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2025年4月 ウィーンへの旅🇦🇹後編〜宮殿のイースターマーケット、モーツァルトの落書き〜(おまけのザルツブルク)

ふ さて、黄金ホールでの一夜が明けて、旅三日目である。
 シェーンブルン宮殿の広場では、イースターマーケットが開催されていた。訪れたのはイースター当日であるので、この日までの開催。

シェーンブルン宮殿関連施設 春の光景 
到着
宮殿正門

 宮殿敷地内には犬は入れないので、この日も夫と交代で入場する。それを知らずに犬連れでやって来た人々がまごつく場所である。

 宮殿への観光客が多いが、マーケットや遊び場に訪れる地元の人も多い。

アーチが卵型🥚💕

 こうした歴史的建造物であっても、広場は大抵マーケットのイベントの為に解放されるのが、何とも贅沢で楽しい。

カラフルなイースターエッグ

 イースターは卵🥚とウサギ🐇グッズに溢れる。ショーウィンドウなどの飾りだけではなく、チョコレートやお菓子もその型の製品が並べられる。

 ドイツの家の近所でも、毎年イースターの折は、子どもたちが彩色した卵を木々に吊るして飾りつけている。

 こうした行事は、キリスト教徒ではない我々にとっては、ハロウィン同様、今ひとつ馴染めないものの、イースターは春の訪れを感じさせてくれる楽しみの一つだ。

大人気の花と蝶々の卵型オブジェ

 ここでもC国の団体観光客が、オブジェの前を記念撮影の為にぐるりと取り囲んでいた。なかなか交代しようとしないので、他の国の人たちが口々に、
「またC国の人が」と、悪口を言い始めている。
 昨夜の黄金ホールでの彼らの振る舞いが蘇る( ⌯᷄௰⌯᷅ )

 若い子たちの撮影のポージングがとにかく長い‥‥
待っている人などお構いなし。どこの観光地でもそれは特殊な目で見られているけれど、彼らは気にならないようだ。
 自分たちが旅行を楽しむだけではなく、そこを配慮できるようにならないと、いつまでも[そういう人たち]というレッテルを貼られてしまうのに、と残念に思う。
 
 ヨーロッパでも田舎の方に行くと、遠慮なく直接文句を言う地元の人もいるが、言われたとしても、彼らは謝らないし、不服の表情で立ち去るだけだ。
 こうした都会では皆黙って待っている。彼らはそれに何故気がつかないの?といつも思う。

やっと他の人たちも撮影できるように
特設の観覧車は小さいのですぐ一周
アクセサリーはどのマーケットでも人気
子供たちの遊び場
干し草で作られた迷路
硬くがっちりしているので、大人が乗っても大丈夫


 シェーンブルン宮殿へは行ったばかりなので、今回は中は見学せずに、マーケットのみ。ただし宮殿の道向かいにある外のショップで、シシイグッズを買い込む🤭
         *[シシィ:オーストリア皇妃愛称]

フランツ・クサヴァー・ウィンターハルター作
《星の髪飾りをつけたエリザーベト皇妃》
オーストリア皇妃 エリーザベト
ハンガリー女王戴冠式の正装



 前回の旅行でも書いたのだけれど、一昔前と違って、お土産物が豊富になり、シシィの美しさが映える色合いの小物が増えた(プロデュースする人が現れた! やっと商売っ気出た👏と思う)。
 シシィ・ミュージアムにしても、品数豊富になり、お土産文化に慣れた、グッズ好きの日本人女性観光客にも、十分満足いくラインナップになった。毎度いろいろと買い込む。
 いつもシシィの姿を眺めていたい私は、メガネケースやノート各種、小物入れ、石鹸、リップクリーム等、毎日普通に使っている。もはやウィーンのお土産というより、日用品の買い出しのような買い方をしている。

私の日用品

 なお、シシィの《星の髪飾り》のレプリカが、また一個増えていることを、夫は知らない🤭


 もう夫も慣れたもので、昔のように小言も言わず、「新しいのが出たね」とあれこれ眺めている。
 「マグカップのセット新しく出たね。買えば?」と言ったのは夫である(私の趣味の物は、私が稼いできたお金で買うので、夫とは別会計。彼のお財布には響かない)。

