美しき牧草地帯の謎〜オーストリア、イタリア、スイス山岳地帯の旅〜前編
どの旅にも、何か発見や驚きがあった。大きな事柄ではない。
それにまつわる事柄は、記憶の底には存在していても、二度と思い出すこともないままであったとしても、何ら不思議ではなかったはずなのに。
いきなりそれが何十年ぶりに、頭に浮かぶ時、それは一つの奇跡のように思えるのだ。
私自身が元々ヨーロッパが好きなので、どこの国に対しても、ある点において、浅く狭い範囲の知識と共に、深い思い入れと興味と、執念にも似た何かがあるのだ。
オタク?‥‥という言葉が今一瞬チラついたけれど、真のオタクの方々は広範囲で、かつ詳しい知識をお持ちなので、私などはとてもその内には入らない。
そして、大抵行く場所のどこかに、自分の中のテーマ曲があり、車の中でつい繰り返し歌ってしまう。
⚫︎ドイツ
ライン川沿い‥‥‥ローレライ
⚫︎イタリア
ヴェネツィア‥‥‥サンタ・ルチア
ヴェローナ ‥‥‥ロミオとジュリエット
ミラノ‥‥‥‥‥‥‥誰も寝てはならぬ
(舞台は中国トゥーランドッド/初演はミラノ)
⚫︎オーストリア
ザルツプルク‥‥サウンド・オブ・ミュージック
モーツァルト楽曲 (口笛と鼻歌)
美しき青きドナウ
⚫︎フランス
パリ‥‥‥‥‥‥シェリーに口づけ
Comment te dire adieu
ヴェルサイユ‥‥ヴェルサイユのばら 2曲
⚫︎スイス
マイエンフェルト‥‥ハイジ 2曲
グリンデルワルト‥‥ヨーデルを適当に
⚫︎チェコ
プラハ‥‥‥‥‥‥‥‥モルダウの流れ
浅く狭い範囲のラインナップである‥‥思い入れだけはある。
これらを旅の移動中、歌いまくる。夫は別に何も言われない。
今回はイタリアの山岳地帯に向かう途中に一曲が浮かび上がった。
しかし、今回は旅疲れのせいか、何か頭の中が不具合を起こしているようだ。イタリアにはふさわしくない。他に何かあるはずだ、絶対何かあるはず‥‥
高い山を見ながらなので、せめてスイスバージョンの『ハイジ』でよかったはずなのに(T ^ T)
出てきた歌は、
さあ 楽しいポーレチケ
ポーレチケ ポーレチケ
踊りましょう ランラララン
歌いましょう ランラララン
ポーレチケのリズムにはずむよぼくたちは
大きな森大きな木
大きな木大きな木
手をつないでくるくる
まわりましょう くるくる
大きな木をかこんで楽しくまわろうよ
『歌おう楽しいポーレチケ』だった‥‥
チェコの歌じゃん(T ^ T)
意気消沈する私。「何故今ポーレチケ?!💦」と呟く。ううう。
夫が一言、
「教科書に載ってたから、覚えてたんじゃない?」
確かにそうだが、そういうことではない。
不甲斐ない‥‥脳が不具合だ。旅の行末が案じられる。
牧歌的な歌である、ということで溜飲 を下げることにする‥‥
✨✨🏔️✨🏔️✨🏔️✨✨
夫が決めた旅先、日程ではあるものの、どこへ行こうが、家から車で行かれる範囲は好きな国しかない。
旅先に関して何の不満もない。なんなら行きたいと思っていたものの、口に出さずにいた場所の近くをたまたま通ることがあり、急遽寄ることにして、「夫、よくやった」と褒めたりもする。けれど日程がキツすぎて、大抵その評価はすぐ取り下げられる。
今回の山岳地帯に行くとはいえ、ハイキングコースに挑むわけではない。けれど多少の山道、多少の坂道くらいは覚悟しなければいけないはず。
私の体力は保つだろうか、気温22度、過ごすには快適な気温であることは救いだ。
さて、旅の初めはイタリア🇮🇹山岳地帯へ。
スイスとオーストリアとイタリアはお隣同士なので、ドイツからは行きやすく、ふと気づくと国境を越えている。
そして前からいつもぶつぶつ言っているのだけれど、ドイツから車を走らせると、まだ国内であっても、山沿いの景色はすぐにスイスっぽくなる。
ドイツもスイスもオーストリアもイタリアも、高い山の違いはあっても、山岳地帯の牧草地の緑の中に、教会があって、村があって、山の傾斜地に張り付くように家や納屋が建っている様子は、はっきり言って大体全部一緒。全部綺麗。



