サティシュとギフトと信頼と考察と。
2024.11.4 深夜1:44
サティシュクマールの講演会へ行って会った後に
私の中で感じたことを潮流のように出してあった
メモを、ここに残しておく。
私が書いたという意識がないけど
確実に私の言葉だった。
そしてこれは、残しておきたいと思った。
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サティシュ
愛を実践している人に会うと
言いようのないものが込み上げてくる
存在の説得力。
彼の背丈は小柄だが
溢れ出る愛の大きさは計り知れない。
そしてそれを自然体で生きている人。
その愛で会場全体を包み込んでいた。
インドからモスクワ、NY、ワシントン、東京へ
全て歩いて無一文で平和の巡業をしていたことを
私は知らなかった。
具体的にそこに行き着くまでの話を聞いて驚いた。
私は常に元気に思われがち(弱音はあまりSNSで吐けない、吐きたくないタイプ、元気な時にだけ投稿している)なのだが
実は昔から身体も心もアップダウンが激しく
大きなイベントの後はいつも寝込んでしまったり伏せってしまい、すべてが止まってしまう。
波のように🌊押し引きの循環だとは思いつつ🔄
歩みへの遅れの焦りや、立ち上がれなくなるような恐怖感、エネルギーの少なさを感じていた私は
雨が降っても嵐にあっても
立ち止まらずにその非暴力の歩みを続けている
御年88歳になるそのサティシュのエネルギー作り方とモチベーションの保ち方を質問した
彼は、穏やかな声で優しい微笑みをたずさえ
ただこう答えた。
「シンプルだよ、お茶を飲むんだ。」
「毎朝マイワイフとお茶を飲む。そして、詩を読む。芭蕉、ルーミー、ハーフィズ…私はそこから沢山のエネルギーを貰っている。庭を歩く。料理をして、友人たちと食べる。どこか遠くからエネルギーがくるのではない。日常にエネルギーは溢れているのだ。それは、神様からの贈り物だ。
とてもシンプルなんだよ。エレガントシンプリシティーだ。」
(対面でその波動を受け、私は気が昂り泣いてしまうほどだったので多少の言い回しはちがったかもしれないが、震える手で目を見ながら必死にメモをとった。)
そうだ。
人も自然も石もモノも
この世にあるものはみんな振動していると
量子力学や波動療法を
私は学んでいて知っているじゃないか。
欲しければそのエネルギーを享受し
ありのまま受け入れて
共鳴して増幅することだってできる。
その波長が要らない時はより強く自分を保ち
跳ね返せることも。
毎日みんな社会からトラウマになるようなことを受けているがとも言っていたような気がする。
だが、深く考えないこと。
つい深く哲学や因果関係や物事を考えがちな私に刺さる、忘れていた名言ばかりもらった。
リマインドも兼ねて記しておく。
「Be foolish. Be poor.(愚かであれ、貧しけれ)」禅の教え
(スティーブ・ジョブズの演説やヒッピーの本でも有名だが、あとでもうちょっと噛み砕く。)
「愚か者は複雑にする、天才はシンプルにする」byアインシュタイン
最近我が愛しの息子さんは、
野球で知ったドンマイという言葉がお気に入りで、ステップバイステップという曲が好きで歌詞を覚えようしていて、昨日は寝る前にこれ読んでの本がお気に入りのアインシュタインだった。
Don't mind でStep by step に…
いろんな手段を使って神様はメッセージを伝えてくれるなぁ、そしてさすが神様に近い息子さんですわ、と色々納得🤣w
「Cosmos is my country.
My nationality is natural.」
たくさん気づきと学びと光をもらった。
行くと決めて、会えて、話せて、握手もできた。
この奇跡のようなタイミングはなんだろう。
あとでたっぷり咀嚼して味わおう。
ひとまずは忘れないうちに、メモとして残しておく。
さ、愛を持って我が子と眠りに着こう。
つづき。
以前気づいたことがある。
私は、人を信じているようで信じていない時がある。
もっとそれを細分的に言語化して
わかりやすく言うと、
人の"ありのままの暴力性"を
信じている。(ただ在るのを認めている)
食べ物に関しても
何の目的を持って添加物を入れていて
どこに卸して何を優先しているのかが
原材料表示や商品の売り方やパッケージに
全て現れているから。
家族や学校に関しても
無意識の押し付け、決めつけ、心配、
「あなたのため」への違和感
それは、悪気があるないの問題ではない。
ただ単にその会社にとって
その先生や大人たちにとって
優先していることがそれだっただけ。
それは逆も然り。
そして人の脆さも、知っている。
私自身も沢山経験してきた恐怖も。
そして私はそのカオスさえ実は愛している。
(ということは以前リトリートのブレスワークで出てきて実感した)
なので「まず疑う」というよりも
この人はどういう目的か?