 私はいくらシシィであれど、キャラクター物の食器には興味がない。でもマグカップであるし、
『夫は王冠模様の方を使いたいのかな?  ピンク色だけど」
ということで買ってあげる。

 うちは二人とも食器が好きな為、ついこちらでも買ってしまい、食器棚はぎっちりだ。
 こうした旅のお土産気分で買ったようなもの(クリスマスマーケットのマグカップなど)、その為のスペースは既にない。いつか日本に帰る時の荷物に詰めておくことにしよう。

 前回は、シェーンブルン宮殿やシシィ・ミュージアム、お気に入りのカフェなど、シシィゆかりの場所をメインに歩き回った。
 私は何度行っても楽しいのだけれど、ウィーンは他にも見どころが沢山なので、今回は夫の「シシィ関連以外で」という希望優先だ。


 さてお昼に向かう。今日はウィーンで最も古いレストランを夫が予約してあった。
 地下鉄で移動して、中心街からほんの少し離れた静かな場所だ。
 ケルントナー通りを北に進んで、石畳みの坂を上がったところに、特徴的な建物が現れる。

 
 モーツァルトやベートーヴェンなど著名人も通った
レストラン《グリーヒェンバイスル》だ。
 
 神聖ローマ帝国時代の建造物を含む建物で、1477年創業。
 ウィーン最古のレストランとして人気の店である。

 なお『バイスル』は大衆的なレストランを意味する。歴史は古いけれども、ドレスコードはなく、気楽に寄ることができる。
 

外テーブルもあり
神聖ローマ帝国時代の様式を含む建物


入り口

 スタッフは親切。日本人慣れしていて歓迎してくれる。
 ドイツ在住と告げると、更にお喋りが弾んだ。

階段を上がった2階もレストラン
歴史を感じる螺旋階段
黒すぐりのジュース

 ドイツでは、なかなか黒すぐりのジュース(Schwarzer Johannisbeersaft)を置いている店はないので、とても嬉しい。私はワインよりも寧ろこれ。この店のは大変美味。

 プレシャスプランナーさまの音楽の魅力にも溢れたファンタジー小説『お菓子な絵本』に登場する、謎の騎士『黒すぐり』に思いを馳せる。
 少女時代の空想の世界を思い出すと共に、ロマンと冒険に胸躍る名作である🌹




ウィーン風豚肉ステーキ 玉ねぎソース添え
シュニッツェル ジャム添え

 シュニッツェルには甘いベリー系のジャムがよく合う。ドイツのシュニッツェルよりも上品な仕上がり。


 さてこの店の名物は、壁にサインが書かれた部屋である。これを目当てに、日本人も多く来店する。

 モーツァルトなど著名人のサインが壁に書かれている小部屋は、半地下の位置にある。
 食事の予約をする際に、この部屋の見学を頼んでおく方が良い。

 階段下のカウンターを通り過ぎた奥。半地下になっているが、坂に建てられているので窓から光が入る。
 グラスなどは用意してあるけれども、この部屋は見学のみで、予約はできないとのことだった。
 若いスタッフに頼むと、給仕の仕事の合間に、長い棒でサインを差し示してくれる。

 まず最初はモーツァルト。その後、ベートーヴェン、次々と何人も教えてくれたが、近代のミュージシャンの名前も多く含まれていた。

 ベートーヴェンを見失って、再度尋ねたが、彼もよくわからなくなったそうで、後で撮った写真の中から探そうとしたが、これがなかなか‥‥。
 端から端まで眺めていたら、サインは天井にまで及んでいるのでクラクラしてしまうほど。

 壁を拡大してご覧いただきたい↓

この辺りは近代のミュージシャンが多い


《ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト》


《フィル・コリンズ》はギリ知っている


 以下は夫の撮影分である。夫もベートーヴェンが見つけられなかったと話していた。
 もしお気づきの方は教えていただきたい🙏💦

井上芳雄さんのお名前を発見🎶

 はい、お疲れ様でしたm(_ _)m
 探せども探せども、私には《ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン》見つけられず😵‍💫
 


