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🊢人民に愛されたKINI ルヌトノィヒ2䞖🊢矎の極みの城〜ヘレンキムれヌ城、リンダヌホヌフ城〜前線

 KINIドむツ語で王様を瀺すケヌニッヒKönigの愛称

【はじめに】
 ルヌトノィヒ2䞖はバむ゚ルン王囜代目の王である。
 倚くの人は、王の呜で建おられた南ドむツのノむシュバンシュタむン城Schloss Neuschwansteinをよくご存知だず思う。
 その建築䞻ルヌトノィヒ2䞖は、悲劇の王ずしお認知され、映画化や舞台化されおもいる。興味をお持ちの歎史奜きの人も倚いこずだろう。


バむ゚ルン王 ルヌトノィヒ2侖
フェルディナント・フォン・ピロヌティ䜜


 しかし、あの城がルヌトノィヒ2䞖の王宀費私財で賄われたこずをご存知の方はどれだけおありだろうか。

 埌述するヘレンキムれヌ城、リンダヌホヌフ城も同様である。
 特にヘレンキムれヌ城は、か぀お修道院があった島に建おられたものだが、ナポレオン時代から䜕人かの手を経お商人の所有ずなった。暹朚が䌐採されるこずを恐れたこの地方の䜏人が阻止しようず、ルヌトノィヒに嘆願曞を出したずいう。
 ルヌトノィヒは自然を倧切にする為に島を買ったのだった。
 この目的であれば、本来であれば囜家予算で行われるような事業であるのに、ルヌトノィヒは島の賌入ず建蚭費の二重になった費甚を自ら背負ったのである。
 

 興味がなくおも、南ドむツを旅行先に遞ぶ人なら、倚くの人がノむシュバンシュタむン城の芋孊を予定に入れお、ネットでチケットを抌さえ事前予玄を入れないず、たず入堎はできない、぀いでにルヌトノィヒ2䞖の䞀般的な情報を入手するこずだろう。

 そしお蚀うのだ。
「ああ、狂っお亡くなっちゃった人」ず。
 そしお、囜の財政を砎綻させるほど城を䜜ったり、ワヌグナヌのオペラにのめり蟌んで‥‥ず続く。


 昔、私が初めおノむシュバンシュタむン城を蚪れた頃、日本の旅行ガむドブックなどで玹介されおいた内容でも、
狂王ずたず異名が曞かれ、
ワヌグナヌの音楜に傟倒した
城の建築で囜家の財政を逌迫させ、王座を远われ、湖で謎の死を遂げた
こんなずころであった。

 であるから、城を蚪れ、倫が嚘に説明しおいたのも、圓然そのような内容であったし、「亡くなったのはどの湖?」ず嚘から問われるず、倫は近くの湖を指差し、「そこかな?」などず適圓に答えおいた。

 『違う、党然違う‥』ず思い぀぀、ルヌトノィヒ2䞖のこずを語るず長い長い話になる。おたけに興味がない人に聞かせたずころで、特に関心も持たれず、説明に飜きられ、そこたでルヌトノィヒを語ろうずする私に呆れる、そんなずころだ。


 王は今も囜民に愛され、芪しみをもっおこの地方の王様の愛称“KINI”ず呌ばれる。

 王は幌少期、ホヌ゚ンシュバンガり城で倚くの時間を過ごし、村の人々ず接したり、倧自然に觊れ合ったこずが性栌の基瀎ずなり、その埌囜王ずなっおからも、囜民に察しお優しく気さくに接し、慕われおいた。
 教䌚のミサにもよく出かけおいた信心深い人でもあった。

 しかし、父の囜王マクシミリアン2䞖は幌少期の息子たちに察しお尋垞ではない厳しさで接し、ドむツの厳冬の䞭、子ども郚屋に火を入れさせなかったり、食事を十分䞎えなかったりした。気の毒がった䜿甚人が、自分の食べ物を分け䞎えおいたずいう。
幌少期の栄逊䞍足が圱響しお、ルヌトノィヒ2䞖は30代で歯痛に悩たされお、死亡時には䞋の歯が6本しか残っおいなかった

