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セレンディピティ〜偶然が引き起こす物語


 ✨セレンディピティとは✨

【何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。 何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指す。 平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運をつかみ取る能力のことである。】
 Wikipediaにはこう書かれています。    
   

 この言葉に惹かれる人は、世の中に数多くいらっしゃる事と思います。
 想像力を多く持ち合わせる人であれば、セレンディピティの持つ物語的な要素は、現実における偶然が自らに成功をもたらす、いわば奇跡を起こす力を得た世界を、ご自身の目の前に描かれることでしょう。

     ✨🏰✨🤴🤴🤴✨🏰✨

 ビジネスの視点から偶然性を語る場合に、セレンディピティ的な成功の鍵を、身につけることが可能な、なくてはならない要素、と捉える方も多くいらっしゃいます。

⭐️ 村尾 佳子氏
【セレンディピティ(Serendipity)とは、「偶然の産物」「幸運な偶然を手に入れる力」を意味する言葉です。
イギリスの小説家・政治家であるホレース・ウォルポールが生みだした造語で、『セレンディップと3人の王子(The Three Princes of Serendip)』というおとぎ話が語源になっています。
『セレンディップと3人の王子』とは、王子たちが旅先で優れた能力や才気によって、有益なものを偶然発見して手に入れるという物語です。
単なる「偶然の発見」ではなく、「幸福な偶然を引き寄せる力」とも言えるでしょう。】

参考文献: 村尾 佳子氏(グロービス経営大学院 経営研究科 副研究科長)
【セレンディピティとは?ビジネスで注目される理由と起こりやすくする方法】より抜粋



▪️はじめに
 私がnoteを始めて4ヶ月になります。
 noteの使い方の説明もろくに読まないまま、おぼつかないままに記事を書き始めた9月。お勧めとして挙がってくる記事を次から次へと読んでおりました。

 その中で拝見して、特に印象深かった作品、
おかのきんや様の『星の王子さまとけいこさん』でした。

 
 本文の絵は美しく、語られる言葉は深く、そこに集う方々が、おかの様からの優しいコメントで励まされたり、癒されたりする様子に、それまで読んできた記事とは違う、プロの作家さんの凄みも同時に感じ、毎日拝見するようになりました。

 ふみおくんやネコのしろちゃんと遊んでいくやり取りか成立するコメント欄は、とても可愛らしく幸せなのです。

 ある日、私もコメントを書かせていただこうと参加したわけですが、新参者の私にも大変丁寧に接していただきました。書き始めてすぐ、幾つも生まれていた悩みをお聞きいただき、1週間目で挫折しかけたnoteも続けてくることができた次第です。

 使い方に慣れた1週間目あたりから、フォローとかフォロワーについての疑問が生まれ、更にフォロー数が少しずつ増え始めたあたりから嫌悪感、不信感が生まれました。

 何もしなければどうという事はないのですが、多くの方のネットワークビジネス的な発想や、noteで稼ぐ、といった記事に嫌気がさしたのです。

 ただ書きたい、それでは駄目なのだろうかと。

 おかの様はフォロー、フォロワーについて丁寧に語ってくださり、人と繋がっていく事の良さ、繋がらなければ得られない価値を教えてくださいました。
 そうお聞きすると、自分の中のざわついた部分が鎮まるのでした。

 書く力がないと悩めば、沢山褒めてくださいました。
お忙しい中でも、必ず返してくださる温かなアドバイスと、こそばゆい程の褒め言葉をくださる、悩んだ時に、いつも帰っていく場所を作っていただいたように感じておりました。
 おかの様がおっしゃる言葉はまさしく金言で、泣きたくなるような、染み入るような納得が得られるのでした。

 ある日、私のエッセイをお褒めいただいた事があり、その時に、私が故ナンシー関さんの大ファンであった旨をお伝えしますと、素晴らしい方がいらっしゃるとご紹介いただきました。

 【はんこ絵師カピ子さん】です。



 カピ子さんは故ナンシー関さんをリスペクトされている方ですが、その作風は、はんこ風の精緻な絵だけに留まらず、風刺イラストの巧みさは、どの記事においてもそれはそれは刺さるような鋭さで、毎日感動しながら拝見しておりました。