 壁には数々の取材記事が飾られていたが、日本のものも。

『ミセス』の取材記事
サウンド・オブ・ミュージック 大地真央さん主演
年代物のポスターが飾られていた


またね👋

 名残惜しいが、スタッフの仕事の邪魔になってしまうので退散する。


 お昼は2階は使われていなかったが、見学させてもらう。ピアノも置いてある。

2階
おや? 人の家
人の家。トイレがこのバルコニーの奥なので、やむを得ず


 この建物は2階の中庭に面したバルコニーの先にある建物やレストランの上の階は、アパートとなっており、入り組んだ構造となっている。
 2階のレストランも見学した後、古い古い螺旋階段をそのままうっかり上がったら人の家(^◇^;)

 スタッフのサービスも心地良く、快適なレストランだった。15世紀の建物がこうして活用されている価値を噛み締める。
 また訪れたい場所である。

 あの半地下の小部屋では、ウィーンにいた時代のモーツァルトが、仲間たちと食事しながら、はしゃぐ姿を想像した。

 そのモーツァルトに憧れたベートーヴェン、親交のあったハイドン。
 またハイドンとベートーヴェンは師弟関係であり、同じ時代、ウィーンで生まれたシューベルトはベートーヴェンを強く尊敬していたと言われている。
 
 同世代のヨハン・シュトラウス1世、またその後の時代に活躍した2世、巨匠ぞろいのウィーン、音楽の都たる由縁である。
 こうした才能溢れる音楽家たちが影響し合い、多くの楽曲が生み出された場所。

 ウィーンは音楽家たちのゆかりのスポットを訪ねるのも楽しい。
 モーツァルトは6歳の時、シェーンブルン宮殿で御前演奏を行ったのは有名な話であるし、3年住んだ現在モーツァルトハウスと呼ばれる家で、『フィガロの結婚』を書いた。すぐ近くのシュテファン教会ではコンスタンツェ・ヴェーバーと結婚式を挙げている。
 
 いろいろな視点で観光を楽しめる、それがウィーンだ。
 地震がないこの国は、王宮をはじめとした多くの歴史的な建造物が残る。
 先ほどのレストランにしても、街に多く残る建造物は後の世までも活用され、何百年も前の人々と空間を共有できる。
 こういう機会がある度、羨ましく思う。

 
✨🎻✨🎹✨🪉✨🪈✨🎺✨🎷✨🥁✨


 ウィーンの旅はここまで、翌日ザルツプルクに寄ってから帰途につく予定だ。
 この日はウィーンから2時間ほど移動して、ザルツプルク郊外の途中のファイステナウ村で宿泊する。

こんなのどかな村
スイス、オーストリアはSPARが多い


 イースター当日の夕方のせいか、皆さん自宅で過ごしている様子で静かな光景だ。
 到着して、バルコニーからどこまでも山と緑が続く景色を眺めながら、一休み。ウィーンの日本食材店で買ってきたお団子🍡を味わう💕

 ブレーメンで食べた時のお団子の写真は、嬉しくて手ブレしたのだが😅、こちらは更に美味しそうで、撮影前にフライングして食べ始めてしまった。実際、こちらのウィーンの店のお団子は更に美味で大変結構♪

どうしても撮影したくなるお団子🍡


 窓から見える特設の大きなテントには、地元の若者が集まって、翌朝までイースターの催し物をやっていたようだけれど、静かな田舎のこと、明らかにご近所に配慮して音楽も控え目で、窓を閉めると殆ど聞こえない。 

 ウィーンの華やかな街も良いけれど、山の見えるチロル地方ののどかな風景は落ち着いて心地良い。


右が特設テント、若者が早朝から片付け中 
曲がりくねる道のショートカットの為、牧草地を突っ切る人多し


 宿泊したホテルは朝食の口コミが高い。バイキングではなく、全部セッティングしてくれる珍しいスタイル。 なかなかチェーンのホテルでは味わえない、家庭的な美味しさだった。

ドイツ、オーストリア、スイスの朝食は大体このメニュー
焼きたてパンも美味


 
 村を出発してザルツプルクへ。


 ▪️ザルツプルク到着

旧ザルツプルク大聖堂
ザルツプルク大聖堂
モーツァルト博物館(モーツァルト生家)
(一階はSPAR  )
モーツァルト広場 モーツァルト像

 このモーツァルト像は、建立が計画されてから、1842年に完成するまで、何と100年かかったことで有名である。

 何故か。モーツァルトの才能は理解しつつも、私生活における諸々の奇行に対して眉を顰めたザルツプルク市民からの反対があり、建立は見送られ続け、やっと100年かかって完成したのだ。


