魔法の若見えワンピ〜ドイツで子ども扱いされたお話👒〜
その日、私は40歳ほど若く見られたのだった。これまでも勘違いされたことは何度かあるものの、過去最高の差での誤解である。
こう書くと、のっけから、じゃあ実際の年齢は相当だな?と知らない人にまで拡散してしまうこととなる。でも、もうそこは気にしない。
何故「多少若く見られたらしい」のではなく、『40歳ほど若く』と具体的に書けるのかは後ほど。
[ドイツ🇩🇪ミヒャエル・エンデ博物館で]
童話を愛する人々には大変お馴染み、ミヒャエル・エンデ。『果てしない物語』や『モモ』は私も大好きだ。
「エンデ、好きなんだよね〜💕」と何気に呟いておけば、夫は旅の日程に入れてくれる。
「行きたいの♪」とか「予定してくれたの? ありがとう☺️」と言えば喜ぶのはわかっているけれど、日程を聞かされても、「そう。」としか言わない。
婚約時代から「塩対応こそ私」であったので、夫も慣れている。
一昨年、旅行先のミュンヘンで、他の歴史的文化遺産の見学の合間に、ミヒャエル・エンデ博物館も訪れた。
森の中のブルンテンブルク城内にある。

小さな城の城壁の中は、小さなエンデ博物館、城付属の教会、その隣は現在子供の為の図書館になっている。周囲は森で、城の目の前は芝生の緑が広がり、池があり、散歩やジョギング🏃が楽しめる小径が続く憩いの場である。






夫がまず博物館に入場する。2階のようだ。その間ワンコと、庭の薔薇を眺めたり、中庭のカフェで寛ぐことにする。
ドイツには、薔薇やリンゴの木を、蔦を這わせるように、壁に添って植えられている家が沢山ある。私の大好きな光景だ。
「日本の家もこうしようよ!」と何度夫に話したことか。
「どこの壁に?!」というので、
「離れの裏側!」
日本の家の母屋は完全な和風建築だ。物置代わりに使っている古い離れは、少しだけ洋テイストなので、真裏の公園側の壁を使えば、母屋の景色を損なわない。
「まず窓枠を変えて、壁をドイツ風に塗り直して、屋根瓦を変えて、広い壁部分にリンゴの木を這わせて、両側に薔薇!」と話すと
「‥‥それは建て替えだね」と答えられて会話は終わった。
「いっそのこと、私の為にあずまやに建て替え!」
もう返事はない。



博物館といってもとても小さいので、夫は15分程で見学を終えて出てきた。
2階への階段。エンデの写真などが飾られ、古い階段の造りが可愛らしい。
博物館内部は撮影禁止。