 音楽製作もなさり、歌に合わせて踊る猫ちゃんや数々の風刺イラストが組み込まれたアニメーション作品もお見事の一言です。

 宮家への思いには相当な覚悟を感じます。どれだけYouTubeを削除されても、新たなる視点からの作品を公開し続けるご様子。
 作品中の鋭い指摘を拝見する度に、
『カピ子さんが陰謀に巻き込まれたらどうしよう😨』と陰ながら心配しつつも、カピ子さんだからこそ完成させられた分野の芸術作品を、私は愛するばかりです。
 
 おかの様がカピ子さんをご紹介くださったおかげで、KK問題から始まった皇室への何ともいえない思いや疑問も、歯に衣着せぬ語りで捌いていただきました。
 疑問を持ったことに対して、遠慮なく語る、というのは何と爽快なのでしょう。

 私が以前ナンシー関さんに求めていた、世の中を見る目、語る言葉をカピ子さんが埋めてくださったのでした。
「ナンシー関さんが好きでした。」
言葉にして良かったと思います。

 偶然人に語ったことで、その人の知識や繋がりから、この喜びがもたらされました。

 しかしそれをおかの様以外の方に語ったとしたら、結果は違っていたはずです。
 おかの様が、ナンシー関さんの作風をよくご存知で、カピ子さんの実力と面白さをご存知の方であったからこそ、の結果です。

 私には特別な知識や能力はないのですが、人との繋がりの中で、そうした結果を生み出せる力をお持ちの方に巡り会える運と勘はあるのかもしれません。

▪️おかの様のお誕生日に🎂✨
 先々月 、10月1日の事でした。noteを開き、たまたまおかの様の記事を拝見したところ、コメント欄におかの様のお誕生日をお祝いする言葉が並んでいました🎂✨
 私もそこに続けてお祝いを書き込もうとしたのですが、ふと、
『おかの様の為に他に何かできないだろうか』と思ったのです。

 たまたま私は、昨年フランス🇫🇷に行っており、旅の途中でリヨンに立ち寄りました。リヨンは星の王子さまの作者サン・デジュクペリの故郷です。
 おかの様の作品の登場人物のふみおくんは、星の王子さまの弟です。リヨンの話題や写真は、おかの様へのお祝いになる🎶と思いつきました。

 一瞬、写真をお送りするにはどうしたものかと思いましたが、
『ああ、記事にすれば良いじゃない♪』とすぐ思いつき、早速記事を書いたのでした。

 個人の方へのメッセージの為にnoteを使う、そういう使い方は良いのかどうか分かりませんでしたが、おかの様のお誕生日は普通に検索できましたので、個人情報保護の観点での問題はないと判断し、我ながら良い思いつき🎶と、ご機嫌で写真を選び構成。

 写真がメインでしたので、すぐ記事は仕上がり、その日のうちに投稿でき、おかの様にご覧いただくこともできたのでした。

 写真を選んでおりました時、ふと撮影日を見た時、一瞬ゾクリとしました。
 そのリヨンを訪れた日は2023年10月1日、昨年のおかの様のお誕生日だったのです。

 こんな事もあるのだ、としばらくぼんやりしておりました。昨年の10月、まだnoteの世界も全く知らずにいた頃です。
 ご縁を感じました。その時出会っていなくても、既にその後ご縁が生まれるという、運命が動き出していたように感じました。

 その日、もし私がおかの様の記事を拝見していなければ、もし他の方もおかの様のお誕生日をご存知なければ、もし私がリヨンで撮影した写真の日付を確認しなければ、誰も何も知らずにいたという結果になる出来事です。

 何も予期していなかったにも関わらず、何かが既に起きていた、こうした出来事もセレンディピティと言える事象の一つと言えるのではないでしょうか。



▪️また1年前に起きていた偶然

 私は今年の11月7日に、
【マルチリンガル 雅子様🌹多言語と国際儀礼と優しさと】という記事を投稿しました。


 この中でYouTubeで目にした皇后雅子様の話題に感動したことを書かせていただいたのですが、それもたまたまの出来事でした。


 武智倫太郎様の記事のコメント欄で、ドラマの登場人物がドイツ語を正確に話さなかった為に、スパイだとバレてしまった、という場面のことを教えていただいた時の事でした。
 
 多言語を学ぶ事の必要性に触れた場面です。


 『24』のジャック・バウアーが、ドイツ語の発音が悪すぎて身元がバレてしまうシーンがあります。
Jack Bauer tries to speak German

 
この動画を楽しみつつ、ドイツ語の難しさを改めて知ったのでした。

 そして、動画のたまたますぐ下に表示された別の動画に目が行きました。
 それは、皇后雅子様の優れた人格と教養の高さを紹介する内容で、来日したトランプ大統領とメラニア夫人に対しての配慮と国際儀礼の素晴らしさが丁寧に紹介された動画であったのです。
 