その風景の写真を人に見せれば、恐らく大抵は
「あ、スイス」と答えられるはずだ。イメージとしてはスイスの風景なのだ。
アウトバーンから見える風景は、このように大体全部同じように見えて、どこがどこかわからない。それでも、そびえ立つ高い山の様子で、大体見当はつくようになった。
スイスに入ると高い山が次々現れる。国土の7割が山岳地帯であるスイス。春はパノラマの窓の登山電車に乗る旅をしてきた。山と湖と登山電車、日本人の好きな要素が沢山のスイス🇨🇭。
「山も物価もとても高い‥‥」といつも夫が話している。
そう、スイスはものすごく物価が高くて、頭が痛い。スイスフランはユーロの1.1倍。買い物をして計算をしてみると、ギャッ💦となる。
地上はまだいい。山の上の方で、お土産物などを眺めると、想像を変えた金額が表示されている。何かの間違いではないかと思うレベル。
でも旅先を決めたのは夫なので、その覚悟があるのだな、と思い、気にしない。
以前、スイスの物価について、わかりやすい話を一度書いたことがある。ハンバーガー🍔の例。
アウトバーンのパーキングエリアに入った時、バーガーキングがあり、やけに空いている、と思ったら、夫が値段表を指差した。
プレーンなハンバーガー🍔が一個22€。
あの一個が、約3780円😱
一瞬『何のこと?』と、わからなくなったくらいだ。ただただ、物価が高いのだ。
店内は食事時なのに誰も座っておらず、土産物などが並ぶ売店の方で、食べ物を買う人ばかりだった。
家族でハンバーガーに飲み物付き、ポテト付き、子供たちからお子様セットをねだられると、お昼は簡単に2万円くらいとなる。
バーガーキングなのに!!!
思わず太字にしてしまった‥‥
「この物価に対応する為には、スイスに住んで働くしかないよね。で、節約する場合は、食料品と日用品の全てを、隣の国に行って買うことにする。
シンガポールの人が、マレーシアで日用品を買うみたいな感じで」あそこも国境が近い。
住む予定もないのに、算段を始めてしまう。そのくらいの衝撃だ。
✨✨🇨🇭✨💰✨🇨🇭✨💰✨🇨🇭✨✨
さて、懸案の牧草地の暮らしの話だ。物価に関してはスイスが極端に高いので例として挙げたけれど、以下の山岳地帯の家々の様子は、イタリア・オーストリア‥ドイツの様子も含まれる。いずれもチロルっぽい美しい風景が見られる。
『代表してご本家スイス』という意味で、置き換えてお読みいただきたい。
スイスの集落を眺めると、大抵どの家も、大変美しい暮らし方をしている。一戸建ての家の周りは余計な物が何も置いていない家が多い。田舎の方へ行けば行くほどその傾向が強い。
特に農家が美しい。家だけでなく、納屋までもだ。木でできた納屋の窓辺にはゼラニウムなどの花が美しく咲き、納屋の前には木のベンチやガーデンテーブルが置かれ、そこで寛ぐ生活の様子がうかがえる。
何故スイスの家は、このように美しいのだろう。いつも思ってきた。何故家の周りに余計な物が置かれていないのだろう。何故、納屋にまで花が飾られるのだろう。
観光立国だからと言って、ある程度の決まりはあったとしても、全ての個人宅に条例が課せられているとは思えない。でも景観の美というものを個々に意識しなければ、あのように美しく家を保つことはできないはずだ。
日本の我が家のそばにも農家はあるけれど、大抵納屋周辺には、プラスチックケースが置かれていたり、棚があったり、道具があったり、板やらビニールやら、様々な仕事用具が置かれている。
それらが整理されていたとしても、スイスの家々のように、家の建物や納屋の周りに、一切何も置かれていないのは、日本の農家ではまずないだろう。
そして家々の周辺は、全て緑の牧草地だ。家を一歩踏み出した瞬間に、地面は全て緑なのだ。その美しく整えられた緑の大地に、まるでその地面から生えたように、小綺麗な家が建つ。
この点は、スイスであっても、街中では味わえない無理な話。家を出れば石畳であったり、アスファルトであったりするのが当たり前なのだから。
スイスは街中も大変綺麗である。綺麗ではあるが、「人が手間をかけなければいけない」という観点からすると、田舎の美しさこそ、人の手がものすごくかけられた、ある意味人工的とも言える、驚異の風景なのだ。
私はいつも車の中から、広大な牧草地を眺めながら、
「一体この家は、何ヘクタール土地があるわけ?」
「ここの全ての人が農家なの?」
「何故、全員家を綺麗にしていられるの?」
「何故、納屋まであんなに可愛いの?」
「何故、こんなに豊かなのー?!」
と叫びっ放しなのだ。