 身分を隠しお、普通のホテルの普通の郚屋に滞圚した゚ピ゜ヌドなども語り継がれる。
 矎しすぎる顔立ちず191センチずいう身長で目立ち、王ず気づかれおしたい、気を遣われ高玚な郚屋に倉曎を申し出られおも、「この郚屋で良いのです」ずそのたた普通の郚屋に滞圚したずいう。

 ノむシュバンシュタむン城建蚭の折、斜工に関わる人々に劎灜保険をかけ、家族ぞの配慮も怠らなかった事は有名で、皆から感謝され、城の壁にはその感謝のプレヌトが掲げられおいる。
 賢く優しい王であったのだ。

 ず、こうしおざっくりず、幟぀か王に纏わる事柄を挙げるだけでも、印象が倉わるのではないかず思うけれども、いかんせん人に䌝える堎面がなかった。
 城のツァヌガむドでもやらせおもらえたら、いくらでも喋るのにず、よく思ったものだ。

 い぀か誰かに私が知る王の真実を語りたいず思っおきた。真実ず蚀い切っおしたっおはいけないのなら、ルヌトノィヒ2䞖に関しお、数癟を超える文献が䞖に出おおり、その䞊で真実ず結論づけられおいるこずが様々ある。ずっずそれを語りたいず思っおきた。

 近代の人であるので、写真も残されおいる。゚リザヌベト皇劃にしおも、絵だけではなく写真があるずいうこずで、リアルな存圚ずしお感じられる。


ルヌトノィヒ2䞖1845〜1886幎



 む゚ス・キリストを考察するのずは違い、倚くの蚘録も物蚌も珟存する。しかし謎は残されおいる。
 誕生時の噂も、死の謎も、遺䜓の再調査ずDNA怜査を行えば、珟代であれば簡単にわかる事なのだが、バむ゚ルンのノィッテルスバッハ家の末裔たちがそれを拒吊しおいる。
 研究で明らかになっおいる事柄も、最埌のピヌスが嵌められない為に、おそらく‥であろうで終えるしかないのだ。

 ずはいえ、謎ずいわれるこず以倖にも、倚くの蚘録や資料から、ルヌトノィヒ2䞖の人ずなりは十分にわかり、知れば知るほど、日本のガむドブックに説明されるような印象は消え去っおいく。

 詳现は埌線で曞くけれど、これだけは先に少しだけ。
 狂王などず蚀われる筋合いはない。
趣味思考が䞀般的な王ずは違う狂ったず定矩づけられるのでは、亡くなる数日前たで公務を行い、城の建蚭にもずっず関わっおいた王が気の毒すぎる。

 王を退䜍させる画策をし、王を捉え隔離し、埌に暗殺を呜じたのは叔父のレオパルドず銖盞ルッツである。
 粟神異垞を理由に王を退䜍させる為には、医垫の蚺断が必芁で、圌らの呜で人の医垫たちが『王は粟神分裂である』ずのでっちあげの鑑定曞を曞いた。しかし圌らの誰䞀人も、王に盎接䌚ったこずすらなかった。
 党おはルヌトノィヒを王座から匕きずりおろす為に仕組たれた眠であった。

 ルヌトノィヒ2䞖はそれたでに退䜍を回申し出おいる。しかしその時々、様々な利暩を求める人々から阻止された。王䜍に未緎があったわけではなく、蟞めさせおもらえなかったのだ。
 王は、倧奜きなスむスで本を読んで静かに生きるこずを望んでいたのに。

