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『あの人たちには似合わないわ』──イタリアのショップ店員が語った『買い方の品格』とは


『この店の商品、あの人たちには似合わないわ』──それは単なるファッション批評ではなかった。

 イタリアの老舗ブランド店で聞こえてきたその一言の奥底に、ヨーロッパ社会に今も根強く残るclasse (階級)の意識が潜んでいた。

 『買う資格』とは、いったい何によって測られるのか。
 その日私は、『住民として扱われる買い方』と『単なる消費者としての買い方』との違いを、体感することになった。

 ドゥオーモ(大聖堂)からほど近い店舗でのお話。
 
 この日もバスに乗って出かけ、また次の停留所で、検札のおじさんからブンブン手を振って見送られた。さすがに3回目ともなると、怒っている私の方が馬鹿みたいに思え、仕方なく手を軽く振る。


 この前回の記事では、『日本人女性は怒らない』という、イタリア人男性の幻想が崩れる瞬間を描いた。
 実はこの同じ時期、私は別の『幻想』とも向き合っていた。
 舞台はイタリア・ミラノのブランドショップ。
そこでは、『買う人がその商品に相応しいのかどうか』が判断されるという静かな現実があった──。


 街に出てチーズとジャムなどを買って、そのビニール袋をぶらぶらさせながら、店に入った。旅先では、その国発のブランドの店を眺めることにしている。日本未入荷の製品が置いてあることが多いので、目新しくて楽しい。

 “Buongiorno!”
入り口で店員さんに向かってにっこりとご挨拶。これは店に入る時の基本だ。店員さんも笑顔で挨拶を返してきた。

 この店は老舗ブランドではあるものの、そこまで敷居は高くない。極端に高価ではなく、カラフルで可愛らしいカジュアルなラインも多く、お土産向きと言える。
 

"Posso toccarlo?"(触ってもいいですか?)店員さんに声をかける。
 "Certo. Avanti." (どうぞ)
"Grazie."(ありがとう)

 優しい桜色のポーチに決めて、レジに向かう。
支払いをしていると、外から何人か大きな声でお喋りしながら入って来た。日本語だ。挨拶はなし。
 店員さんはそちらをチラリと眺めたが、特に声もかけないで、私の精算を続ける。
 数名の日本人観光客は年配のご婦人グループだった。次から次へと棚に手を伸ばし、商品に触っている。 

 既にバブル期を経ていた。海外旅行に行く人は多く、また日本ではブランド品を持つ人は急増していた。
[海外のお店に入る時は挨拶をして、品物には勝手に触らないようにしましょう]、これが既に旅の常識として、ガイドブックに当たり前のように載っていた時代。

 商品に触る行為は、他のブランドショップでは止められる。というか、そもそも触れない。高価な商品は客が手に取れない奥の棚に置いてあったり、ガラスケースに入っていたりする。
 しかしこの店は、すぐ目の前で眺められるように展示されている。入り口に警備員がいるような超高級ブランド品とは違う。
 そうした敷居の高いショップではないので、私は買い物ついでに、ビニール袋を下げて気楽に入ったのだった。

                        ✨👜✨👜✨👜✨
 


 観光客が多いこの街ではよくある光景なのだろう。店員さんは、ご婦人方を時々目で追っているが、近寄りはしない。
 
 店員さんは、突然私に呟いた。

"Guarda un po'. Penso che compreranno qualcosa, ma la roba qui non fa per loro.
(あれ見て。あの人たちは何か買うだろうけど、ここの品はあの人たちには似合わないわ)

ああ、同胞よ、あなた方への本音を聞いてしまった💦

"Sì, sono d'accordo." (そうね)
 私はそれだけ答えて、
“Grazie. Ciao” (ありがとう。さようなら)
挨拶をして店を出た。


       ✨👜✨👜✨👜✨


 店員さんは、私も同じ日本人だとわかっていたはずだ。しかし、店内に入る時に挨拶したし、品物に触る際にも声をかけていた。それはこの国に住んでいる人であれば誰でもすることだ。
 また、生活感のある食料品の入ったビニール袋を持っていたから、住民だと思われて、思わず本音が漏れたのかもしれない。