人家がない山の上の方には、牛や馬、山羊などを放牧させていて、点々とそのそばに小屋がある。人の姿は大抵見えない。その山の小屋にしても、周囲に一切何も置いていないので、ただの小屋であっても、風景に溶け込んで、とにかく美しい。
そういう景色を、ただそのまま通り過ぎるのは勿体なくて、写真を撮ってきた。
これまで他の世界遺産の街の風景や、美術館や教会も山のように撮影してきたけれど、遙かに多く撮影したのは、山岳地帯の牧草地に囲まれた普通の家々の写真だ。ほぼ全部緑の写真。どれだけ撮ったか見当もつかない。
牧草地が見渡す限り続く丘、全てが緑の大地だ。そこに点々と建つ可愛らしい家、緑の中を緩やかなカーブを描いて続く白い小道、そこを走る自転車、並木道、道の途中に置かれたベンチ、その先の教会。
何も考えずに写生しても、そのまま描けば絵本の世界だ。
何故、こんなに美しいの?!
頭を抱えてしまう。抱えなくてもいいのだけれど、考えれば考えるほどわからなくなる。
私が悩むのは、できれば真似をしたいせいでもある。全てが緑の中に建つ家は無理としても。
スイス的な地面の発想で考えれば、全てが緑の状態なら、そこにどんな草が生えようが、均一に機械で刈れば良いだけである。更に家の周囲に余計なものが何もなければ、とても刈りやすいはず。
我が家の日本の家の庭は、芝生は芝刈り機で刈り、飛び石を置いてある土の部分、玉砂利の部分、またその間などに生えた雑草は手で取るしかない。更に花壇や庭木の手入れもある。長年、前の代から大変な手間をかけ続けてきた。
あれら全てをなくし、全部平らにして、全て芝生にする。スイスの牧草地のようにできないものか、と真面目に考える。
しゃがんで雑草を抜く、という非効率で疲れる不毛な時間をなくし、全てを芝刈り機で刈るだけ!
もうそうする時期がきたのではないか、と美しい景色を見ながら、そうだ、そうだ、そうするべきだ、と考える。
庭の真ん中の様々な庭木のことを思い浮かべると、暗澹たる気分になってしまうけれども。
将来、家の管理をするつもりの長女からは、
「お願いだから全部コンクリートにして。絶対庭の手入れは無理だから」と言われている。
その気持ちはよくわかる。
そもそも、このスイスの敷き詰めた絨毯のような緑は、どのように管理するのだろう。
広くて平らな場所はわかる。大型機械で刈っているから。しかし、とんでもない傾斜地とか、線路際とか、林のそばとか、誰が管理しているのか、よくわからないような隅っこまでも、全部緑の絨毯状態になっているのは謎すぎる。
そして、刈ったらその草を集め、まとめ、保存する工程が待っている。あの広さだ、相当な日数がかけるはず。なのに、その途中のやりっ放しの状態だとか、片付かずにぐちゃぐちゃになっているような場面を見たことがない。
どこに行っても、綺麗になっている状態しか見たことがない、謎だ。
人生の多くの時間を、牧草地の管理に費やす人々が、どれだけ多く存在していることか。これほどの広さの土地を美しく保ち続ける。気が遠くなる。
また牧草地にしても、畑にしても、昼間働く人をまず見かけない。これだけの回数、車から騒ぎながら眺めているというのに、農家の方々はどこにいるのだろう、全くお目にかかれない。
朝の涼しいうちに仕事をするのだろうというのは、私もわかっている。わかっているけれど、昼間誰の姿も見ないというのは不思議で仕方がない。
日本の近所の農家の人たちは、朝とても早く出かけて、食事の為に戻ってくるようだが、昼間も何かといろいろ仕事をしている様子だった。
朝の仕事‥‥日本の田舎は蚊が多い。朝、外で働く多くの人は悩まされているはずだ。その点、ヨーロッパでは滅多に蚊にお目にかかることはない。外で快適に過ごせることで、生き方に随分差が出る気がする。
我が家も育てているバラを眺められるように、ガーデンテーブルのセットを置いてはいるけれど、蚊が嫌で、夏はとてもそこには座っていられない。
虫除けスプレーや虫刺されの薬を、薬箱の中ではなく、出入り口や外の物置など、すぐに使える場所に置いておかなければ間に合わない。美しくない。
以前私は朝の庭掃除の折、毎日手足を20箇所以上刺されていた。肌を出さないようにしても、服の上から刺してくるのだ。これも実に美しくない。
スイスの家や納屋の前、或いはバルコニー、あちらこちらに置かれた木製のベンチはその風景を更に美しいものとしている。そこで寛ぐ時間をいかに人々が楽しんでいるかが伝わってくる。
外で家族や友人と寛ぐ時間は必然なのだ。おまけにそこには蚊がいない。
なぜこうも違うのだろう、と思う。
✨✨🏔️✨🏔️✨🏔️✨✨




