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多言語学習は楽しい② 〜ドイツ語編〜孫と言語の進歩を競う

▪️言語を勉強してどうなりたいのか

『多言語を行ったり来たりすること』これぞ私の願い、と自覚して口に出してみたのは、ある意味、私にとっての英語にまつわる総括の日であったと思う。
私が望んでいたのは、{学んで使いこなせるようになり、英語を使う職業につく]といった事とは別なのだと知る。
【多言語による様々なコミニュケーションを行える状況に身を置きたい】
これらしい。ふわっとしているが、恐らくこれだ。

高校の時、将来英語を使う仕事をするのだと、狂ったように英語漬けの日々を送る子たちがいた。結構いた。
彼女らの目標は明確だったし、在学中に留学する子もいた。
私が英語が好きで得意科目である事など、趣味の範囲で遊んでいるくらいのものだと知る。
ネイティブではない彼女たちが、必死で取り組む英語の終着点は明確で、既に彼女らの前から真っ直ぐ伸びている道の先にある。

私が「英文科希望、留学したい!」と言ってみたところで、違う道を勧める親が許すはずもない。
それでも彼女たちのように学び続けて、自ら道を切り拓く覚悟はあるのか?   …ない。

高1にして、[人生は思うようにはならない]と達観の境地を彷徨う。
そして「私は何を目指すのか」と一応自分に問うてみるが答えは出ない。

大学進学後もその答えは出ないままで、英文科の子たちを見るとモヤっとしたものだが、ことのほか早く解消された。
それは第二外国語に選択したフランス語の授業がはじまったからだ。
何もかも一から初めるのは面白いものだ。しかし、発音や文法や積み重ねて覚えることが日々増えていく。
単語、表現、男性名詞・女性名詞、覚える事はいくらでもある。
うっかり授業を休んだりすると、そこからわからなくなってしまう。

前期テスト前に、いきなりフランス語が重荷になった。どうしたものか考えた末、他の教科の勉強を投げ出し、テキストとノートを睨み続けた。数時間の後、脳に快感が走る。理解したのだ。
「……わかった!」と呟いた私の顔は笑っていたと思う。
そこからはもうテスト範囲をこなすのみ。

その苦労した前期テストから、卒業まで{秀]の評価をもらうことができた。
しかし、それは外国文学部フランス語学科に所属する人たちに求められるフランス語とはレベルが違う。
私がやっている勉強は、単なる一般教養の一つである。
英語にしても、フランス語にしても、結局そういう事なんだよな‥と。

しかしふと思う。『私、このくらいで良くない?』と。
当時、結論は出ないまでも、ぼんやりと描く『私の望む何か』の為には、そのくらいの勉強で良いような気がしたのだ。
いや単に、実はそれ以上の厳しい勉強をしたくないだけの、隠れナマケモノとしての矜持だったのかもしれない。

▪️多言語に触れる日々が始まる

さて月日は流れて、アメリカ人講師に『多言語の行ったり来たり』をしてみたい宣言をした後、夫が単身で3年間の海外赴任した為に、ヨーロッパに行くことが増えた。
仕事を続け、夫と共に行かない選択をした事を免罪符に、有給休暇を目一杯取って向かったのだった。

そんな経験から、私には少し長めの海外旅行が丁度良いと思うようになっていた。
仕事であるとか、その国の生活者であるよりも、気楽な旅人が丁度良い。
仕事も充実していた。これで良い、と。

更に時は流れる。
再び夫が海外赴任する機会を得て、元々海外移住を考えていた私も行くことになった。
行く先はドイツ、出発まで4ヶ月。
引っ越しの準備とドイツ語の勉強の日々が始まった。

で、ドイツ語のテキストを2冊と辞書を準備してスタートしたものの、何が何だか全然わからない💦最初の1時間で絶望💦 何これ何これ!!!   何この発音!!