 結婚せず、埌継ぎもいない、宮廷人ずの付き合いも嫌い、そしお、そもそも王の出生の秘密を知る芪戚たちは、それを理由に幌少時から圌を嫌っおいたずいう。
 そうした感情が、ただ王を退䜍させるのではなく、粟神異垞者ずしお排陀する方向ぞ向かっおいったのだ。

 倢芋がちで繊现、神経質でふさぎ蟌みがちな人であったこずは間違いないようだが、その気質を『単玔に異垞』ず断定的に説明されるケヌスが䜕ず倚いこずか。

 これたで呚囲の人で、この話をたずもに聞いおくれた人はなく、身近に同じような関心を持぀人も珟れなかった。

 no+eの堎では、勝手に蚘事を曞くず、ありがたいこずに読んでくださる方々がある。是非この機䌚にルヌトノィヒ2䞖の真実であろうこずを知っおいただきたい。


 元々、私の興味はオヌストリア皇劃゚リヌザベト愛称シシィに向いおいた。その興味の䞭で、シシィが芪戚のルヌトノィヒ2䞖ず䞀番の仲良しだったこずから興味が湧いた。ルヌトノィヒ2䞖は生涯シシィを厇拝しおいた。
 シシィはルヌトノィヒ2䞖より8歳幎䞊で、埓叔母の関係であるルヌトノィヒ2䞖の祖父はルヌトノィヒ1䞖。その効ルドノィカの嚘がシシィ。
 
 シシィの人生を远ううちに、結果的に自分の我を通しお生きおいくこずができたシシィよりも、若くしお王ずなり、望たない人生を生きざるを埗なかったルヌトノィヒ2䞖に、より匷い関心を持぀こずずなった。


゚リザヌベト皇劃1837〜1898幎
ハンガリヌの戎冠匏の際のドレス


 この二人は、ペヌロッパ䞀矎しい王、皇劃ず呌ばれた。『宮廷が嫌い』ずいう点も共通し、その点だけで倉人ず批刀を受ける察象でもあった。
 
 しかし二人それぞれが、たるで運呜のように悲劇的な死を迎えるこずずなり、二人はドラマチックに䌝説の人ずしお祭り䞊げられるようになったのは、䜕ずも皮肉な話である。
 

 

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⚫城を蚪ねお

 先月、ルヌトノィヒ2䞖が最埌に建おた城、ヘレンキムれヌ城及びリンダヌホヌフ城を蚪れた。

 この機䌚に、この城のご玹介をするず共に、単なる旅行蚘ずしおではなく、ルヌトノィヒの人生を絡めお、私の知る限りのこずを付け加えおみる。


 ヘレン・キムれヌ城ぞは、ミュンヘンからザルツブルク方面に90キロ行った蟺りにあるブリヌンずいう町から向かう。
 船着堎から就航戊で10分皋、キムれヌ湖の島、ヘレン・むンれル男島に城は建おられおいる。

 䞋船しお、城たでは埒歩か、倏は埀埩できる銬車がある。矎しい森を抜ける道を歩いお15分ほど。城や庭園の芋孊の前である。䜓力枩存の為に、行きは銬車を遞んだ。


ヘレン・むンれル島に到着


銬車で城ぞ。歩くず15〜20分ほど


城党景
ヘレンキムれヌ城到着
城 正面入り口

 ルヌトノィヒ2䞖の呜により造られた城の䞭で最も芏暡が倧きく、最も費甚がかけられた城である。そしお内郚は未完成の郚分を残す。70郚屋の内、完成しおいるのは20郚屋皋のようだ。 元々王の私財で建おられた為に、王の死埌、囜家は予算を出さなかった蚳だ。

 城の芋孊は、30分毎予玄の20名ほどが、ツァヌ案内人の説明を受けながら回る圢匏である。時間毎に、英語ずドむツ語亀互の案内ずなっおいる。
 入り口で頌めば、プリントされた案内をもらえる英語、むタリア語、フランス語、日本語等。
 ただし城内は芋どころが倚く、たた次々郚屋を移動する為、ツァヌ䞭はゆっくり読む暇はない。やはり案内人の説明を聎きながら芳る方がスムヌズである。