⚫︎イタリア 【サンタ・マッダレーナ村】
さて、サンタ・マッダレーナ村に向かう。ここは北イタリアのドロミテ山塊の最奥にある。
ドロミテとは、北イタリアのドロミテ街道を中心として東西南北に広がる山岳地帯で、2009年に世界自然遺産に登録されている。
フネス谷にあるこの村は、JATA(一般社団法人 日本旅行業協会)の『ヨーロッパの美しい村 30選』に選ばれた美しい場所。
オーストリア国境に近く、南チロルと呼ばれる地域で、ドイツ語が話されている。

アウトバーンを降りてすぐ、山あいの道に入った。
カーブの多い道を20分ほど進む。若干岩山の壁の横を通ったりはしたものの、ここは緩やかな坂が続き、さほど狭い道ではなく、村までの道は、いつものスイスの山道の怖さを味わうことはなかった。

坂道を上り続けていくと、集落が見えてくる。かなり標高も高くなってきた、と感じた。

ここから山に沿って、しばらく大きく左へ曲がっていく。
景色が綺麗になってきたので、両側の民家をスマホで撮影していたところ、今度は右にぐっと曲がるカーブに差し掛かった。
曲がった先に、それまで右側に続いていた山の上に、突然ぬっと高い山が身を乗り出すような形で現れて、思わず夫も私も「うわっっ!!」と声が出る。
驚きすぎて、最初のその瞬間は撮影できず、山に見入ってしまった。

ガイスラー山群
巨人がいきなり姿を見せたかのようなスケール間。『伝説の巨人』のあの大きさを体感した気分になる。
この大きさは怖い‥‥山で良かった。
しばらくこのガイスラー山群を右に見ながら進み、やがて山は少しずつ後方に変わり、離れながら坂を上り続ける。家が増えて、ホテルなども見えてきた。
サンタ・マッダレーナ村に到着した。




この村は日本人から大変人気があるという。村には何軒かホテルはあるものの、観光地化されていない。
ガイスラー山群が眺められるというだけではなく、素朴な村の普通の暮らしがそこにあり、自然豊かな姿そのままが残されていることが、人気の理由のひとつのようだ。

人気のある場所へ散歩に出ることにする。ホテルから少し歩くと納屋があった。
使い込まれた現役の納屋である。農夫が出入りしているのが見えた。道具は整理され、外側には何も置かれていない。薪は整然と積まれている。
ゼラニウムが咲きほこり、彩りを添えている。納屋であるのに美しい。これぞヨーロッパの納屋だ。
写真左手奥には、鶏が飼われていた。

