見出し画像

多言語学習は楽しい〜番外編〜夫の名前を一瞬忘れる

いつものように朝食の片付けを終えて、ホッとしてベランダのソファに座る。午前中は涼しく快適だ。花や空を眺めながら、しばらくぼんやりする。
青空に飛行機雲がいく筋も現れては消える。どの空港を出発して、どこに向かうのかを考えるのも楽しい時間だ✈️ 

脳の中が整理されて再構築されるのは、大抵リラックスして、ボーッとしている時だそうだ。たまに何かが降りてくる感じがしたり、無意識下で何かがポンと浮かんでくることがある。
思い出せなかった店の名前などが、脈絡なく唐突に頭に浮かぶのもそんな時だ。

いきなり、
『あれ? パパ(夫)の名前って何だっけ?!』
と思った。ほんの一瞬ではあったけれど思い出せなかったのだ。

私、大丈夫?と慌てた。でも落ち着いて考えてみる。忘れるわけがない、と。
次の瞬間、脳裏に浮かんだのは、夫の名前の漢字表記だった。あ、出てきた、と思ったが、その漢字が出てきているというのに、頭の回路が繋がらないような感覚を受ける。

『でも、それって…読み方が…』とまだ腑に落ちない。
*何に対して納得していなかったかは、後述する。

しかし、その後頭が焦点が合ったようにスッキリし、
『合ってる合ってる 笑』
と納得した。
こんな感覚は始めてだったので驚いた🫢

リビングに戻って夫に話す。
「ねぇ、今一瞬パパの名前忘れちゃった」
そう言うと、夫はマジで心配して顔を歪ませた。

それは先週ずっと、NHKプラスで『虎に翼』の寅子の姑、百合さんの老人性の認知症の進行具合を悲しみ、心配していたからだ。余貴美子さんの熱演はあまりにもリアルで切ない😭
余談ではあるけれど、登場時から、良い人だが、何かどこか不穏な空気を漂わせていた。さすが大女優さんだ、と思う。

さて、私の認知症を疑う夫に説明する。
「だって、ここ一年、パパの名前は郵便物の宛名のアルファベットでしか見てないもん。」
人に、夫の名前は〇〇です、と発音しながら紹介する場面もなかった。
そもそも名前では呼んでいない。

「それに、パパの名前は、ドイツ語の発音で読むと、別の人みたいな名前に変わっちゃうから。」
さっき思い出してからも、そのせいでしばらく確証が持てなかった、と笑って説明して、認知症の疑いを晴らす。

私がベランダで漢字の名前を思い出してからも、
「でも、それって読み方が」
と思ったのはこの事だ。
『漢字は思い浮かんだけれど、その日本語のローマ字読みと、ドイツ語の発音は違うじゃない?』
と、私の脳が混乱したのだった。恐らく🤔

私がドイツ語読みに慣れたせいで、いつも郵便物に書かれている夫の名前の綴りを(見ていただけ。発音はしない)、無意識でドイツ語の発音のルールで眺めていたということだ。
それを脳が処理すべき対象にしたのだろう。

本当にびっくりした(・Д・)

言語が変わると国の呼び方か変わる、というのは学校でも習う。よく知られていることだ。それはそれぞれの言語の発音のルールが違うことによる。

人の名前も同じように変わる。
『親がつけた個人の名前なのに?!』と今でもよく思う。
それに関しては今も抗議したい私。
うまく発音できなくても、世界共通で同じ発音で読むように努力すべき。だって個人の名前だもん!、と思う。

ただし私の名前に関して言えば、発音しやすい母音のせいで、どの国でも同じように読んでもらえるσ(^_^;)
しかし夫は「どなた?」という発音の名前に変わるのだ。

少し例を挙げると、元イギリス首相サッチャーの名前は英語読みでマーガレット、これがドイツ語だとマルガレーテ、フランス語になるとマルグリット、イタリア語やスペイン語だとマルガリータとなる。

『となりのトトロ」のメイちゃんは、ローマ字表記では[Mei]である。ドイツ語で書いても[Mei]だ。
しかし、読み方はマイ。
メイちゃんじゃなくてマイちゃんになるのだ。

昨日、出かけた先のカフェの横長テーブルで相席し、英語とドイツ語で話しかけてきたスペイン人の一家(スペイン語、ドイツ語、英語がどれも流暢。この記事の登場人物として実に望ましい人だ)とお喋りしていた時、連れているこどもたちの名前の話が出たので、日本の子どもの名前を幾つか挙げてみた。

(彼は親日家のようで、『荒城の月」を歌ってくれた。人気のあるバンドがアレンジして歌うそうで、格好良い歌だよね、と。
日本ではもう、相当年配の方々しか歌わないであろうこの歌へのリスペクトを語ってくれて、何だか嬉しかった🎶)

私が挙げた幾つかの名前は、日本では人気があったので、
「その名前が流行り始めてからの時代、同学年には同じ名前の子が何人もいるんですよ」など流行りのお名前事情を話してみた。
[メイ]は紹介した名前のうちの一つであった。

一家の旦那さんは普段はドイツ語で、我々とは英語で話し、まだ英語を話せない子どもたちには、この内容をニコニコしながらドイツ語で通訳してくれた。

その説明を聞いていたら、メイという名前はやはりメイではなく、マイと発音されていた。
名前が言語によって変化する話を旦那さんが先にしていたので、その上で、敢えて日本でのローマ字読みを強調して、[Mei]と綴りを言っておいたが、やはり変化していた。

Meで区切って「メ」と発音してほしくても、そこはドイツ語の発音ルールなので、Mei「マイ」。
ドイツ語の[ ei ]の発音はアイだからだ。

さて、話は戻るが、今朝の出来事は、リラックスしてボーッとしていた為に、この件について、私の言語に関しての進歩・認識の変化に伴い、それを脳が把握して処理したのだろう。

このところ、私は夫の名前のアルファベット表記の綴りを見た際にドイツ語として捉えるようになり、無意識のうちに違う発音で脳に上書きしていたことの証明がされたわけである。(多分(^◇^;))

そういえば、最近ドイツ語の文章を見ると、読めなくてカタカナを振っていた頃のように、この単語はこういう意味で、こういう発音で、と意識して目で追うのでなく、ただそのまま、文章を受け入れて読んでいる感覚がある。

フランス語やイタリア語にしても、同じように捉えている気がする。
いつものように翻訳機を使って、同じ文章を別の言語に換えた画面を眺めていても、あ、フランス語だ、今度はイタリア語だ、といちいち構えないで、単にそのまま受け入れている。

ほんの僅かずつでも、この私ですら、諦めずに繰り返し言語と接し続けると、何かしらの変化が起きる。

多言語の勉強はとても面白い。間違いない。






いいなと思ったら応援しよう!