 店内の日本人観光客は、ポロシャツにジーンズ、ウエストポーチという、当時の団体客定番のスタイルだった。
 [旅は気軽な服装で]、それは一つの考え方だけれど、このブランドショップ街に来るならTPOを考えねば、と思う。

 ショップの店員は、ちゃんと態度や服装を見ている。たとえ買い物をしてくれても、「お客様は神様」などとは思っていない。旅であっても、高級ブランドショップに入るつもりなら、それなりの服装を身につけることが必要だ。
 店内に出されず、バックヤードに保管されているレア物のブランド品が欲しいなら、更にそれに相応しい服装で行かなければ相手にはされない。余程の常連でない限り、頼んでも、「ない」の一言で片付けられる。


 また、この観光客スタイルは一目で観光客(お金を多く持っている)であることがわかるから、スリに目をつけられやすい。
 『大事なものは、ウエストポーチに入れているから大丈夫!』とは言えない。スリは巧妙で、目をつけた相手に、いろいろな形で近づいてくる。ウエストポーチを切り裂く輩だっているのだ。

 住民はあまり大きいお金を持ち歩かないから、案外スリの対象から外されやすい。たまに変な感じの空気の人が近づいて来ても、私は声を出して怒るので、すぐ離れていく。海外では危険を感じたら、はっきり怒ることがとても重要な身を守る手段だ。

 私はいつもワンピース姿で、買い物袋を持ってブラブラ歩いているので、この時のように住民だと思われて、よく道を尋ねられた。トイレの場所なども。ドゥオーモ(大聖堂)周辺はトイレが見当たらず、困る場所なのだ。
「そこのリナシェンテ(デパート)の5階か、そこのビルの地下にありますよ。この広場の地下のトイレが一番近いけれど、個室のドアが壊れているので気をつけて。」
 カフェやレストランに入れば、勿論トイレはあるけれど、それ以外の、気軽に入れるトイレを教える。
 

 さて、改めて、店で出会ったご婦人方のことを考えてみる。恐らく娘さんからバックやお財布を頼まれたとか、「イタリアの老舗ブランドの割には、価格もそこそこで買いやすいから」とツァーのガイドさんに勧められたりもしたのだろう。
 折角の旅行だ。あの店で楽しく買い物をして、持ち帰った可愛い品々が喜ばれていますように、と希望的観測に切り替える。

 「あの人たちには似合わない」、と店員さんは言ったけれど、買うことを店側が拒否しないのだから、皆さん買うのだ。classeの考え方など、日本に住んでいれば頭にないのだし。
 ああ、説明を加えておけば良かった。店員さんの印象が変わらないとしてもだ。

 なんたって日本はお土産文化の国だ。買った品物を使うのは、娘さんや親戚のお嬢さんかもしれない。
 店員さんにそう言っておけば良かった、と少し後悔する。
 classeの意味合いは一旦横に置いて、品物に対するご婦人方の振る舞いとか、見た目とか、年齢の印象だけでも、『買うこと』を少し肯定してもらえるように。折角ご婦人方、お金を遣うのだもの。マナーの点は勘弁してもらうことにして🙇‍♀️
 少しだけ日本文化の説明を加えれば良かった。

 どうしても、団体旅行の場合は、日本人だけなので、日本の行動パターンをそのまま持ち込むケースが多い。そこだけ気をつけて、どうぞ品位ある楽しい旅を✈️


       ✨👜✨👜✨👜✨


 ヨーロッパにはclasse(階級)の意識が根強い。彼らは言葉の遣い方も違う。貴族の末裔や富裕層、今も社会的役割を担う人々。
 ブランド品を持つのは、その品に相応しい人々であるべき、と考えられている。元々高級ブランド品は彼らの為に作られたのだ。