『ドイツ語も話せるの? 英語が苦手なメラニア夫人と話す雅子様』

https://search.app/gXhf4BwFKspMoufD8


 初めて観た内容でした。私はトランプ大統領来日の頃、普通によくワイドショーなどは観ておりましたのに、この話題は初めて知り、新鮮で不思議な気持ちになり、喜び勇んで記事を書かせていただいた次第です。
 

 そもそも、もし武智様が小説のプロジェクトを企画なさらなければ、もしその中で多言語の必要性を感じる動画を教えてくださらなければ、またそもそも私が多言語を使う事へのこだわりを抱いていなければ、この雅子様がマルチリンガルでいらっしゃることにより生まれた感動を知らずにいたわけです。
 これが記事が生まれた背景でした。この内容を好んでくださる方は多く、私にとっても記念となる記事となったのでした。

 こうした一つの事象がきっかけとなり、また別の何かを生み出す。偶然に起きた何かをどう捉えるか、それに興味を持つ事で、また別の偶然起こる何かが訪れるような気が致します。


 そして、更にこの話題にはもう一つの出来事が重なっていました。
 最近、三日前の事になりますが、はんこ絵師カピ子さんの記事を幾つか拝見しておりましたところ、未読の記事に気づき開けてみました。
 投稿は、2023年11月10日。

カピ子さんの作品は皇室の話題がメインなので、タイトルに雅子様の写真があっても当然と言えば当然なのですが、そこにはおかのきんや様のお名前が。


以下はこの記事のスクショ2枚です。

 おかの様がカピ子さんにご紹介なさったのは、私が記事に入れたものと同じ、雅子様のメラニア夫人に対する素晴らしいご配慮の内容の画像だったのです。
 この動画は私が観たものとタイトルは違いますが、内容はほぼ同じです。

 驚きました。おかの様からこの動画の事をお聞きしたことはなかったので、私は三日前に初めて知ったのでした。

 おかの様がYouTubeをご覧になって感動されて、カピ子さんもまたご紹介によってその画像をご覧になり、記事が生まれ、一年後に私は武智様のご紹介動画からたまたまこの記事に辿り着き、更にたまたまカビ子さんの過去記事に辿り着いた、と。

 誰かが感動しなければ、この連鎖は止まっていたはずです。関わった人の思いが共有されたからこそ、ここに至ります。
 そして生まれたカピ子さんの記事、そして私の記事。お読みくださった方々の中に、雅子さまへの尊敬と感動は共有されました。

ご縁を感じました。

 テレビっ子の私が何故あの話題を知らなかったのか、しばらく疑問でしたが、カピ子さんの記事を拝見すると、天皇陛下、皇后雅子様の功績を讃える内容のニュースは、ある方によって抑えられているという説が😨!
ご興味のおありの方は是非カピ子さんの記事でご確認ください。
 目に焼きついて離れなくなる、見事なイラストの数々と知られざる真実に迫る内容がご覧いただけます。



▪️音楽に関わる皆様と
 ある時「クラシックが好きです」とおかの様にお伝えしたことがありました。
 するとすぐに、
「Violaさんにぴったりの方をご紹介しますね(^-^)」とコメントを返していただきました。

 『どなたかな? 』とワクワクしていたところ、
プレシャスプランナーさまをご紹介いただきました。華やかな雰囲気のアイコン写真、音楽に関わるプロの方とあって、もうドキドキの出会いでした💓
 毎週新作が投稿される『オケバトル!』をずっと拝見し、楽しく嬉しいコメントのやり取りをさせていただいている今でもなお、ドキドキの日々です。

 このドキドキは、コメント欄500文字に込める気概と美意識〜注釈、論説、計らい、そしてホスピタリティ〜中編にてお読みいただければ幸いです🎶



 また、言葉遊びの魔術師🧙‍♀️ 鋭い論客の、あめもり「お出口に『なんのはなしですか』を。」さんは、同シリーズ前編で。

⭐️ あめもりさん  最新作

  雅子さま関連の記事に目を留められたあめもりさんが、その後、私の記事を全部お読みいただいているご様子が気になり、私からコメント欄に押しかけさせていただき、美食と読書と日本とドイツの比較文化論などを語り合うお友達にさせていただきました🦆🦆




