女性も男性も大変なクラシック音楽④ズボン役(音楽に関する疑問を先生に聞く会)
G:女性の声楽家は、他の職業音楽家に比べて早くから地位が確立していたことは前回(②オペラ歌手と管弦楽団)お話ししました。
そこで少し複雑なのがオペラのズボン役です。
M:あはは。オペラのズボン役とか、バレエのトラヴェスティとか、西洋人て異性装の役が好きですよね。
オペラのズボン役とは、女性歌手が男性の衣装を着て、少年や青年の役を演じ、歌う。
バレエのトラヴェスティとは2タイプある。
1つは、オペラのズボン役と同様、女性ダンサーが若い男性の役をすることで、19世紀後半にはもっとも盛んに行われていたが、現在はあまりみられない。
トラヴェスティの女性ダンサーは、男性観客の視覚的・性的な関心の対象となっていた側面も。
もう1つは男性ダンサーが女性のドレスや衣装を着て、女性の役を演じるもの。
こちらはコメディ的な意味合いで、現在でも一般的。
G:はい、確かに西洋の舞台芸術には、オペラのズボン役、バレエのトラヴェスティ、演劇の男装・女装が繰り返し登場します。
M:オペラのズボン役で有名なのは「フィガロの結婚」のケルビーノや「ばらの騎士」のオクタヴィアンなどですね。
G:ズボン役が生まれた大きな理由の一つは、声域の問題です。
18世紀に活躍していたカストラートの文化が衰退するに伴って、女声歌手が男装して、若い男性の役を担うことが一般化しました。
しかし観客はそこに独特の魅力を感じたということが重要です。
例えばケルビーノを女性歌手が演じることで、その中性的な魅力が強調され、現実には存在しない理想化された、美しい青年が生まれるのです。
バレエのトラヴェスティ(女性が男性役をするタイプ)も捉え方は近いです。
その土壌として、ヨーロッパ文化には昔から境界が曖昧な存在への美意識があったのです。
天使や妖精など、完全な男性でも女性でもない、あるいはその境界を行き来する幻想的な存在がしばしば理想化されてきました。
M:なるほど。でも観客がズボン役を面白がる意識、逆に言うと作曲家や台本作家がそこに仕掛けたものは、もっと直接的な娯楽の要素もありますよね。
さらに現代の私たちの感覚でいえば、オペラの衣装、例えば18世紀の宮廷服など、そもそも一種のコスプレのようなものです。
ルイ16世時代の男性貴族の服装なんてかなり装飾的で、ある意味では中性的。
そのように時代も性別も現実からは遠い設定でのズボン役なら、ストレートに娯楽として楽しめます。
G:はい、演出家の間でもこの点は意識されています。
「フィガロの結婚」や「ばらの騎士」の現代演出だと、ズボン役がジェンダーやセクシュアリティの文脈に入り込んでしまいやすいです。
M:それはすごく感じます。
つまり芸術って、芸術だからこそ、高尚な建前をまといつつ、観客が見たいものを提供できる枠組みでもありますよね。
それこそオペラは下世話なお話が多いですが、観客は芸術作品の中だからこそ、性別の錯綜や変装の面白さも安全に楽しめる。
G:確かに美術でも「ヴィーナスだから裸でもいい」「神話だから性愛表現も許される」という形で、古典的題材が一種の正当化装置になっていました。
現実からの適切な距離感が重要なのです。
M:はい。それにしても、女性がズボン役という設定の中で、さらに女装をする(ケルビーノやオクタヴィアン等)くらい込み入った仕掛けは、相当に倒錯的な遊びではないですか。
いろんな恰好をさせて、いろんなシチュエーションや感情も与えて、それを見て楽しむ、みたいな。
それはケルビーノやオクタヴィアンの自発的な行動ではなく、我々がやらせているわけで。
彼ら(彼女ら?)が若くて未完成だから、こんな遊びができてしまう。
作品の作り手と観客の共犯ですね。
以上の会話はフィクションです。
特別出演:Gemini先生、チャッピー先生
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