(NVCでいうNEEDSなのか?)に
察知する能力がとても発達した。
(こういうと聞こえが悪いかもしれない😂)
幼少期より不安定な家庭や環境で育った
私なりの無意識の処世術だったんだろう。
そしてそれをあえて無視する時もある。
自分の身と信念を守るために。
それによってさらに嵐が降りかかる時もある。
だが
最近NVCやヴェーダを学び続け
自分と哲学対話をし続けて
気になっているテーマは
「信じる」とは。ということ。
愛とは、信じることであり
信じるということは愛するということだ。
では何を信じるのか?
目の前に出ていなくても、
その人のPotential(潜在性)を、
信じるということ。
この潜在性は、
何にでもなれる可能性があるということ。
それは一つの何かわからない種だ。
撒いてみたら予想外なものが出てくるかもしれない。
たとえ殺人鬼であろうが赤子であろうが
未来は無限の可能性に満ちている。
何を選択するかによって如何様にも変わる。
もちろん、その道は細く見えずらいものもあるだろう。
だが、存在はしている。
誰も無いなんて本当は言えない。
それが「潜在性」だ。
今ここに現れている「顕在」は、
その数多くのポテンシャルから
選択してきた結果に過ぎない。
その選択を、狭めるか広めるかは
自分で決められる。
誰かに決められた、仕方ない、と思うかもしれないが、それでは益々見えなくなってしまう。
いつだって殻から抜け出せる準備が
世界には、ある。
物理的に捕まっていたらまた違うだろう
私は拉致や隔離された経験もなく
牢屋に入ったこともないから
平和ボケの偽善的な理想論かもしれない。
だが実際にアンネの日記や壮絶な環境を生き抜いてきたひとの自叙伝などで語り継がれていることもある。
「囚われていても私の心までは捉えることはできない」と書いた人もいた。
ダルマ、は魂の置かれた場所。
それをいかに守り誠実に向き合い生きるか。
つい、ありのままの暴力性を信じている視点がスタンダードなので、たまには意識的にありのままの愛を信じる視点に切り替えてみる。
するとどうだろうか、
白黒の退廃的なカオスの美しい世界から
鮮やかで彩り深く温かな美しい世界が現れる。
すべての人のエネルギーを愛の波動として
受け取れて、愛しく思えてくる。
生き生きとみなぎってくる。
これだったのか、源は、と
知っていたようで体感してなかった
していたようで忘れていた世界を
また再び取り戻した。
この愛モードがスタンダードになれるよう
マインドフルネスやリマインドや
ドントマインド(矛盾してるけど😂)を
プラクティスしていこう。
いや、しなくてもいいか。
そこにあるのを思い出すだけでいい。
陰陽☯️なんだからなー
とはいえ
会場で「プーチンみたいな人を愛するにはどうしたらいいですか?」という
がっつりなジャッジメントバイアスをくらって
咄嗟に不快感が出てしまう自分もまだいる。
そして判断しああそこの人ねとしてしまう自分もいる。
でも、それは防衛反応だと気づけている自分もいる。
そして愛に変換できる自分もいる。
頭の中が忙しい😂
まだまだ咄嗟に出るのは
34年間の生き抜いてきた私だ。
でもその私が今の私を生かし守ってくれた。
ありがたく、感謝しつつ、大丈夫だよ、と
さまざまなこの世を渡り歩く
智慧という武器(揶揄😂)を身につけた私は
少しずつ、解放していこう。
暗闇が怖くて、ライトをつければ大丈夫だよと言われても怖くて行けない子供のように、頭でわかっても体の拒絶反応が出るものは出る。
私は私に連れ添ってあげよう。
(私は兄に連れそう妹だった。私が暗闇を愛しむしろそのままライトをつけず行くタイプだったから、渋々つけて夜のトイレをついて行ってあげたのを思い出した。)
まだ何が正解か出口かなんてわからないけど
ひとまずこの非暴力ダンジョンを選んだから、
あとはひたすらプロセスを楽しむのみだ。