 また、プレシャスさまからのご縁で出会えた方々、音楽への情熱溢れる評論家の和田大貴様、音楽を愛し熱く闘うエンジニアの大石良雄様は後編で、またそちらにプレシャスさまのコメント欄&クラシック愛好会で出会えた、優雅に愛と正義と人情を語るサブリナ様もご登場です。

⭐️ 和田大貴様  最新作


⭐️ 大石良雄様  最新作


⭐️ サブリナ様  最新作



 SPECIAL編は、この記事でも初めにご登場の、多国籍企業経営者の武智倫太郎様。

 バタフライエフェクト、セレンディピティに関する武智様の論説はこちらのシリーズの(3)をご参考に。


⭐️ 武智倫太郎様  最新作


 武智様は、元々はおかの様のコメント欄にいらした方の記事を拝見しに行きましたら、コメント欄にドカーンと存在していらっしゃいました。

 そしてサブリナ様はSPECIAL編でも大活躍です。武智様の最新作にも登場人物として、個性を放っていらっしゃいます。(^-^)


 シリーズの中で書かせていただいた長文癖(あめもりさんの造語(^◇^;))の皆様のご様子を、是非本文でご覧くださいませ。

 noteを始めたばかりだったあの日、おかの様の記事を拝見していなければ出会えなかった方々です。

 おかの様、そして巡り会えた方々に、心より感謝申し上げます。


▪️20年の時を経て
 昔から、セレンディピティと思われる出来事は、常に身の回りに起きていました。
 人との出会いや繋がりは、偶然によるところが多く、誰でもそういうことは起きるものと思っておりました。

 幼い頃から、『この道を行った先に何があるだろう』、何か起これば、『これは何故こういう結果になってのだろう』と思っておりました。
 そうした意識は常に持っておりましたから、少し不思議な事が起きても、それが普通だと考えておりました。

 幼い頃から、遠い空を眺めながら、いつか必ず外国で暮らすようになるはずだと思っておりました。住んでいた場所も、環境も、就いた仕事も、生き方も、何もかもそうなる要素は何もなかったのですが、偶然が重なり、結果今ここに暮らしております。

 大人になってからの仕事での偶然。取引先に連絡しなければ、と思ったその時、相手先から連絡をいただくようなことは数十回ありました。
 電話が鳴った瞬間、誰からかわかったことも数多く。

 たまたま右に行こうと思っていたのが、左に行かなければいけないような感覚が起こり、何の脈絡もなく、いきなり訪ねた取引先で、

「ああやっぱり来た来た(^-^)!  あなたがそろそろ来ると思っていたから、連絡しなかったのよ。」
と、大きな仕事の相談をいただいたり。

 仕事のサイクルとは関係なく、こうしたことはいくらでもあったのです。

 それは特別な事ではなく、自分が何か事にあたる際に能動的であったり、意識を強く持ったりした場合に起きていたと考えられます。
 偶然の出会いがあり、その同じ人と10年後、20年後にまた偶然に、別の街でばったり出会ってみたり。

 逆に悪い事が起きた時、痛い思いをした時などに、「これが起きた事は何の意味があるのだろう」と妙に意識が変わって、通常よりもポジティブになり、次から次へと新しい発想が生まれたりもしました。

 地道に積み重ねるタイプでもありませんし、常に仕事に全力で、というタイプでもないのですが、必ず成功する筋道のようなものは、見えていました。


 ある日の午後、オフィスでパソコンに向かっていた時、正直ボーッとしていたのですが、ふと目を上げると、自分を取り巻く周辺、2メートル四方くらいが金粉が上から降り注いでいるように、金色に輝いていました。
『え?』と思い、しばらくその上から注ぐ煌めきを眺めていました。
 周囲にも人はいましたが、勿論それには気づく人はなく、私を見たとしても、ただボーッとしている様子の私がそこにいただけの状態でしてた。
 じんわりと心地良い、何かに包まれたような状態は、10秒くらい続いていたのでした。

 何が起きたのか今でもわからないですし(脳に障害が起きたとか、目に異常が起きたとか、しばらく考えましたが何もなく)、人に話しても気味悪がられるだけだと思い、今初めて口にする事なのですが。