個人宅。広い庭、ゆったりした暮らしが伺える。羨ましい。余計な物が置かれていないので、実に芝が刈りやすそうだ‥‥。
少し下ると分かれ道に出た。地面にマークがある。

村の中を通って、坂道を登って行くと、高台にサンタ・マッジョーレ教会がある。
村お勧めの撮影ポイントでは、その教会を右に入れて、奥にガイスラー山群を望む写真が撮れるようだ。観光案内などに使われる写真も大抵それ。全体のバランスが良くとても美しく、村の豊かな自然がよく表されている。
「ん? 教会を右の方に小さく入れる、ということは、教会を通り過ぎて、かなり先まで進んで、更に高台に行かなければこの構図は無理じゃない?!」
嫌な予感がする。
しかし、この村にやって来た観光客の全ては、そのポイントを目指すようだ。村に滞在することだけでも十分心地良いけれども、村の唯一の観光スポットだ。行くしかない。外を歩いている人は、全員分かれ道から、長い上り坂を上がって行く。
取り敢えず教会くらいまで行ってみようか、ということになった。というのは、我々が到着した頃から、ガイスラー山群には雲がかかり始めている。
どうせなら晴れた日の写真が撮りたいから、明日も行くことに決める。まずは下見だ。
ということで歩き始める。夫調べでは、教会まで村から9分とあったようだが、それはまずあり得ない。ダッシュで上り切れる人なら可能かもしれないけれど。










「え?! 昼間にお仕事してる!!!」
この時間に働く人を初めて見た。それもこんな近くで。感動する。
午後3時くらいである。気温が22度と涼しいので、問題なく仕事ができるのだろう。
別の草刈機で刈った草が一列に並んでいて、このトラックがそれを跨いで通っていくと、車の最後部が草を掻き込むように回転して、車の荷台に草が積み上げられていく。

またこちらは、先程の農家の家を通り過ぎたあたりの傾斜地で、比較的小ぶりな草刈機の作業が見られた。
下の平らなところから横に刈り続け、次第に上がって傾斜がキツくなると、当然機械も斜めの状態になっていく。






先程の草刈機を見下ろす位置まできた。
この後この人は、更に急な角度に突入する。坂を上っている人は、全員その見事な機械捌きを眺めている。
私の長年の疑問はある程度解決した。
[傾斜地の草刈りは、農夫さんが大変無理をする]
以上。
刈りにくい場所は、夜のうちに小人さんたちがやって来て、刈ってくれているわけではないことくらい、私にもわかっていた‥。
誰かがどうにかして刈るしかないのだ。緑の絨毯の美しさの維持は、総力を上げて執り行われる。
こうして昼間作業をしている人たちを初めて身近に見ることができ、尊敬の眼差しを止めることができない。
日本では誰も手をつけられない休耕地や、誰の土地かわからない道端とか、草ボーボーになっている場所は幾らでもある。
しかしこの山岳地帯はどの国でも、本当に隅から隅まで綺麗に刈り込まれている。たまに一区画、草が伸びているところを見ると驚いてしまうくらいだ。
しかし隅から隅までなので、崖に近い場所や傾斜地も当然その該当場所なのであり、相当に、本当に怖い。
小さめの草刈機はいつひっくり返るかわからない角度になっても、作業が続けられている。
真横から撮影したかったが、既に上の方へ上がって来ていた為に、それを表現できる写真はこれ以上無理だったが、観光客たちも驚いて、立ち止まって見守っている。
「もうやめてぇ💦💦」と呟いてしまうくらい、おじさんと機械は斜めになって行った。
相当な角度まで倒れないように、設計されているのだろうか、あれは。