男生名詞も女性名詞も、フランス語でやったではないかと思ってもまるっきり覚えられない。
18才で始めたフランス語のようにはいかないのだ。
三日続けて勉強し、改めて絶望した。そしてやめようと決めた。
夫は「ドイツは英語が通じるから」と言い、今更ドイツ語はやらない、と決めたようだった。何より出発まで忙しすぎて勉強の時間もない。
いいや、私もそれで、と一旦は決めたのだった。

▪️孫と競う

二、三日して、3歳の孫が遊びに来た。話せる単語は以前より増えていたが、意味のある言葉は約30〜40語といったところ。

それ以外は、言葉に出さなくても、指を指して「ん!」と言えば、大人が理解して必要な物を渡したりできるので、ある程度までは事足りる。
言葉には出さなくても、意味はわかっている。あと少しのところまできているのに、「ん!」で済ませているのだ。
かといって、それで全てが伝わるわけではないので、不満を溜めてぐずり、泣いたり怒ったり。

男の子は遅い子が多いし、まあそろそろ喋りだすでしょう、と鷹揚に構えて待つしかない。
無理に話させようとしたり、話せたことに注目してしまうと、抵抗があるようだった。

同じ年の女の子といえば、おませでお喋りも上手で、既に日本語を流暢に使いこなして、男の子たちを説教したりしているという。
男の子と女の子はかくも違う生き物なのだ、と思う。

遊んでいるうちにふと思う、
『この子がこうして、日本語を覚えていくのと、私がドイツ語を勉強するのと、どっちが早いのだろう。経験値がある分、私が有利かも』と。

赤ちゃんが日本語に触れ、少しずつ言葉を覚えていくのと同じように、また一から始めてみるか( ⌯᷄௰⌯᷅ )と考え直した。

すると、絶望する前に何日か勉強した分が、少しわかるようになっていた。希望の光が一筋差し込む✨✨
その後は、こんなに何回も同じページをやっているのに、まだ覚えられない💦とキレる事数知れず。
しかし、今は競争相手がいる。負けたくない。

『孫の日本語よりも早く喋れるようになるもんね』
という、大人気ない競争心を支えに勉強し続けた。
 

ドイツ語に対して言いたいことは様々ある(言ったところでどうにもならない)。
例えば、英語であれば1行で済む文章が、ドイツ語だと1行半から2行になる。
いちいち冠詞が変化しながらくっついてくるし、単語そのものが奇妙に長いものもある。アルファベット20文字くらいの単語を見ると、『はぁ?!💦』という気分になる。

テキストには注釈があり、
【「何故こうなる?!」と考えずに、そのまま覚えましょう】
文句を言う前に、既に著者から牽制されていた。
大人しく『わかりました』と引き下がる(~_~;)

ドイツ語は、順調に少しずつ前に進むだけではなく、一歩も進まないまま、嫌になって数歩下ったり、ある日急に腑に落ちてみたものの忘れたり、なかなか手強いのであった。

▪️孫の勝ち
結果を先に書いておく。
孫との競争の結果であるが、1年後、孫がドイツにやってきた時、私の完全敗北を知ることとなる。

私たちが日本を出てしばらくして、勿体ぶっているかのようになかなか喋らずにいた孫は、ある時ダムが決壊したかのようにお喋りを始めたそうで、大変流暢な言い回しの日本語を身につけていたのであった(T ^ T)

『結局、恥ずかしがったり、ためらったりして喋らないでいると、相手に伝えたいことが伝わらないから、ぼくが困るだけだ。ぼくが喋るしかないんだ』
と、孫は気付いたに違いない。

この気づきは私の多言語学習にも通じるものがある。
[自分が喋るしかない]と腹を括るのが肝心なのだ。

孫と競うのだ、と決めてから一年、僅かな期間に、孫は日本語がペラペラになり、ほぼ全ての会話が成り立つようになったので、こちらとしてもありがたい。
大人相手に話すとのと同じように話しても、会話が成立するので楽しいのだ(^-^)

自然に身につけた学習とはこういうことか、と改めて実感する。
長い間、生まれた時から耳で聞き続けたことを、スルーしていたのではなくて、脳に溜め込んでいたわけだ。
私がドイツ語を一から勉強し始めた時点で、孫はペラペラ喋らなかっただけで、日本語の理解は進んでいた。
3年間の日常会話の学習経験者であったのだ。
なるほどなるほど。

私の競争心など知る由もない娘がそばにいない時を狙って、孫に敗北宣言をする。悔しいので詳細の説明
は避ける。

「ばぁばさぁ、完全に負けちゃったんだよね。」
「何に負けたの? ばぁば。大丈夫だよ。これあげるから頑張って。」
流暢に返された上に、お菓子まで恵んでもらってしまった。

▪️ドイツ 冷や汗をかく日々の始まり

さて、船便を送り、諸々の書類を整え、飛行機に積む荷物を預け、無事に機上の人となり、犬も座席の足元で到着まで良い子でいてくれた。
ドイツの生活が始まる。

買い物に行ったり、食事に行く分には困らない。旅行者と同じレベルの会話で済む。
しかし、犬を連れてお散歩に出た日から、私の冷や汗は止まらなくなった。
犬好きで人懐っこいドイツ人は、すれ違う殆どの人が話しかけてくる!   