 それが起きた年は、結果として、勤めていた長い年月の中で、仕事で最高の成果が出た年でしたので、日々充実していたことは確かで、万能感のようなものが自分の中に溢れていたような気がするような、しないような。
 
 その日、特に何かがあったわけでもなく、ものすごく気分が良かったとか、特別そういうことではないごく普通の日でした。
 何かが降りてきたような感覚はありましたが、それが何なのかは勿論わかりません。

 この出来事はセレンディピティとも関係ありませんし、『自分は感覚派? 』といういつものオチくらいでしか説明ができないので、これは単なるお喋りです。
 いつか誰かに話してみたかったので、何となく、きまぐれに書いてみました(^◇^;) 
 どなたか思い当たる事がおありでしたら、お教えください。


       🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀


 最後に20年の時を経て起きた出来事を。

 私の父は今から二十数年前、78歳の時、転倒して硬膜下血腫の状態になり、手術をしました。手術自体は問題なかったのですが、手術後、自分で食事ができなくなり、寝たきり状態になりました。
 転倒する前までは、自分の足で歩き、食事もできていましたのに。大変ショックでした。
 人間は口から食べ物を摂取できなくなると、途端に衰えていく事は知っていましたので、療養士さんと共に、時間をかけて柔らかいものを食べるリハビリを行っていました。
 
 年齢も年齢でしたので、回復は難しいと医師からも言われましたが、姉も私もなかなか納得ができずにおりました。
 そのうちに鼻から管を入れての経管栄養しか無理な状態になり、いよいよ口から物を食べるという事が一切できなくなったのです。
 退院後は、設備が充実し、医師もおり、経管栄養のケアもできる場所に移ることとなりました。

 姉と私はそれぞれの家から、交代で通って付き添っていましたが、丁度交代の日、父のところに行ってみると、風邪が急激に悪化し、緊急入院する事に。
 レントゲンは真っ白の画像で、肺炎を起こしており、
「覚悟してください。」と医師から告げられたのでした。
 
 それでも適切な処置を受け、酸素吸入をし始めると、父の呼吸は楽になり、顔色も少しずつ良くなっていきました。
 数日経った頃には、穏やかな表情になり、我々も退院後はどちらにお世話になればいいのかを相談するくらいになったのです。

 ある日、病室から出て廊下を歩いていると、車椅子に乗った男性と、それを押す奥さんらしい人がこちらに向かって来ました。
 父より年齢は幾つか下のように思えました。
『どんな症状で入院されたのだろう』
と考えながら、近づいてくる男性の顔にふと目をやった時、私は何か不思議な感じがしたのです。

 凝視しては失礼だと思ったものの何か気になり、すれ違いざま横顔を一瞬だけ眺めました。
 鼻筋が通り、彫りの深い横顔を見た時、私はその人を知っているような気がしたのでした。
 
 振り返ると、二人は少し先の病室に入って行きました。思わずその前まで行って名前を見ると、見覚えのある名前に、思わず声をあげそうになりました。
 
 その男性は、私の中学時代の同級生の男子の父親だったのです。同級生と一文字違いのその名前は、かつて中学校時代に名簿で見た記憶がありました。
 
 それぞれの家は、学区内の端と端で、かなり離れた地区にありました。母親同士は参観日のクラス懇談会で顔を合わせた事は何回かあったでしょうが、ご近所でもない限り、親同士がそうそう関わる事もないわけで、私にとっては全く知らない人だったわけです。

 それなのに、何という偶然だったのでしょう。
 同級生本人Yとは、その時点で二十数年会ったこともなかったというのに、車椅子の男性の横顔を見ただけで、その顔に見覚えがある、と思った事にも驚きでした。
 Yは中学時代から、大人しいわけではないのですが、独特の静謐な空気を漂わせた子でした。
 スポーツも得意でしたし、同級生の男子同士仲良くはしているものの、気がつくと哲学や歴史の本をよく読んでいて、話が通じるのは寧ろ先生たち大人であったようでした。

 他の男子たちは、英語の発音は恥ずかしい気持ちがあるせいで、棒読みするのが寧ろ正解のようにしていましたが、Yだけは何の衒いもなく、ネイティブの発音を模した読み方をしていたのが印象的でした。私は、
『ああ、Yはいつか海外に出るつもりなのだろうな』
と思っておりました。