これは先程のマリア像より、少し教会寄りの場所。
撮ってしまうと、この急な崖がうまく表現する できずに、なんの写真ですか?としか見えないが、実際は小径から急角度の崖のようになっており、足を踏み外せば数十メートル転げ落ち、先程の農家までは止まらないだろう。
*大袈裟ではありません😱
日本では危険な場所には、最初から柵が設けられており、入れないようになっているところが多いが、こちらでは立ち入るなら自己責任、というしかない場所が様々ある。海がないので、湖で泳ぐ人は多いが、規制線はない。
泳ぐのは構わない、しかし監視する人もいないから、全てあなた次第、というわけだ。
この小径の際までが牧草地であり、立て札に、[私有地。この部分に座らないで]と注意書きがある。
[ここは動物の餌を育てているのだから]とのこと。
ここまで上がって来た人は疲労困憊している。ベンチが埋まっていれば、どこでもいいから、座らなければ耐えられないくらいの状態になっている。
この小径の際に座れば椅子に座ったのと同じくらいの角度であるし、山が正面に見え、さぞかし気持ちが良いと思われる。そう考えて座った人もかつて大勢いたことだろう。
そしてちょっと気を抜くと転がり落ちる。停止するような角度ではなく、一気に農家のお宅まで転がり落ちる運命だ😱
[危険だから座らないで]という立て札ではないところがミソである。
[動物たちの餌だからね、座っちゃ駄目だよ]という優しい飼い主さんの警告である。誰も無視するような輩はいない。そして実際、超危険だ⚠️

教会裏手には、隣りの建物横にトイレがあり、休憩用の長いベンチが設けられている。
ここまで50分くらいかかった。9分って何?!
他の人たちも同じくらいかかっている。
帰りに先程の牧草地を転がり落ちれば、そのくらいで帰れるかもね、と話す。
そこから先は長い下り坂がある。ベストショットポイントは、そこを下まで下り、また登り坂を上った先、この教会より標高の高い位置のようだ。そうでないとあの写真は撮れない。
遠くを見ると、人々が沢山そちらに向かい、上った先で休みながら、景色を堪能している様子が米粒大に見える。くらっとする。
上って来た距離以上に先はまだ長い。明日はどうなることか。

✨✨⛪️✨⛪️✨⛪️✨✨
翌日の朝、バスで登山口まで上がって、ガイスラー山群を近くで眺めてきた。迫力の写真は後編で。
このバスで行く道がまた‥‥大迫力だった😱
村に戻って、ベストショットポイントでの撮影に再チャレンジする。登山口まで行ってわかったことであるけれど、山に近づけば迫力があって感動はひとしおだ。けれど、山の全容は当然見えなくなるので、美しいかどうかはまた別である。

村のホテル周辺からの山の景色も美しいが、ベストショットポイントならば、山が更に横に広がる様が見える。全く別の景色となる。 あの坂道の辛さは堪えるが、行くしかない。天気は良好。出発する。
昨日の経験から、我慢のしどころポイントと、休憩ポイント、美しき撮影地点の確認はできている。
上り始めてわかったことは、何度来ても辛い😓、そして、昨日の筋肉疲労もついでに背負っている。
あの坂の途中の農家の孔雀や鶏🐓は、村の分かれ道からそこまで頑張って上った人々の癒しになっている。
小径のすぐ脇に小屋があるので、ほぼ全員の人が癒やされて、立ち止まって休憩しつつ、撮影している。ある意味あそこも観光スポットだ。
この農家の窓に飾られている花々はよく手入れがされていて美しく、やはりこうして村の景観に貢献している。

坂道の最後の大カーブの脇では、昨日の草刈りの大仕事の跡が、何筋もの畝となって残っている。では、今日は回収作業ですな、と眺める。
あの坂では回収作業のトラックはとても対応できないので、別の機械が登場するかもしれない。ワクワク。
教会に到着。休憩して撮影ポイントに向かう。昨日は教会までだったので、そこから先は未知の世界だ。大袈裟なようだが、見えているけれども田舎のなだらかな道や丘の先は予測がつかなくて、最後の急坂を上れるのか、迷いながら進んでいる。
やって来た人たち皆、行くしかないと決めて来たものの、予想以上の大変さだと感じている。素朴で美しい村の小径は、様々な国の人々との運命共同体的な雰囲気に満ち、声を掛け合う姿が見られる。
本格的な高い山に、経験のある登山者が挑戦するのとはレベルは違うものの、素人が普段着で、ちょっと手ぶらで、気軽に来ちゃった割には凄すぎた!!という大変さなのだ。坂のキツさは半端ない。
ツアーでこの村に立ち寄って、この撮影ポイントが有名だからと、写真だけ撮る人たちも多いようだ。
このように歩くと何時間かかかってしまう為に、ツアーの人たちは、もう少し高台の方に、バスは通行可能(村人のみ通行可能で、一般車は立ち入り禁止)な道があり、そこから撮影だけするようだ。
美しく広がるなだらかな丘陵地は、こうして車の規制がされて守られている。
この村に宿泊して、歩いてここまで来ることこそ醍醐味なのだ、と自分に言い聞かせる。
教会から下っていくと、道の左側はまた牧草地で、ここでついに手で草を買っている夫婦に遭遇する。
傾斜がきつい場所で、道のすぐ下の際の部分は、やはり手で刈るしかないのだ(T ^ T)。手で押して刈る小型機械も使えないようで、手作業。