 エルメス好きの人なら、《ケリーバック》の商品名が、モナコ王妃グレース・ケリーの名前に因んで名付けられたことをよくご存知のことだろう。
 元々は「サック・ア・クロア」という商品名だった。妊娠中の王妃が、カメラマンの前で、お腹を隠す為に持っていたことで、このバックが注目された。その後、エルメスはモナコ王室から正式な許可を得て、名前を授かったのだ。


 時代が進み、もう少しブランド品を持つ基準が下がって、手にする人が増えたとはいえ、バブル当時の日本人のような買い方をする人はヨーロッパにはいない、と批判的に言われていた。
 
 たとえclasseと分類される家柄であっても、娘が成人するまでは、年齢に相応しいものを持たせる、という。また高級ブランド品は母親が使い、娘がそれを引き継ぐ。上流家庭であればあるほど、物の価値を理解し大切に使う、という話はよく聞く。


 ヨーロッパでは、若い人はお茶を飲むにも、値段が安いチェーン店やテイクアウェイの店をよく使う。余裕のある年配者は、歴史あるカフェでゆったりと寛ぐ。それが当たり前だ。
 服装も若い人はカジュアルに、年配者はエレガントに装う。イタリアではその違いがはっきり見られる。

 舞台を観るにしても、若い人は比較的チケットが安価な近代の劇場へ、年配者は歴史あるスカラ座の良い席へ(なおスカラ座でも、バルコニー席の上に行けば行くほどチケットは安い)。
 classeの違い以前に、年齢によって、相応しい生き方をする、それが常識なのだ。


 この当時は、日本の若い子たち——高校生であったとしても——有名ブランドの財布を持つことが増えた時代であった。大学生も、ブランド品を持っているのがステイタスのようになっていた。
 ヨーロッパの人々から見れば、それは奇異ともいえる状況だが、日本では見慣れた光景だ。

 『買えるから買う』、それは違う。本来、その品は
それを持つのに相応しい人が持つべきだ。

 この考え方を、仮に知っていたとしても、
「でも皆が持っているから、あたしも買うの」
それで済む。それが日本社会。

 私はといえば、若い頃はブランド品にそれなりに憧れたが、海外旅行に行った途端、その考えは冷めた。
 ブランド品を持つべき人は、限られたclasseの人だということを、ヨーロッパの空気の中で、痛いくらい感じたからだ。
 ある程度の年齢になればいい、というものではなく、買えるから買う、ということでもない。

 日本にいれば気にしないでいられるかもしれない。買って使ったところで、誰かから批判されることもない。しかし、初めてヨーロッパを旅した時から、『自分が使っていいようなものではない』という、その感覚は拭い去ることはできなくなった。

 その後、子育てが終わった頃、その感覚が薄れていたらしく、突然バックが欲しくなって買ってみた。ただし、それらは国内で使っただけである。とても海外に持って行く気にはならなかった。
 買ってみたら、『私は使う立場にない‥‥』という感覚が蘇ったのだった。

 H社のバックをボーナスで買ったこともあった。
 36センチ、茶色に近いゴールド、表面に細かいシボのある傷つきにくい革、最も人気が出ていたこのタイプをショップで注文して、3年待ちで手に入れた(注文時の価格で買えたので、この時は現在のような価格ではなかった。その後はとんでもなく高騰したのは、日本の皆様のご存じの通り)。とても嬉しかったのだが、使い始めて気がついた。

 重い‥重すぎる。何も入れなければ大丈夫だが、それでは用をなさない。通常の必需品を入れたら、重すぎて持ち歩けない。我慢して使っているうちに手首を痛めた。
 このバックをラフに持つことで話題になった女優さんのように、1ℓのミネラルウォーターも入れて持ち歩くなんて、とても考えられない。よくバックを足にぶつけ、青あざができた。強度の高い美しい仕上がりの角だった‥‥。

 L社の製品のバックと小物を統一して揃えたこともあったが、使ってみると重すぎる事がわかった。‥‥それに私の着るタイプの服には合わなかった。何故欲しくなったのだろう‥‥何となく欲しくなっただけだ。みんなが持っているから。