 私自身も本ばかり読んでいる生徒で、担任や同級生のから、頭の中が大人びているという扱いを受けていましたから、その点Yとは似た部分がある、と感じたこともありました。
 担任は新卒でやる気に満ち、人柄も良く、そうした生徒の個性を大事にしてくれる人でした。
 
 中学生男子は、何かと馬鹿騒ぎをしたものですが、Yは静かにそれを眺めている、そんな子で、今思い出してもあの落ち着きは人生3周目?くらいの印象です。
 悟りを開いたような、と申しましょうか。そういえば担任と一緒にお寺に坐禅を組みに行った、という話を聞いた事も。

 卒業後はあちらは男子高、私は女子高で話すこともなくなり、Yは一度も同級会にも来なかったので、以後会ったことはありません。

 しかし、他の同級生にとってもYの生き様は気にかかるようで、よく話にのぼりました。
 東京の大学に行き、その後は留学してそのままその国で暮らしており、家業は継がないらしいとか、Yの家の近所の男子がいろいろ話しておりましたので、何年かおきに自然と情報が入ってくるのでした。

 Yの中学時代のあの雰囲気から、自分の道を貫くだろう、と思っておりましたし、留学した地から帰ってくることはないだろう、と思っていました。


 次の日廊下で、前日の車椅子を押していた彼の母親と思しき人を見かけました。
 どうしたものか、と一瞬思いましたが、思い切って、
「失礼ですが、Yさんですか? 私は旧姓〇〇と申します。Y君の中学時代の同級生です。」
と話しかけました。

 すると、最初は驚かれたようでしたが、すぐに、
「あ〜〇〇さん、覚えてる! あなたの名前珍しいから。
それにあの子が中学の時、随分お世話になったでしょ?
だからあの子からも聞いたことあるのよ。」と。

「お世話? ‥‥はしてないですが(^◇^;)。それに他の女子の方が仲良かったですよ。」
などと、初めての会話にしては、ある意味知り合い同士ですので、打ち解けた会話となったのでした。

「昨日お父様のお顔を拝見して、何故か知っている人のような気がして、思わず病室の名札を拝見しました。」
と話したところ、本当に驚かれた様子でした。

 Yのその後の話は、近所の同級生が話していた通りで、留学先の国に暮らしているとのこと。
「Y君はご長男だから、家業を継がせたい、とお考えになったこともおありでしょう?」
とお訊きしてみると、
「話したことはあるけど、あの国で勉強を続けなければ、自分は自分ではなくなる、壊れてしまう、とか言ってね‥‥」と。
「親御さんからそれを許してもらって、彼は幸せだと思います。中学時代から、そういう人生を歩むのだろうな、と感じていました。」
と話すと、
「‥‥そうだったの?」
「そうです。そういう人でした。」と答えたのでした。

 次の日、父の病室のドアがノックされました。するとそこにはYのお母さんが。

「昨日は廊下で話せて良かった(^-^) 。懐かしくてね。
これ良かったら少しだけだけど食べて。お父さんお大事にね。」
と葡萄(ナイアガラ)を一房くださったのでした。

 まだ現在一番人気のシャインマスカットが市場に出回る前の時代です。緑色の葡萄はナイアガラが一般的でした。
 それは大ぶりで、摘んでみると、雫が滴るように流れ、大変美味しい一房でした。父が大好きだったので、食べさせてあげたい、と思いました。

 父は経管栄養になって以来、口に食べ物を入れたことはありません。経管栄養でただ必要な栄養素を接種することと、口で食べ物を味わうことは余りにも差があります。
 口に食べ物を入れて誤嚥すれば大変危険ですので、経管栄養が始まって以降、一切それもできなかったわけです。

 けれど、ふと思いつき、
「葡萄の雫なら、少しだけ口の中に塗るようにすれば大丈夫だよね?」
と姉と相談してやってみることにしました。

 口腔内をガーゼで清潔にして、葡萄の絞ったものを塗ってみました。誤嚥の危険がないように、ごく少しずつ。

 父は長い間味わえなかった食べ物の味を感じた瞬間、目を大きく見開きました。
 目に正気が宿り、表情が変わり、何か言いたげでした。
「美味しいでしょ? 葡萄を Y君のお母さんからもらってね。ほら、私の中学の時の同級生で‥‥」
と話しかけ、久しぶりに病室が賑やかな空気になった午後だったのです。会話はできないながらも、私も姉も父に話しかけ続けたのでした。

