お金がないから全部欲しいです、と言われたとき
スマホをみたらメッセージが届いていた。そこには
「お金がないから、全部欲しいです」
とあった。
正直に言えば、私はその時、ちょっと恥ずかしかったと思う。お金がないなんて、冗談以外では聞いたことがなかった。恥ずかしいなんて思ったら、悪かっただろうか。
2024年の9月。引っ越しをすると決めてから、ジモティーで日用品や家具を出品しはじめた。こたつ、本棚、画材、調理器具、服・・・。出品の数だけ、メッセージが波のように押し寄せてきた。
「あれがほしい」「これはいらない」「明朝、受け取りたい」「子供を送ってから」
各々の都合で連絡が来るから目が回る。うんざりしているとその中に、一通だけこんなメッセージがあった。
「お金がないからすべて欲しいです。今日でも明日でも、いつでも取りに行けます。」
惹かれた。すべて、いつでも。
「じゃあ、今から来れますか」「準備して30分後に着きます」
その人は短いやり取りで来て、そして本当に全部持って行った。
「全部欲しい」と言いつつも、受け取りの段になって選ぶ人がいる。これはいいや、これはもう持ってるんです、と言って置いていってしまう。片付くと期待していただけに、えり好みをしないで欲しいと思いながらも断ることはできない。
でも、その人は違った。腹が減った動物みたいに何から何まで次々と小さな車に詰め込んでいった。黙って作業をし、箱の中も確認しない。
最後にA4のコピー用紙を折りたたんだものをくれた。その場ではなんとなく、開かないほうがいいと思った。
「どうも」「こちらこそ」そういってお互いの目を見ないまま会釈をして別れた。背後で軽自動車が音をたてて走り去った。後部座席にガムテープで補強したベビーシートが乗っていたのが見えた。
開いてみると、それは手紙だった。
最初に、乱雑な字で書いてあるのは赤信号で急いで書いたから。そしてこんなことを書くのは私がこれから引っ越していく人だから、と断りがあった。
誰かに聞いてほしいんです、と。
そのあとに、その人の事情が殴り書きされていた。
父親が違う娘が2人いること。1人目は突然帰ってこなくなり行方がわからず、2人目は事故で死んでしまったこと。特に、たくさん出品していたクレヨンや絵の具、厚画用紙は、下の子が絵を描くのが好きだからうれしい、と書かれていた。そういえば、紙粘土と陶土、ビーズや手芸道具も入れた。子供が遊びに使えそうなものは何でも欲しいと言われていたので張り切って詰め込んだのだ。
そして、私が大学時代から買い集めてきた製菓道具は「特別にうれしい」そうだ。その人はパティシエになるために名古屋の調理専門学校に行きたかったが、経済的に難しく進学ができなかったらしい。「もう一度、夢を描けるような気がしてきた」と文字が躍る。
持病のために会社勤めはできず、リモートワークのパートで食いついないでいること。上の子がそろそろ、うちは貧乏だ、と気づき始めているのであらためて物をそろえたいこと。
「私事をすみませんでした。お礼がなにもできずにごめんなさい」
そう締めくくってあり、差出人の名前はなかった。私はすぐに、アプリを起動して、その人にメッセージをしようとした。アカウントが見当たらない。消してしまったのか、ブロックされてしまったか。
それはそうだろう。これだけ事情を知らせてしまった人と、もう一度会いたいとは思わないかもしれない。それでも私は言いたいことがあった
。
あなたには価値がありますよ。金があってもなくても、父親がいてもいなくても。その子供たちも同じように価値がありますよ。
そしてあなたの体験は誰かを励ますかもしれない。私は、noteというプラットフォームを知っています。そこで、日常を綴ってみたらいかがでしょうか。
そんな声は届くはずもないのだ。そんなことを勧めて、私はどうしようとしたんだろう。
がらんとした空き部屋を雑巾で拭きながら、考えた。私は生まれて初めて学んだのだ。「与えることと受け取ることは、案外似ている」と。今日、私は確かに何かを“あげた”けれど、もしかしたら“もらって”いたのかもしれない。あの軽自動車の音も、乱雑な手紙も、この先もどこかに残り続けていくだろう。
だからお礼をしたかったのだ。ほんの少しでもいいから、彼女の声が消えないよう力になりたかった。彼女の叫び声が、このちっぽけなA4の紙の中で途絶えてしまうのはもったいないと思った。
拭き終わると、部屋はさらにがらんどうに見えた。それでも、私はなぜか満ちているような感覚があった。もう二度と連絡の取れない誰かを想いながら、その土地を後にした。
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自分を許して、大好きな釜揚げうどんを食べに行きます。ありがとう!