 C社の製品は、革が柔らかく軽いので、使いやすくて気に入っていて、今も持っている。
 ただし、ドイツでもこうしたブランド品を使う人は少ないので、これを日常的に使う気にならず、劇場に行ったりするような、特別な時だけ取り出している。
 持っているからといって、日常的に使っていいわけではないのだ。

 現在住むドイツの街に、ブランドショップは沢山あるけれど、人々の日常を見る限り、ブランド品に対しては、興味がない気配がする(classeの人たちはどこに存在するのかわからない)。
 服装があれだけラフなので、当然バックも手軽な感じのものであり、若い子はリュックばかりが目に付く。
とてもお洒落なお姉さんでも、持つバックにブランドマークは見えない。皆、年齢に相応しい服や小物を身につけている様子だ。
 


       ✨👜✨👜✨👜✨


 それから長い時間が経った。前述のように、フランスのブランド、イタリアのブランド、その国で生まれたブランドのショップには、レア物があるのでとても面白い。行った先で眺める予定の日はお洒落をする。

 また、街でバッタもん(コピー商品)を使っている人や、フランスやイタリアの観光地で、地面に布を敷いてそれらを売っている人(違法な場所で売っていて、摘発されそうになると、敷いた布で商品をくるりと包み、背負って逃げていく)を見ると、思わず細部を眺めてみる。

 『あのタイプの型のバックは、その位置にロゴは入らない』、『ロゴマークの字体が違う』、『そのバックの型は正規ブランド品には存在しない』、『V社のデザインにR社のカラーの布テープをデザインしてどうする?!』とか、いろいろ頭の中で間違い探しをするのだ。結構楽しい♪

 その頃買って、今も使っているものは、柔らかい小山羊の革の製品だけだ。しっとり、もっちりとした手触りで軽い。
 結局、私の好みの品は、C社の製品に限定されるわけではなく、しっとりした小山羊の革の製品だったと気づいた。考えてみると、その後日常使いする為に買ったバックは、皆同じ雰囲気の革。私の洋服にしっくりくる。

 物に対する日本人の考え方はそれぞれだ。日本では選択肢が何でもありだから、買える範囲で好きな物を買う。それは誰も止めることはできない。誰も制限をかけないからだ。
 無理してバイトをして高額の品物を買おうとする子たちには言いたいことは一言あるけれど。
 『自分にとって似合う物、好きな素材、それを見つければいいんじゃない? 」とその子たちには言いたい。


 あの当時から更に時代は流れた。ブランドショップで、棚を指差し、
「そこから、そこまで全部ちょうだい👜」というような買い物をする人もまだいる筈だ。いつの世も、そういう人は存在するのだ。

 そういう買い物の仕方をする人は、自分がショップ店員からどう思われているのか、恐らく気づかないことだろう。『こっちは客なのだから、立場は上だ』などと思っていると、傲慢さが態度に出る。

 バックヤードで、店員さんから陰口を叩かれていたとしても、気づくことはなく、彼女らから上顧客だけに行われるサービスを受け、ご機嫌でいることだろう。


 そのバックを持つべき人たちは、なかなかお目にはかかれないが、どこかにいる。高級ブランドショップの店員さんたちは彼らを待っている。
 その製品が似合い、そのブランドの歴史に敬意を払う、品位のある、美しい言葉を話す人たち‥‥。


                    おしまい



【あとがき】
 書き終えて思い出したことがあります。
 昔、林真理子さんの週刊文春のエッセイの中に、ご自分のケリーバックのエピソードがありました。
 新幹線に乗ろうとしていて、その前に駅弁を買おうとしていて、他にも荷物があった為、ケリーバックからお財布を出そうとして、とても出しにくく、焦ったというお話です。
 あのバックは蓋を閉じて、金具まで留めてしまうと、とにかく開けにくい、それは想像がつきます。

林さんは、
「ケリーバックは、自分でお金を払う必要がない人の為のものだ」と。そして、
「ケリーバックは、車内で駅弁を食べるような人が持ってはいけない」
と書いていらして、かなり笑いました。

  




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