多言語学習は楽しい①〜まず英語から
英語との最初の出会いは、父が小学4年の時に買ってきてくれたテキスト&カセットテープの教材だった。
少年少女世界名作文学全集を繰り返し読んだり、画集やレコードなど、海外に興味を持つ私を父は静かに見てくれていたのだな、と思う。
父は学生時代に学んだドイツ語が好きだったようで、「外国語を使えると役に立つよ」とだけ言った。
父はその教材で学ぶことを私に強要することもなかったし、教えようともしなかったけれど、私は嬉しくて毎日テキストを眺めていた。
小さい頃から、好きな科目はのめり込んで学習するが、嫌いな科目の時は、
『真面目に授業を受け、テストの点は取りますが、楽しくはありません』と顔に書いてあったと思う。
指導者から見て、評価がしづらい子どもだったはず。
大学4年の時、とうとう嫌いな科目の教授から、
「あなたは勉強のやり方が極端で偏りがあるのよね」
と、指摘されたのだった。
「私の授業だって、もっとしっかりやりなさい」と仰りたかったのだと思う。きっと。
さて、英語教材は楽しく、順不同でその日読みたいと思ったページを眺めて、繰り返し繰り返しテープを聴いて真似していた。やり方はただそれだけ。
『自由に』『好きな事を』『好きなだけやってみる』事は私に合っていた。人生の中でのめり込んだ一つだ。
幾つか入っていた歌も楽しく、聴こえてくるままに発音を真似して、歌い続けていた。今でも歌える。
好きではあったけれども、他に英語教室などには行っていなかったので、ABCの勉強を始めたのは普通に中1からだった。
しかし英語の最初の授業で、教科担任から褒められた。
初めての英語にドギマギする生徒が殆どの中で、私はあの教材で会話に慣れていて、英語を恐れず口にできたからだった。気付かぬうちに、学習の下準備をしていたのだった。
会話を丸暗記していただけだったので、文法を習うのが新鮮で面白く、あの会話の文章はこうして組み立てられていたのだ、と後から知る事となった。
さて、時は流れて、好きだった英語の勉強からは離れ、語学留学などは夢のまた夢となり(アメリカ嫌いの母が強く反対した。そういう時代)、親の勧めた大学を卒業し、親が敷いたレールに乗り、親が望んだ職業に就いた。
しかし、その後、結婚後に転職した会社で、何度かアメリカに行く機会があった。
現地スタッフが通訳としていてくれるので、特に仕事上の問題はなかったのだが、問題は仕事以外での場面である。自分で喋るしかない。
全く使っていなかった英語を話すこととなり、語彙も少なく、流暢な会話ができないにも関わらず、気づくと私は話したくて話したくて仕方がなかった。冷や汗をかきながらも、実力以上の会話をしようとしている自分に気がついた。
そして現地スタッフの会話を聞いているうちに、私のやってみたい事に気づいたのだった。
帰国後、私は今後どうしたいのか考えた。専門的に勉強したわけではなく、英語に関わる仕事にシフトできるような実力はない、実際私が話す必要性もない、しかし私は話したい。
それならば、と知人に紹介してもらって、アメリカ人塾講師に個人レッスンを頼むことにした。
日本語がほぼ話せない人を頼んだ。
レッスンは、カフェでお茶を飲みながら、私が喋りたいだけ喋る相手になってもらう、テキストも課題もなし。1時間5,000円、お茶代は別に私持ち。
豊かな会話をしたければ、ひたすら私が様々な『喋りたい事』を喋れるように準備しておく必要がある。
でも準備したところで、講師が別の会話をすれば話はそれていく。それに対して、私は別の会話をし続けなければならない。
準備した話があっという間に終わってしまったこともある。
私が黙れば会話も止まる。楽しく充実した1時間の会話をしたければ、ただひたすら私の努力が必要なレッスンなのだ。
講師は勝手に勉強してくる私の話し相手になり、その日の私のテーマに合わせて様々な意見を言いながら、発音を直したり、表現を変えて教えたりはするものの、基本、母国語を話すだけ! お茶を飲みながら!
「塾のレッスンと違って準備はいらないし、なんて楽なんだろう。君は熱心に勉強してくるし、僕はお茶とケーキを楽しみながらお喋りするだけ。仲間に羨ましがられてるよ」と。
あまりはっきり楽だ楽だと言われるのもなぁ、と思っていたら、
「それでも何か目標があるといいよね」と言われた。
「実はあるんですよ 笑」と私。
仕事でアメリカに行った時、出会った現地スタッフの話をした。
彼女たちは日本人なのだけれど、長くアメリカで暮らしてきた為、日常は全て英語である。
他に日本人がいる時は、皆で日本語を話す。
しかしその二人で日本語を喋っていると、気づくといつの間にか慣れた英語に変わっている。
それに気づいていないまま会話が進んでいる。
周囲の人に指摘されると、
「あれ?英語になってた?」と日本語に戻すが、またしばらく聞いていると、英語に変わっていく。
その行ったり来たりが実に楽しく興味深かったのだ。
アメリカで生きてきた年配の二人の女性、格好いい〜✨✨
「日本人なのに、2人とも同じように二つの言語を話せるので、会話の途中で別の言語に変わっていても、気づかずに会話が続いていく。多言語を行ったり来たり。
これ! これがやってみたい!」
と、講師に提案したのだった。
「面白いね〜。ということは、
①まず、もっと英語が話せるようにしておく。
②日本語も英語も同じように話せる人を探しておく。
(親しくお喋りできるような相手)
③海外に住んでいる人同士が、久しぶりの日本語を話すっていうシチュエーションがほしい。
条件が揃わないとできないね〜」
と講師はケラケラと笑ったのだった。
講師で試す事も考えたが、その後も彼はまるっきり日本語を覚えようとしなかった…
時はだいぶ流れて、昨年偶然にもこの条件が揃い、どっぷりの会話ではないものの、『行ったり来たり』がちょっぴりだけだけれど、とうとうできたのだった♪
なぜちょっぴりだけかというと、[英語と日本語]ではなく、[ドイツ語と日本語]であったからだ💦
ここまでお読みいただきありがとうございました🎶
続きは次回に