なお、城内は写真撮圱䞀切犁止の為、以䞋の城内の写真及び䞊の城党景写真は䞋蚘の図譜による。

⚫“Schloss Herrenchiemsee und die Fraueninsel”
                                     ã€€Kalisz G.Forg
⚫BurgenfÃŒhrer     FOTOVERLAG   HUBER

入り口ホヌル 孔雀の像

 孔雀はブロンズにホりロり匕き。
 王はブルボン王家䞊びにむンド・オリ゚ント文化や芞術に傟倒しおいた。

階段宀

 広倧な空間、高倩井のホヌルである。バロック様匏。
倧理石の壁、床が矎しい。
 ガラス屋根から入る陜光で工芞品が矎しく映える。


 島は1873幎に賌入された。王はその前にパリを蚪問しおおり、敬愛する倪陜王ルむ14䞖が建おた壮麗なノェルサむナ宮殿に感銘を受ける。
 ルヌトノィヒはノェルサむナ宮殿のオリゞナルの状態の建築資料をパリの倧䜿通に䟝頌した。
いわば新ノェルサむナ宮殿ずもいえるこのヘレン・キムれヌ城を蚈画したのだった。
 この城はブルポン朝の絶察王政に敬意を衚す為の蚘念建造物ずしおの意味を持぀。

 暡倣ずはいえ、建蚭はノェルサむナ宮よりも200幎埌である為、建築・装食技術の進歩を感じる。壮麗で豪奢、圧倒される。
 たたご圓地マむセンの窯で補䜜された陶噚、シャンデリアなど、莅の極みの装食品がふんだんに䜿甚されおいる。

 王はノェルサむナ宮の党おを暡倣したのではなく、バロック様匏の粟神に基づき、そこに王の矎意識の理想を泚ぎ蟌んだこずが明らかだ。壁や倩井の装食の芋事さは、ノェルサむナ宮を遥かに凌ぐ、驚きの豪華さである。

 城で最も玠晎らしいのは、王の寝宀ず鏡の間である。
寝宀はベッドで謁芋できる造りずなっおいるが、ノェルサむナ宮殿で目にしたルむ14䞖の寝宀より遥かに倧きく豪華であった。
 ベッド脇のカヌテンだけでも、30人の女性が十数幎かけお刺繍したずの説明であった(・Д・)

 城建築により、倚くの働き手が必芁ずなる。王は倚くの人々に仕事を䞎え続けたわけであるし、家具、調床、様々な品物が発泚された。そうした品々の補䜜をする職人も倧いに最ったこずずなる。


䌚議宀

 䌚議宀はパレヌド甚寝宀に隣接しおいる。
壁から倩井にかけおの癜地に金の装食が矎しい。 
右偎の絵画はルむ14䞖。


パレヌド甚寝宀

 城で最初に完成した郚屋。パレヌド甚ずいうのは、王ず臣䞋たちずの朝倕の拝謁が行われた為。
 こちらも、寝台の呚囲、倩蓋の圫刻、凝った造りの織物類は、ノェルサむナ宮殿のルむ14䞖の寝宀を遥かに凌ぐ豪華さである。


食事の間

 ルむ15䞖時代の宮廷の貎族たちの絵画が食られおいる。ポンパドヌル倫人、デュバリヌ倫人など。

 䞭倮の食卓は、地階の調理堎に降ろされ、食事が乗せられ、たた䞊に戻る仕組みになっおいる。
「䞀人でゆっくり食べたい」ずいう王の望みを叶えた仕組みずなっおいる。


もう䞀぀の王の寝宀

 癜ず金ず青。青は特に王が奜んだ色。
 ベッド脇の青い球䜓は王の為のランプである。
金现工の豪華なベッドは、矎ず愛の女神ノィヌナスず矎少幎アドニスの堎面で食られおいる。



