力し合うことが、次世代のための希望を生むのです。

・『ド文系でもわかる』シリーズを活用した実践
 シリーズを通じて、より多くの人が『小さな行動が未来を変える』というメッセージを共有し、一人ひとりの力が集まる場を作りましょう。

・希望と行動のメッセージ
 このガイドを読んだあなたも、未来をつくる一歩をすでに踏み出しています。バタフライエフェクトの考え方を取り入れ、小さな努力や行動を続けていくことで、大きな結果が生まれるでしょう。それは、個人の成功だけでなく、社会全体を前進させる力になります。

『小さな蝶の羽ばたきが、大きな竜巻を生むように、あなたの行動も、まだ見ぬ未来に影響を与えるのです。』

 さあ、未来を変えるその一歩を、今日から始めましょう!】


 と、このシリーズを締め括る[おわりに:未来を作る一歩]を読み終わった時、
『おや? いつもと違う』と感じたのでした。

 このシリーズのテーマ、バタフライエフェクト自体が、小さな羽の揺らぎが、やがて大きな影響をもたらすという、ある種『夢』のようにも、物語のようにも感じられる情緒的なものであったせいなのかとも思いました。
 しかし、巻末の一言でわかるように、明らかに武智氏は読者に語りかけていらっしゃる、こんなことはそれまで私が読んできた記事の中にはなかったことでした。

 この方はそれまでコメントした読者への返信においても、自論の補足としての解説を大量に書き込んでいらした。
 それを私は対話ではない、と感じてきたわけです。
 今回は本文で直接的に読者への『呼びかけ』をしていらっしゃることに驚きました。

 仲良しの方々との対談以外で、一般的な読者に対して対話的な表現をされている!  驚きでした。

 私は、この記事は公開された直後に拝見して、上記のような感想を持ったものの、その少し前に、別記事の武智氏からのコメントに懲りて、もう書くもんか!と決めておりました。

 それは前述しましたように、おそらく日本人が口にする、ごく一般的なイメージの理系のイメージを私が書いたことによるものです。
 武智氏の語られる専門分野の難解さは、私には全く知る余地のない事です。
 読者の一人ではあっても、私自身が書けるコメントのレベルを考えてしまうと、書く価値もないだろうな、と。感想があっても書かないと決めて静かにしておりました。

 そうしましたら、思いもよらず刺客が登場✨✨
サブリナ様です。中編に続き、二度目のご登場です。
 武智氏のコメント欄でも時々ご一緒しました。



 サブリナ様は、私が大好きなこの[アンニュイな夜]の記事を始めとして、お書きになる内容が優雅で小粋、大人の女性の印象の方です。



 先日、サブリナ様は、大石良雄様の詩をご自分で即興で歌われた記事も投稿されていらっしゃいました。

 私は遊びに来た娘一家を宮殿に案内して、待っている間に、庭園で行われているクリスマスマーケットの会場で、グリューワイン🍷を飲んでいた最中に拝聴しました。控えめな音量ながら、楽しんで何回もお聴きしているうちに、周囲の観光客にも聴こえたようで、ニコニコと、
 “Was ist das für ein Lied?”[その曲は何?]
と質問されましたので、
 “Es ist japanischer Rap♪”[日本のラップですね]
と答えておきました。
 ラップでいいのでしょうか(^◇^;)?

 サブリナ様は、優雅なだけではなく、はっきりものを仰り、やりたい事はやってのける、天衣無縫、かつ率直な愛すべき方だと新たなイメージが湧き上がりました。




⚪︎サブリナ様からのコメント

【武智さま
文末「小さな蝶の羽ばたきが、大きな竜巻を生む様に、あなたの行動もまだ、みぬ未来に影響を与えるのです」

武智さまがこんなに熱意ある提唱的な言葉、なんだか意外でした。

記事自体は、熱意溢れてても、こんなに皆様に可能だよ!と優しく提唱される表現、初めてな気が…。
あの、誤解しないでくださいね。
嬉しく感じました。😊】



⚪︎武智氏よりの返信

【サブリナさん

『ド文系でもわかる』シリーズは、当初、ド文系をパニックに陥れるようなド理系用語で説明するショック療法を採用しようと考えていました。しかし、黒夢さんから『初学者の好奇心を折らないように』とやんわりと釘を刺され、その結果、詩的で情緒豊か、かつ優しい表現を心掛けることにしました。

ところが、私は感情表現のボキャブラリーが少なく、コメント欄などでは感情を伝える新しい方式を試みました。それが、『ツンデレらしいじれったさが愛おしくなります💘✨』といったハートやキラキラマークを使った表現です。このような工夫を通じて、情緒的な側面を補強しました。】


サブリナ様のこのコメント、
[武智さまがこんなに熱意ある提唱的な言葉、なんだか意外でした。
記事自体は、熱意溢れてても、こんなに皆様に可能だよ!と優しく提唱される表現、初めてな気が‥‥。]

 武智氏の記事を読み続けてきた方は、おそらく同じ感想をお持ちだと思います。

 誰かのコメントに対して、武智氏の豊富な知識を補足のとして1500字で返されることは、それはそれで価値あることと思いはしますが、こうした表現で提唱される事をサブリナ様だけではなく、記事を拝見した人々は望んでいられるのではないか、と感じます。

 武智氏は、
[私は感情表現のボキャブラリーが少なく、コメント欄などでは感情を伝える新しい方式を試みました。]
と返されています。
 が、ボキャブラリーや、ハートやキラキラマークなどではなく、読者がほしいのは、感情の発露と言えましょう。
 きっとそれは武智氏ご自身もわかっていらっしゃることと思います。

[嬉しく思いました]というサブリナ様の言葉は大きいと清々しい思いで共感しつつ、コメント欄を拝見しました。

 noteの本文もコメント欄も、どうあるべきは書く人の自由ではありますが、人に与える価値のある知識をお持ちの方は、人がどう感じるか、そしてそれに寄り添うことが、それこそ文理融合に結びつくのではと私は考えます。



▪️おわりに


 [人に寄り添うということ]
自分を語る、人を語る、人に寄り添う、自分の喜びを伝える、人が救われる言葉を伝える、人を助ける、人と人とを繋ぐ。
 おかのきんや様の優しい言葉や、記事に表現された人の生き方の方向性、それらに救われる人々がいかに多いかを思い出しながら書いております。
 私を含めた多くの人が、何かに傷つく度に帰っていく場所のように感じております。

 私自身も体験してきたセレンデイピティに関して、いつか書いてみようと思いますが、閃きや偶然、それらが生まれるのは、いつも誰かに救われた時、直接的に、間接的に感情を揺さぶられた後です。
 世界がぐるりと回ったような感覚を得られます。
 おかの様とやり取りをさせていただいた中にも、セレンデイピティを感じさせられた一端がございました。
 

 4ヶ月間のnoteでの書いたり読んだりの経験の中だけでも、それらは生まれてきました。
 そのご紹介はまたいつか。

武智様、投稿した折には、またご指南くださいませ。益々のご活躍をお祈り申し上げます🙇‍♀️



🧑‍💻✨🍄✨🧑‍💻✨🍄✨🧑‍💻✨🍄✨🧑‍💻✨🍄

 武智様のお書きになられた記事が膨大な数ですので、ごく一部の簡単なご紹介となりました。拙い内容で失礼致しました。
 武智様のご要望がありましたら、いつでも削除致しますので、どうぞお申し出くださいませ。



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