 姉と私は、夜は一緒に病室に泊まったり、たまに交代で実家で休んだりしておりました。
 その日の夜も一緒に泊まり、交代で仮眠を取っていたのですが、深夜に話し声が大きくなったのに気づき、私は目覚めました。

 看護婦さんが、痰の吸引をしてくださった時、急に父の呼吸が激しくなったのです。
 昼間元気な様子が見られていただけに、それからの事は夢の中の出来事のようでした。

 医師が呼ばれ、人工呼吸が施され、
「お父さんに話しかけて!」と看護婦さんが大声で私たちに叫んでいました。
 何分続いたかはよく覚えていません。かなり長い間、医師と看護婦さんは努力してくださいました。

 姉はおそらく言葉に出すのを躊躇うだろうと感じ、私が言わなければいけない、と決めました。

「先生、ありがとうございました。もう‥‥」
それ以上言葉は出ませんでした。
 医師は手を止め、私たちに頭を下げられました。

「お父さん、ありがとう」
姉も私も父の顔に触れながら、その言葉だけを言い続けたのでした。

 しばらくして、私はふと時計を見ました。もうずっと病院にいて、その日が何日なのか、何曜日なのかもわからなくなっていました。
 時計の針は夜中の0時20分くらい。亡くなった時刻は、日が変わって11月29日になっていました。

 母はその3年前の11月9日に亡くなり、祖父や祖母といった墓石に刻まれた人たちは皆、9のつく日や月に亡くなっています。お墓参りに行く度に、両親もいつも不思議だと話していたものでした。

 看護婦さんが死後の処置をしてくださっている間、廊下で姉とその話をしました。
「お父さん、29日になるのを待ってたみたい。」と。


 そして、
「私たちはあの時どう判断すれば良かったのか」
を話しました。
 私たちは父に生きていてもらいたいから、食べられなくなった段階で、経管栄養を選びました。ですが、その時の医師は違う選択もある、という話をされました。

 「口から食べられなくなったら終わりなんですよ。」その言葉は酷く冷たく響きましたが、考えてみると、ずっと寝たきりで、生きる為だけに、経管栄養のチューブが鼻から入れられているのは、どれだけ辛いか。
 ごく自然なまま看取る、という選択肢もある、という意味だったのです。

 私たちが、父に生きていてもらいたい、と思って選択した事は、エゴだったのだろうか、と。その時々は精一杯考えての事であったけれど、それが正しかったのかどうなのか、今でもわかりません。
 何もしなければ、死はすぐに訪れていたでしょう。それを選択したとしても、更に大きな後悔に繋がったと思います。
 
 父の死はそうした選択を、自分の事として今後も考え続けるように、亡くなってからも静かに教えてくれているような気がします。

 私はふと思いました。
『父に最期に葡萄を味わってもらえて良かった』と。

 もしあの日、廊下でYのお父さんとすれ違わなかったら、もし横顔を眺めなかったら、もし私が病室の名札を見に行かなかったら、もしYのお母さんに話しかけなかったら、あの葡萄は手元にありませんでした。

 父の肺炎は深刻で、口から何か味わってもらいたい、とかそんな状況ではなかったのですから。
 しかし、たまたま回復の兆しが見えてきた日、たまたま私はYのご両親とすれ違ったのでした。


 長年会ったこともないY、それでもその後の人生の様子は何故か耳に入り、現在はお互い日本以外の場所で生きています。

 あの中学の英語の授業で、二人ともいつか必ず英語を使う日が来ると、それぞれがある意味本気で勉強しており、誰にからかわれてもちゃんとした発音をしようとしていたY。
 語り合っていたわけではないのですが、それぞれがいつか必ず海外で暮らすと心に思っていた者同士だったのでした。

 20年の時を経て、意識下で何かが繋がり、もたらされた奇跡であったような気がしております。

 この出来事は、直接本人同士がどこかで偶然出会うお話ではなく、Yが運命の相手だった、という話でもありません。
 しかし、セレンディピティと聞く度に一番に思い出すのは、この病院での出来事です。

 私の行動の小さな羽ばたきは、父がこの世で最後に味わうことができた、葡萄のひと雫をもたらした。
 生涯忘れることはないでしょう。
 



 






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