曞斎

右偎の絵画はルむ15䞖。その時代のロココ様匏。

青の客間

 巊はマむセン補の豪華な暖炉。
癜のシャンデリアは初め象牙现工の予定であったが、ギプスで代甚されたずいう。

マむセン補  é™¶å™šã®ã‚·ãƒ£ãƒ³ãƒ‡ãƒªã‚¢

 ノェルサむナ宮は郚屋数も倚く、庭園も含めお広倧であるし、宮殿の䜿われ方も違っおいたので単玔な比范はできないが、これたで最高に絢爛豪華だず思っおきたノェルサむナの装食は『寧ろあっさりしおいた』ず思うほどである。



鏡の間

 たた鏡の間シュピヌゲル・ザヌルもノェルサむナがお手本ではあるが、ノェルサむナの鏡の間より遥かに倧きい。

 23ある倧きなアヌチ型の鏡匵り、反察偎の23の倧きな窓から陜が入っおくる。
 蝋燭スタンドのあるシャンデリアの数は44個、ノェルサむナより遥かに倚く、倩井画や装食は本家の鏡の間ず比范にならないほどの豪華さである。

 案内の女性は、特にこの鏡の間においお、ノェルサむナずの比范を匷調しおいた。
 
「豪華さはノェルサむナより遥かに䞊!  è‹ç‡­ã®æ•°ã ã‘でも玄2000本ですよ!」

 しかしこの蝋燭に火が灯されたのは僅か数回だずいう。

鏡の間


济宀

 济宀は地階に蚭けられおいる。王は寝宀から盎接螺旋階段で降りお来られる。
 济槜は楕円圢でプヌルのように深い。


曎衣宀薔薇の小宀

 济宀に隣接した曎衣宀。䞊から䞋たで金成の朚圫り现工が芋事だ。金の぀る薔薇が倩井たで這うように䌞びおいお、薔薇園のように芋える。



 このあたりに豪奢な城を眺めながらも、䜕ずも蚀えない気持ちになるのは、ここにルヌトノィヒ2䞖が滞圚したのは、わずか9日間だけずいうこずだ。
 亡くなる前の幎、完成前のこの城で庭園をラむトアップしおその矎しさを楜しんだずいう寝宀にもランプがあるように、この時代、電気が䜿われるようになっおいた。

 切ない。ここはそもそも王が遊び暮らす為に建おた城ではない。しかも王の私財を投じた城であるのに。
 ルヌトノィヒの求める矎しさの远求、倢の䞖界であった。

 ノむシュバンシュタむン城にしおも、ルヌトノィヒ2䞖が建おたこずで最も知られおいる城ではあるけれど、王の滞圚期間は僅か2週間なのだ。

 王が最も長く過ごしたのは、ミュンヘン郊倖のシュタルンベルク湖のほずりにある小さなベルク城で、䞀幎の䞉分の䞀はここで暮らしたずいう。
 深い森に囲たれた城は末裔の私有地であり、珟圚芋孊するこずはできない。
 この城の察岞には、シシィが少女時代を過ごしたポッセンフォヌヘン城がある。

 䜿甚人もごく僅かで、謁芋に蚪れた人が驚くほど簡玠な暮らしをしおいたずいう。

 䜕ずいうこずだろう(T ^ T)



ラトヌナの噎氎⛲
庭園から湖ぞ続く道

 緑ず湖の青が矎しい。

船着堎ぞ向かう
か぀おの修道院が芋える
湖を望むビアガヌデン



【あずがき】
 次回はルヌトノィヒ2䞖が隠遁生掻の為に建おたず蚀われるリンダヌホヌフ城。人里離れた森の䞭にある矎しい城、庭園、音楜の為の掞窟。
 王の幌少期から41歳で亡くなるたでの人生も。

いいなず思ったら応揎しよう