夫婦は帽子も被らずに、ひたすら長い鎌で刈っている。首タオルすらなし。
ヨーロッパの人はお洒落なボルサリーノは被っても、作業用の帽子は被らないのだ。これも謎の一つ。
気温が低くて涼しいとはいえ、日差しは強く、紫外線も高い。夫婦とも肌はかなり日焼けしている。
日本の作業用の麦わら帽子とか、女性の布の作業用の帽子で、襟元まで覆うタイプ、あれは実に理にかなっている、と思う。
また日差しを直接浴びるのは体力を奪われるだろうし、機械を扱うし、蜂や蛇など危険もあるので、日本人は長袖、長ズボンで作業をするが、こちらの人はTシャツとか上だけ半袖の人も多い。
この夫婦もラフな普段着だ。
『ワークマンで売っているような服の方が安全だろうけど、日本とは考え方が違うのだろうな』
などと思いながら、黙々と作業をしている横を通り過ぎる。
『観光客が遊びに来て、お気楽に写真撮りに行く為だけに、ここをぶらぶら通ってすみません🙏』という気になる。
この人たちも昼間作業をするのだなぁ、と改めて思う。恐らく土地が広すぎて、また人力でやる場所も多い為、昼間もやるしかないのだろうか。
丘の上の教会を通り越してから、下り坂を既に15分歩いている。つまり帰りはまた上り(T ^ T)



下り坂が終わり、また上り坂になる。覚悟していたが、疲れている分、こちらもまたキツい。
途中で一息つきながら振り返ると、どこも山は綺麗に見えていて、もう撮影はここでも良いのでは、とふと思う。
ところが坂を何メートルか上がる毎に、見える位置が変わって、山も更に横に広がって見え始める。



そしてやがて最後の難所に到着する。ベストポイントに向かう為の専用の立て札が。
急勾配の細い上り道。既に犬はバテて、知らない細道に難色を示している。夫と交代で抱っこする。

行くしかないのだ。最後の難関をそうやって上りきると、いきなり景色が変わっていた。
途中途中で振り返ると、どこも大抵は綺麗だし、山も綺麗に見えていたのだ。ところが何メートルか上がる毎に、見える位置が変わって、手前の木々も視界の下の方になり、山も先程よりも更に横に広がって見え始める。
細道をとうとう抜けて、ここが最後の最後という斜面を上り切って、辿り着いたのは一本の木、そしてその下のベンチだった。
到着した人々は、近くに寝転がったり、ベンチや石積みのところで息を整えている。
このポイントで、もう一歩も無理と感じる人が殆どのようだが、あと50メートルほど斜面を上る体力が残る、健脚で精神力のある人は、更に上まで行って、林の木陰に座っている。
夫ですら、あそこまで行く必要はなし、と言うくらい高い位置だ。木の下は人が集まってしまうので、林の日陰でのんびり過ごすのだろう。
人には限界と、更に限界の先に踏み出す心理、というものが存在する、と疲れた足が言っている。
確かに、辿り着いたこの場所はベストショットポイント。手前に見えていた林はもう邪魔ではなくなり、ガイスラー山群がほぼ完璧な状態で撮影できる。その手前の山の木々、中間に白い教会、そして手前に広がる牧草地の緑がフレームに入る。完璧だ👍✨✨