日本のトリマーさんが仕上げてくれた、うちの犬のヘアスタイルはスッキリして綺麗で、ボサボサの毛の子も多いドイツでは目立つ。
またうちの犬は、日本で人気のある、いわゆるテディベア顔(目と鼻が正三角形に近く、マズルが短い)なのだが、ドイツではその価値観がないので、いろいろな顔の子たちがいる。それはごく自然のことだ。
しかし価値観がどうあろうと、明らかにうちの犬は特に可愛いと思われているのはわかる。

「わぁ✨可愛い」と叫んで寄ってくる子どもたち、慈愛に満ちた表情で微笑む犬好きな人々。
話しかけてきた人は数知れず。一年間で数百人はゆうに超える。

『うちの犬だから勿論可愛いけど、日本では割とよく見るタイプの顔なんですよ……』と心では思う。
でも言わない。というかうまく言えない。

それにしても、ここまでアイドル扱いされるのは思いもよらない事だった。

周辺の住宅街は緑が多く心地良い。犬の散歩に良い場所だ。人々ものんびり散歩を楽しむ。 
英語を話す人も多いが、年配の人はドイツ語であることが多い。

わからない言葉が出てきても、曖昧に笑ってやり過ごすような事があってはならない、相手に対して失礼な行為だ。必死で喋る。話し始めたら、最後まで喋り切る。

私は流暢なドイツ語は話せないが、この国に住んでいる日本人として、マナーは守るのだ!という使命感はある。
実力に伴わない内容のお喋りをうっかり始めて後悔しても、とにかく最後まで喋り切るのだ。

こうして犬のおかげで、私にはドイツ語や英語を話す機会が毎日常にあったのだった。
道でもバスや電車の中でも、必ず話しかけられたし、大抵にっこりしてこちらを見ている人がいるので、慣れてくると私の方からも話しかけた。

こうして書いてみると、順調なドイツ語を経験する日々のようだが、これもずっと続くと疲れるものだ。
『もう誰も話しかけないで💦』と思う日もあった。

▪️とうとう機会は訪れる

そんな気分で、ある日それまで何回か行ったことのある近所の店に買い物に行った。今日はご主人が店番をしているからドイツ語で、と考えていた最中に、彼はいきなり犬を指さして、
「暑くない?」とあまりにも自然な日本語で話しかけてきたのだった(´⊙ω⊙`)!!
ちゃんと尻上がりのイントネーションになっていた 笑

ひっくり返りそうになり、
「日本語話せるんですか?! もっと早く言ってくださいよ〜💦」
と大騒ぎしたのだった。久しぶりに外で聞く日本語だった。

聞けば、ご夫婦揃って日本に留学の経験があり、何年か仕事もされていたそうだ。親日家である上に、二人とも4カ国語が堪能であると知ったσ(^_^;)

親しくなるうちに、私は昔アメリカ人講師に宣言した『やってみたい事』を思い出す。とうとう条件が整い、その機会が巡ってきたのではないか、と。
問題はまだ私のドイツ語がおぼつかないという点だけでだ。

二人の会話を聞いているうちに、奥さんは私が話す日本語をほぼ全て理解してくれるが、日本語を使うのは久しぶりである為、返事をしているうちに日本語が思い出せなくなるとドイツ語が混じるのだ。 

「暑くない?」から半年経った頃、奥さんとのお喋りの内容が、私に取って喋りやすいと感じた日があった。
これは願ってもないチャンスだ!

予想通り、奥さんの返事が日本語ではなく、ドイツ語に変わった瞬間、私は何気に簡単なドイツ語で話し始めた。
奥さんはそれに対してドイツ語で返事をした(日本語からドイツ語に変わった事に気づいていない様子だった。私が夢見た瞬間である)。
意味を理解したので、今度は私はそれを日本語で返した。すると奥さんも日本語で喋り始めた。
そしてとうとう奥さんが、
「あれ? 今、私何語で話してた?」と。

私のドイツ語が未熟ゆえ、時間にすれば短い会話だった。しかし、私が憧れた『多言語が行ったり来たり』のドイツ語編はめでたく成立したのだった🎶🎵♪

長い道のりだった 笑


次回 フランス語、イタリア語編に続く



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