奥様が日本人であるので、エンデは日本とも縁が深い。黒姫童話館にはミヒャエル・エンデ作品が中心となった展示がある。


2階に入ると、受付には年配の女性が机の傍に座っている。
夫から「5€だったよ。安いね」と聞いていたので、並んでいる間に、小銭を出して握りしめていた。
この受付のおばさんはエンデが相当好きなようで、顔馴染みの人と大きい声で、エンデにまつわる話をしている。
私の順番になったので、5€をトレーに置いた。
“Ich bin alleine.” (1人です)
するとおばさんは、私の顔をギッときつい目で見た!
『え? 睨まれた‥』
何の心当たりもないので、そのまま3秒ほど待っていると、
“Warum dafür bezahlen?! Kinder sind frei!”
(何故お金を出すの?! 子どもは無料!”)
と、語気荒く言って、小銭を荒くつっ返してきた。
『‥‥え? 子どもは無料? だから何?』と戸惑い、誰か他の子どもに言ったのかと思ってキョロキョロしたが、受付にいるのは私だけ。それにおばさんとは目が合っている‥私に言っている!
ん〜と思ったが、『ラッキー🤞タダじゃん♪』と受け留めて、しれっと見学するような人間には育ってこなかった。
背筋を伸ばした。
“Ich bin erwachsen, also werde ich bezahlen.”
(私は大人ですので、お支払いします)
できる限り低い声で大人っぽく、マダムっぽく、そう伝えて、つっ返された5ユーロを再びトレーに乗せた。
おばさんは、とても怪訝な顔をしてこちらを見ていた。
しかし、今後は何も言わずお金を受け取り(“Danke”くらいは言えよ、と上品に思う私)、チケットをよこしたのだった。
エンデの草稿や写真、見学しながらも、『子どもって‥子どもって‥』とまだ頭の中はぐるぐるだ🌀
[15歳以下は無料]と書いてある。最長に見積もったとして、15歳くらいに見られたことになる。さすがに10才以下ということは体型的にあり得ない。
これは、若く見られて嬉しい、という話ではない。納得いかない不可思議さに、しばらく戸惑う。エンデの魔法をかけられたということにしよう、と心を落ち着ける。
15分ほど眺めて、図譜と絵葉書を何枚か買うことにした。大人だから、買うお金あるの、ホホホ。
私のいる間、誰も絵葉書などを買っていなかった様子だ。その時の他の見学者は地元の人っぽい人や子ども連れ。
それなりの金額の買い物をした私に、おばさんはにっこり微笑んだ。
おしまい



