ゴーゴルを売却し、ニューオーダーが始まった日
ゴルファーズSNSは閉鎖した。
半蔵門ゴルフ倶楽部も解散した。
当時、会社は複数のベンチャーキャピタルから出資を受けていた。
資本を入れていただいている以上、当然ながら成長への期待がある。
そして、ベンチャーキャピタルのファンドには期限があり、その出口は基本的にIPOである。
我々も、当初はIPOを目指していた。
ゴルフという巨大なマーケットに対して、メディア、SNS、会員組織、イベント、ECなどを組み合わせ、ゴルフメディア&コミュニティを作ろうとしていた。
フリーマガジン「Go!gol.」を中心に、ゴルファー向けSNSを作り、会員制ゴルフサークルを立ち上げ、ゴルフを軸にした複数のビジネスを展開する。
メディアを入口にして、読者とつながり、会員化し、リアルイベントやサービスへ広げていく。
構想としては、決して悪くなかったと思う。
しかし、現実は思うようには進まなかった。
まず、リーマンショックがあった。
リーマンショックによって、雑誌ビジネスは大きく崩れた。
企業の広告予算は削られ、誌面広告の単価は一気に沈んだ。
感覚としては、リーマンショック前に比べて半額程度まで落ち込んだ。
フリーマガジンは、読者から購読料を取るモデルではない。
基本的には広告収入で成り立っている。
つまり、広告単価が下がるということは、そのまま事業の収益力が下がるということだった。
もちろん、広告がまったく取れなくなったわけではない。
しかし、同じ営業努力をしても、同じページ数を売っても、入ってくる金額が以前とは違う。
雑誌を作るコストは大きく変わらないのに、収入だけが下がっていく。
これは、フリーマガジンにとって非常に厳しい状況だった。
それでも、何とか立て直そうとしていたところに、今度は東日本大震災が起きた。
震災後、しばらくの間、社会全体に自粛ムードが広がった。
ガソリン不足もあり、「ガソリンを使ってゴルフに行くのはけしからん」という空気もあった。
ゴルフ場に行くこと自体が、どこか後ろめたい行為のように見られる時期があった。
もちろん、すべての人がそう考えていたわけではない。
しかし、少なくとも当時の空気として、ゴルフのようなレジャーに対して、世の中の目が厳しくなった時期があった。
当然、ゴルフ市場は縮んだ。
ゴルフに行く人が減れば、ゴルフ用品、ゴルフ場、ゴルフイベント、ゴルフメディアにも影響が出る。
我々が依拠していたゴルフ市場そのものが、外部環境によってシュリンクしていった。
ゴルファーズSNSは閉鎖した。
半蔵門ゴルフ倶楽部も解散した。
ゴルフを核としたビジネスモデルは、当初描いていた成長軌道には乗らなかった。
そして、出資を受けていたファンドは、すでに満期を過ぎていた。
つまり、我々はもう、IPOというゴールを現実的な選択肢として語れる状況ではなかった。
IPOを諦め、会社の方向を変えるしかなかった。
会社としては、明らかに事業を整理する局面に入っていた。
今で言えば、ピボットである。
ただし、きれいな戦略用語としてのピボットではない。
リーマンショックで広告単価が崩れ、東日本大震災でゴルフ市場が縮み、ファンドの期限も過ぎていた。
当初の成長シナリオが崩れた中で、それでも会社を残すためのピボットだった。
会社の中にある事業や資産を、もう一度冷静に見直した。
何を残すのか。
何を手放すのか。
何を次の人に託すのか。
そして、自分たちは次にどこへ進むのか。
その中で、唯一きちんと事業として成立していたのが、ゴーゴル出版事業だった。
ゴルファーズSNSは閉じた。
半蔵門ゴルフ倶楽部も解散した。
しかし、フリーマガジン「Go!gol.」には、まだ広告主がいた。
読者がいた。
媒体としての認知もあった。
大きな利益を生む事業ではなかったかもしれない。
会社全体をIPOへ導くような成長エンジンでもなかったかもしれない。
それでも、黒字化していた。
ゴルフメディアとしての価値は残っていた。
だからこそ私は、Go!gol.を単に畳むのではなく、より良い環境で続けられる先に引き継ぐことを考えた。
ただし、それは余裕のある事業売却ではなかった。
ゴルフを核としたビジネスモデルから、我々は撤退するしかなかったのだ。
ゴルフメディア、ゴルファーズSNS、半蔵門ゴルフ倶楽部。