涼しい風を受けながら、撮影を堪能し、村を眺める。
先程手で草を刈っていた夫婦は、途中で眺めたら、刈り取った草を道の際に集めていた。そこに例のトラックがやって来て、集められた草の上を跨いで通り、掃除機が吸い取るように、後部の歯で掻き上げられた草は荷台の中に納まった。
道の際ギリギリにタイヤを合わせて、草を集める作業も見事だった。あれは慣れないと怖いだろうな。

存分に写真を撮り、満足して村の真ん中に戻る道を再び辿る。
長い下り坂の後は、教会までの登り坂。とても大変。でも歩くしかない。
頑張って教会に到着。建物の前の長いベンチで水分を補給する。しばらく立ち上がる気力は出ない。
座ってしばらく教会の向かいにある一軒の家や、横にあるその家の牛舎をぼんやり眺めていると、牛舎の後方には広い牧草地が広がっていて、そこをトラックが走っているのに気がついた。先程のトラックと同じ車?

すると牛舎から、疲れてクタクタの様子の奥さんが出て来て、家に入って行った。先程、途中の道の横の牧草を手で刈っていた奥さんだ。
『お疲れ様です』と心で労う。
ということは、あのトラックは旦那さんが作業中なのだろうと眺めていると、信じられない光景が。
牛舎の後ろはスキー場のような、広く急勾配な牧草地が広がっている。見ると縦に刈った牧草の畝が、ストライプを描いている。
『縦移動?!』あの上まで、あのトラックで上り切るということ?!😱
昨日の途中の農家さんの小型の草刈り機は、横に移動しながら刈っていたので、牧草地は遠くから見るとボーダー柄のよう。そして急勾配の上に上がれば上がる程、車体は斜めになっていた😱
縦でも横でも、とにかく怖い‥。

旦那さんはその畝を回収中。下から上に、上の少し平らなところで向きを変え、上から下へ。
『あの位置から、あの角度で下に下る?!』思わず立ち上がって、スマホを望遠に変える。
息を呑むように眺めていると、トラックは草を集めながらあの坂を上りきり、向きを変えて下ってくる(T ^ T)
慣れているのだろうけれど、何故それができる?!
* 写真で見ると、手前から撮影している為、角度が緩やかに写ってしまうが、車が向きを変える一番上の位置のすぐ下は、かなりの急勾配になっている。

車の運転をされる方は想像していただきたい。道から、いきなり急勾配になっている坂を下り始める瞬間の感覚を!
或いはスケートボード🛼競技で、スタート位置から、ほぼ直角に落ちるように踏み出すあの瞬間を!
車であれば、坂が急だと、下り始める一瞬は地面が見えず、落下するような感覚になるのだ😱
ボードだって滑り始める時は相当怖いだろうけれど、車の場合、一瞬前が見えないのだ。おまけに大きいトラック🚚〜💦💦
手に汗握るような状態になり、見守り続けたのだが、上っていった車が安全に上りきり、向きを変えて再び下るその瞬間と、確実に草の上を跨いで回収して下りてくる見事さに、惚れ惚れとする。

私が教会のところで、景色ではなく、牧草地の作業を撮影し続けているのに気づいた他の人たちも、立ってトラックの作業を眺め始めていた。その迫力と見事さに感嘆の声が漏れる。
トラックは何回か往復して、荷台が一杯になったようで、それを下ろしに牛舎の手前まで下って来た。私はまだビデオを撮り続けていた。
運転している旦那さんは、
『おや? 景色ではなく、こちらにスマホを向けている人がいる』
と気づいたらしく、不思議に思ったのか、スピードを緩めた。
ここでやるべきことはただ一つ、車に向かって、『お仕事お疲れ様です !
お見事な運転です!
作業はお気をつけて! 』
の気持ちを込めて、ブンブン手を振った。
旦那さんは満面の笑みを浮かべて、手を振りかえしてきたのだった。

後編に続く
【あとがき】
登山口までバスで行った時のエピソード🚌、そしてオーストリア、スイスでの様子は後編で。
グリンデルワルトにて、アイガーが目の前にそびえる絶景を久々に眺めました。是非お楽しみに。
やっぱり日本人は山が好き💓