【解説と検証】
ここで終わりにする方が、ショートショートっぽくまとまるとは思うのだけれど、お読みいただく方々に対し、こんな誤解に関して書いた以上、解説しておかねばならない。
『あたし、若く見られちゃった♪』と喜んでいると誤解されるのも嫌だ。
ということで、ドイツ人の暮らし方や考え方に触れ、検証してみたい。
本日、武智倫太郎氏は、出版する側からの視点での『文章作法》についての記事を公開された。また、今私が書くべき内容について、コメント欄にて具体的なご指南もいただいた。
noteにおいて、創作大賞に目を向けて書いている方々にも、大変参考になる内容なのでご一読をお勧めする。「書き方」ということに対して、新たな発見があるに違いない。
ということで、ご指南いただいた以上、人が読みたくなる文章にする為に、タイトルや冒頭の3行、途中の文章も意識して書いたつもりであるけれども、どうなのだろう? 自分ではよくわからない。
私はやはり思い切りの良いショートショートで終わりにできず、また(〇〇)と括弧内の説明が多かったり、説明が長かったりするようだ。
読んでくださる方々に、以下の説明で、少しでもこの国の様子をお伝えして、『ふぅん』と思っていただけたら、と願うばかりである。
✨👗✨👗✨👗✨👗✨👗✨👗✨👗✨👗
ヨーロッパで女性として価値があるのは、ある程度年齢がいったマダムだ(男性の本音は知らない😑)。
マダムと呼ばれ、親切にされ、丁寧にされ、格上と見なされるのは年配者である。私が憧れるのはそれであって、実際その方が心地良い。
若い子は若い子と見なされる。子どもは子どもと見なされる。年齢が下だと思われることは、良い意味とは言えないのである。
つまり、エンデ博物館のおばさんは、
『ドイツ語使うくらいなんだから、子どもは無料ってことくらい知ってるんでしょ! 馬鹿な子だね、お金出そうとして』と小馬鹿にされた、という話なのだ。
外に出て、博物館での成り行きを夫に話した時、一言、
「なんで?」だった。
「ママが若く見えたんだね」と言うような台詞はなし。塩対応はしない人だが、全く思っていない言葉を吐いて、妻を持ち上げるタイプでもない。
池のほとりのカフェでお茶を飲んでいる時に気づいた。
『このワンピースだ‥』
その時着ていたワンピースは、濃紺、ゆったりとしたパフスリーブ、デザインはシンプルではあるが、ふんわりしたスカート部分のラインも綺麗で、私が一番着痩せする、お気に入りの日本製。
もう随分長く着ているが、これを超えて着痩せする夏ワンピは存在しない。
10年以上前、洋服メーカーで形状記憶の繊維が流行った年があり、その時の製品だ。3パターンほど持っている。洗っても乾けばシワは消えるし、旅行で持ち歩くのも便利だ。
そしてこの服の雰囲気にある少女っぽさ、それはそれとして、何よりドイツで子どもに見られたのは他の理由がある。
こちらでは、私くらいの年代の人でワンピースを着る人をほぼ見かけない。着ているのはイタリア人マダムや観光客くらいのものだ。イタリア人マダムは、スーパーに行く時も、ジャケットを羽織る(昔ファッション誌で読んだ通り)。お洒落だ。
どこを見回しても、カジュアルな服を着て、スニーカーを履いた人ばかり。パンプスを履いた人は殆ど見ない。
*なお、超富裕者層の実態は知らない。
またお祭りの時にドイツ各地で着られる伝統的な民族衣装《ディアンドル》は、大変可愛らしい。
幼児から老人まで、年齢関係なく着られている。ブラウスにワンピース、エプロンを組み合わせた形で、素材も綿から化繊まで様々だ。年配の人が上質の綿素材のディアンドルを着ていると、何とも様になって素敵だ。
夏はストレッチなど着やすい素材で、肌を出したワンピースを着る人は多い。これはワンピースであってもかなりラフであり、カテゴリーとしては違う。
日本のアニメの影響で、ゴスロリのワンピの子は時々見かける。ああ、そういう服、皆さんも着たかったのね♪と思う。
例外は観劇や結婚式。ちゃんとしたワンピースやロングドレス👗などを着ている。たまに劇場で、足元だけスニーカーの人を見かけて驚くが、まぁ、気にしないことにする。
つまり普通のお出かけ着的なワンピースは、日常のお出かけでは殆ど着ないということだ。
結婚したら、当たり前のように髪を短くし、当たり前のようにTシャツとストレッチの効いたピタピタパンツでお出かけする人ばかり。
旅行着などは尚更、ワンピなど着るはずがない。皆さんがよく着ている避暑地でゆったりと過ごす為の足元まであるワンピースは、陽を遮りつつ、薄い素材で風を通して涼しげだ。水着の上に着られていたりもするが、それはまた別の意味である。避暑地だからね。
私はワンピース以外はほぼ着た事がない。何十年も。仕事の時はその上にジャケットを羽織っていたし、普段着はその上にカーディガンを羽織ったり、というスタイルだ。
犬の散歩は、チュニックにスパッツというスタイルなので、見かけ的にはワンピースとさほど変わらない。
と、説明が長くなってしまったけれど、この歳になっても髪を長くして巻き髪、服はワンピース、そんな人はドイツ人的生態から見れば、
[大人に見えない]
のであり、エンデ博物館のおばさんは無料と判断したのだろう。
念の為、日本人代表(笑)として補足しておくと、大変乾燥した気候であり、更に紫外線が日本の4倍にも関わらず、すっぴんで外を歩くドイツ人に比べて、ちゃんとケアする日本人の肌はとにかく若い。
ドイツ人は、子ども以外は真夏にも殆ど帽子👒を被らない。安全の観点から、被った方がよくないですか?と思う。
日本人の肌の水分量が多いのは、肌表面の組織の構造自体の違いもあるが、更にちゃんと保湿して、メイクをして、帽子や日傘で紫外線を避ける。
民族・文化の違いは大きな差を生む。日本人の顔の皺はとにかく少ないので、それだけでも大抵の人は若く見られる。
顔がある程度ぽっちゃりしていれば、更に皺は少ないままいられるのだ。
あの時、受付で入場料をお財布から出したのではなく、既に5ユーロを握りしめていてすぐ出した(金額を知っていたからに過ぎないが)。いかにも子どもらしい仕草であったかもしれない。
私はこの夏もこのワンピースを多用するだろう。若く見られたい為ではない。‥‥念を押してみた。
この濃紺のワンピースは、その後も各地で誤解を生むことになる。
この続きは、次回の旅行記『Quedlinburg(クヴェトリンブルク)、Wernigerode(ヴェルニゲローデ)、世界遺産の街 木組みの家』にて。