 ザルツプルクの街はモーツァルトの出身地として知られ、賑わい、黄色い建物の生家は博物館として連日多くの人が押し寄せる。

 モーツァルトが宮廷音楽家であったザルツプルク大聖堂。大司教との不仲によって、モーツァルトはザルツブルクを去ることとなる。その歴史に思いを馳せる人々がやって来る。
 コンサートは勿論モーツァルトの曲を聴く為に人が集まる。
 チョコレートのパッケージや、土産物の数々も、あれもこれもモーツァルトづくしだ。


 モーツァルトに関わる全てが、この街に収益をもたらし続けているのだ‥‥
 モーツァルトが、あの音楽が、あの才能が、この世に存在したからこそ。
 
 モーツァルト像建立に反対した市民たちを思い浮かべて、
「バーカバーカ💢」と呟く私なのだった。





 ▪️モーツァルトを失ったザルツブルク

1781年6月、25才のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは足蹴りにされる。ザルツブルクの統治者だったコロレド大司教の命令によって側近のアルコ伯爵が文字どおり足で蹴飛ばした。この宮廷音楽家を大司教の宮殿から追い出すという象徴的な行為だった。この事件を機に、モーツァルトは荷物をまとめてオーストリア帝国の首都ウィーンに向かう。モーツァルトの故郷ザルツブルクが天才を失った日だった。

なぜ大司教とモーツァルトは決別したのか。安い給料を理由にあげる人もいるが、モーツァルトはザルツブルク市内の別の貴族が3倍の給料を払うといっても応じなかった。核心的な要因は「尊重」と「自由」だった。

幼い頃から欧州各国の君主に謁見し、法王から黄金拍車勲章を受けたモーツァルトは、大司教が自分を単なる召使いとして扱うことが不快だった。決定的な不和に油を注いだのは、大司教が彼の外部活動を妨害したことだった。自由闊達な性格のモーツァルトは、ミュンヘンをはじめ大都市に行って実力を披露したかった。しかし、大司教は自分の「召使い」が思いのままに行動することが我慢できなかった。

この不協和音の損益はどうか。短期的にモーツァルトには損害ではなかった。ウィーンでピアノ協奏曲をはじめ自作曲の演奏会を開き、成功を収めたからだ。その後人気が落ち、困窮したという話もあるが、誇張されているという分析もある。大司教にも損害ではなかっただろう。自分の言うことをよく聞く新しい楽長を選べばいいからだ。損害を被った人がいるなら、それはモーツァルトを失ったザルツブルクの音楽ファンだろう。当時、モーツァルトはすでにザルツブルクの中でも自作曲の演奏会を開き、多くの崇拝者を確保していた。

モーツァルトを送り出したザルツブルクは、今日モーツァルトの都市として全世界から観光客を引きつけている。コロレド大司教と側近のアルコ伯爵が笑い話になっただけだ。絶対主義時代ゆえであり、当時ザルツブルクに元老院や議会があったなら、市民全体が後日、悪く言われるところだった。

《東亜日報》記事より





【あとがきと予告】
 《黄金ホール》の単独の記事から始まり、ウィーンの旅は、途中で行事が重なり、後編がなかなか書けずにおりましたが、やっと完結です。
 旅の終わりが「バーカバーカ」というのも、どんなものでしょう(^◇^;) 
 
 次回は、ノイシュバンシュタイン城を建立したルートヴィヒ2世の美意識の全てが凝縮された城、ヘレンギムゼー城、そしてリンダーホーフ城。
 建てられたのが島、そして人里離れた森の中、と場所的に大変行きづらいことから、ノイシュバンシュタイン城ほどには足を運んだ人は少ないと思いますが、驚きの連続、美の極みといえる素晴らしさです。
 私がこれまで観てきた城の中で、間違いなく最高峰の美しさ。建てられたのが後の時代であるとはいえ、ヴェルサイユ宮殿を遥かに凌ぐと言えましょう。
 興味のおありの方、お楽しみに!





 

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