これらを束ねて、IPOに向かうという当初の構想は終わった。
その現実を認めたうえで、まだ価値のあるGo!gol.だけは、次の担い手に渡す。
自分たちは、残った力を使って別の事業へ向かう。
そういう判断だった。
売却先として頭に浮かんだのは、高校の先輩が社長を務めるTVCM制作会社だった。
その会社には、ゴルフメディアとの接点があった。
学研が発行していた「パーゴルフ」の社長も、同じく高校の先輩だった。
その先輩がパーゴルフを切り売りする形で、TVCM制作会社の傘下に入っていた。
ゴルフという領域を理解している。
メディアにも接点がある。
TVCM制作会社としての制作力もある。
Go!gol.にとって、悪い相手ではない。
むしろ、自分たちだけで抱え続けるよりも、媒体としての可能性を広げてもらえるかもしれない。
そう考えた。
私は意を決して、その先輩に会いに行った。
Go!gol.を売却したいという意思を伝えるためだった。
もちろん、簡単な話ではない。
自分たちが立ち上げ、育ててきた媒体を手放すのだから、寂しさはあった。
社名もゴーゴル。
雑誌名もゴーゴル。
起業してからの多くの時間を、この媒体に注いできた。
企画を考え、取材し、撮影し、原稿を書き、デザインし、広告を売り、配布先を開拓してきた。
大手出版社のような資本力はなかった。
組織力も限られていた。
それでも、自分たちなりにゴルフメディアを作ってきたという自負はあった。
だからこそ、売却は「捨てる」という行為ではなく、「次に渡す」という行為でなければならなかった。
先輩は、こちらの話を丁寧に聞いてくれた。
会社の状況も、媒体の価値も、私の思いも理解してくれた。
そして、概ね合意してくれた。
金額について、私は強く交渉するつもりはなかった。
もちろん希望金額は伝えた。
そして、その希望金額で話は通った。
ありがたかった。
ただ、金額以上に大きかったのは、Go!gol.をきちんと受け止めてもらえたことだった。
単なる在庫や営業権の売買ではなく、媒体としての歴史や関係性ごと引き継いでもらえた。
広告主との関係。
読者との接点。
ゴルフ業界の中で築いてきた認知。
それらを、次の会社に渡すことができた。
売却後、私は少しの間、引き継ぎとして広告セールスを手伝った。
媒体が突然別の会社のものになれば、広告主も不安になる。
発行元が変わるなら、その背景をきちんと説明する必要がある。
だから、できるだけスムーズに移行できるように、広告主との関係をつなぎ、営業の流れを共有した。
まだ自分のもののようでもあり、もう自分のものではない。
そんな不思議な感覚はあった。
しかし、そこには清々しさもあった。
Go!gol.を無理に抱え続けて弱らせるのではなく、次の場所に引き継げた。
ゴルフを核としたビジネスからは撤退する。
しかし、媒体そのものは、次の担い手に渡す。
これは、会社にとっても、Go!gol.にとっても、必要な判断だったと思う。
雑誌と社名が同じだったため、売却後は社名を変更することになった。
Go!gol.という媒体を手放した以上、会社がゴーゴルという名前のままでいるわけにはいかない。
会社は、創業以来の名前を変えなければならなかった。
では、次に何を名乗るのか。
何の会社として生きていくのか。
自分たちは、何を強みにして再出発するのか。
そこから、もう一度考えた。
Go!gol.を譲渡した後、会社に大きな資産は残っていなかった。
設備があるわけでもない。
不動産があるわけでもない。
大きなシステムがあるわけでもない。
残ったのは、コンテンツを作る力だった。
企画を考える力。
読者や顧客の気持ちを想像する力。
情報を編集する力。
写真や言葉で伝える力。
広告主の意図と、受け手の関心をつなぐ力。
これは、雑誌作りの中で鍛えられたものだった。
媒体は手放した。
しかし、媒体を作ってきた能力は残っている。
ならば、その能力を次の時代に使えばいい。
当時、Facebookが広がり始めていた。
企業がFacebookページを作り、自分たちで情報発信を始める流れが出てきていた。
今でこそ、企業がSNSを運用するのは当たり前だ。
しかし当時は、何を投稿すればいいのか、どう運用すればいいのか、まだ多くの企業が手探りだった。
私はそこに可能性を感じた。
企業はこれから、自社の言葉で発信するようになる。
広告枠を買って終わりではなく、自分たちでコンテンツを作り、顧客と継続的につながる時代になる。
その時に必要なのは、まさに自分たちが雑誌で培ってきた編集力だった。
何を言うか。
どう見せるか。
どんな順番で伝えるか。
どんなトーンで語るか。
誰に届けるか。
これは、紙の雑誌でも、SNSでも、本質的には変わらない。
違うのは、媒体が紙からデジタルに変わること。
読者がフォロワーに変わること。
広告ページが投稿に変わること。
編集部が、企業の中や外部パートナーに移ること。
つまり、私たちは自社媒体を持つ会社から、企業の情報発信を支援する会社へ変わればよかった。
そうして、Facebookのコンテンツを制作し、企業に提供する事業を始めることにした。
今で言えば、SNS運用代行である。
これは、Go!gol.の売却と無関係に始まった事業ではない。
むしろ、Go!gol.を次の担い手に引き継いだからこそ、自分たちは次の事業に集中できた。
ゴルフメディアの会社から、SNSマーケティングの会社へ。
自社媒体を作る会社から、企業の発信を支援する会社へ。
紙のメディアから、ソーシャルメディアへ。
会社の中心を移すタイミングだった。
SNSによって、世の中のメディア事情は大きく変わり始めていた。
それまで情報発信の中心にいたのは、マスメディアだった。
テレビ、新聞、雑誌、ラジオ。
大きな資本と組織を持つメディア企業が、多くの人に情報を届けていた。
企業は、広告主としてその枠を買う立場だった。
個人は、基本的には情報の受け手だった。
しかし、SNSはその構造を変えた。
企業が、自分たちの言葉で直接発信できる。
個人が、自分の考えや体験を世の中に届けられる。
小さな会社でも、発信次第で顧客とつながれる。
一人の投稿が、メディア以上の影響力を持つこともある。
これは単なる広告手法の変化ではなかった。
メディアの秩序そのものが変わる出来事だった。
マスメディアだけが情報発信できた時代から、企業も個人も発信者になる時代へ。
情報の流れが、上から下へではなく、横へ、斜めへ、無数に広がっていく時代へ。
私はその変化を見ながら、こう思った。
メディアの秩序が変わる。
新しい秩序が生まれる。
ならば、新しい会社名は、その変化を表すものにしたい。
そうして決めたのが、「ニューオーダー」だった。
New Order。
新しい秩序。
Go!gol.という名前には、創業からの歴史が詰まっていた。
それを手放すのは寂しかった。
しかし、新しい事業に向かうには、新しい名前が必要だった。
ニューオーダーという社名は、自分自身への宣言でもあった。
これまでの秩序の中では、もう戦わない。
新しい秩序の中で、もう一度戦う。
紙のメディアで起業した会社が、SNSの時代に生き残る。
自社媒体を手放した会社が、企業の情報発信を支援する会社として再起する。
あの売却は、単なる終わりではなかった。
ゴルフを核とした事業から撤退し、会社を次の形に変えるための判断だった。
会社としては厳しい時期だった。
キャッシュも減っていた。
IPOという当初の目標も諦めざるを得なかった。
先がはっきり見えていたわけでもない。
それでも、Go!gol.を無理に畳むのではなく、次の担い手に渡せたこと。
そして、その後にニューオーダーとして再出発できたこと。
その二つは、今につながる大きな分岐点だったと思う。
事業売却というと、後ろ向きな響きに聞こえることがある。
しかし、売却にはいろいろな形がある。
資金化のための売却もある。
撤退のための売却もある。
一方で、事業を次に生かすための売却もある。
私にとって、Go!gol.の売却は、そのすべてが混ざった判断だった。
ゴルフを核としたビジネスモデルからは撤退する。
IPOという当初の目標も諦める。
しかし、価値の残っている媒体は、次の担い手に渡す。
そして、自分たちは、残った力を新しい市場に向ける。
そういう意味で、あれは会社を終わらせるための売却ではなく、会社を変えるための売却だった。
そして、その売却があったから、ニューオーダーは始まった。
媒体は手放した。
会員組織も解散した。
SNSサービスも閉じた。
それでも、企画し、編集し、伝える力は残った。
最後に残ったその力を、SNSの時代へ持ち込む。
そこから、ニューオーダーの再出発は始まった。
