私の半径1mètreの世界 /episode1
窓から見える、小高い山の上に建つ私の小さなアパートからは、みなとみらいの夜景が一望できる。暗闇の先の先の先。
手前の空からは、全く動かない星もいくつか見えていて、遠く離れた灯の灯ったビルには、手も届かなくて、前髪を撫でる冷たい夜風を浴びることで自分の存在を知り、やはり、私には半径1mの世界だけが、
丁度良い距離感なのだと自分の心を宥めさせることが出来る。
私のことを、好きだという男性や、女性や、ただ単純に好意として「おねぇちゃんすき」といってくれる子供を、ここ1年ほどで不思議と
ずいぶんと眺めた。
私の何に魅力を感じるのかと自分を問いただしても、それはまるで答えの出ない難問で、二次関数をひたすらに解いては消す、シャープペンと消しゴムみたいに淡く自信のない筆跡は、少しだけ跡を残しては消えていく。
人から見える私、は、一体誰なのだろうか。
ある男は、生涯に1人だけに渡すことができるという、鈴蘭の花束を私の腕に抱かせた。
ある男はは震える声で、
「結婚をするならあなただと思う」と言った。
ある女は、「私を恋愛の対象としてみてくれないか」と言った。ある子供は「おねぇちゃんがお母さんだったらいいのに」といった。私は、いつだって暗闇を歩いていて、ふいに、イルミネーションを浴びるように、その言葉たちを、片耳に入れては、笑って「もったいないです」と答える。私を好きだと言う人間は、私の何を見て好きだと言うのだろうか。考えても考えても、
答えには辿りつかない。
私は、今日も、海の見える公園まで1人で歩く。
一度だけ、不思議とすんなりとたどり着けた、夜景の綺麗な海沿いの公園までの道のりは、方向音痴の私にとって、大海原を旅する小さなボートのようで、心細さと、目的に必死でジタバタとしてもままらない、
不甲斐なさの揺れを体に一身に感じている。
でも、行かなくてはならない。横浜駅からひたすらにみなとみらいへ続く道。人混みを辿ればどこか人の溜まりに着くだろう。それでも、私は彼と、歩いた道のりを、一歩たりとも間違えずに、進みたいのだ。
彼と歩いた街並みは、はっきりとそれでも断片的にしか覚えておらず、結局は彼の温かい手や、横顔を眺めて板にすぎず、道なんてこれっぽっちも覚えていなかったことに気付く。どこの角を曲がれば良いのか。どこの横断歩道を渡るのだろう。大きなエスカレーターは覚えているけど、スクエアの中には西も東もあって、
大きな階段はたくさんあって、
人混みに塗れては途方に暮れて足を止める。
今日は、クリスマスツリーの点灯式で、口角をあげた大量の人間が、みな同じものを見て歓喜をあげている。傾斜をつける顎の先は、天井高く聳えるクリスマスツリー。幸せを感じる一つのもみの木。色とりどりの電飾。ここにいる人間はそんな電飾と同じに、私には見える。
違う。
こんな場所通ってない。
観覧車はいつだってずっと近くに見えるに、あの時見た、一緒に眺めた角度が違う。彼の手に引っ張られることなく、ピタッと寄り添って、私は彼の温もりだけを頼りにただただ、
歩いていたのだ。
薄いオータムコートがよく馴染む海風な心地の良い日だった。
私と彼はみなとみらいの海を前に、自然と手を繋いでいた。淡く沈む太陽と、薄い青と桃色のグラデーションを手で掬うように眺めていると、いつしかネイビーな夜はカーテンを揺らすように現れて、私たちの形をうっすらとぼかして行った。
「eriの心が好き」
ネイビーな、空。ネイビーな声。
耳元に呟くようにこぼした、彼の低い声は、波の揺らぎによく馴染む、
心地の良い綺麗な言葉だった。
突然の愛に戸惑ったし、それでも、そんな心をすんなり抱きしめられるほど、私達はお互いを想いあっていたことは、
とうに知っていた気もしていた。
少しずつ、羽毛を纏った心を持ちながら、日々は過ぎていく。少しずつ彼のことを知りたいと思いながら、私はどんどんと、自分以外の、ナニカ暖かいものに変わっていくことがわかった。
それでも、私の心とは反対に、彼の心は、ネイビーがより深く覆うようになって行った。
時折遠くを見つめて、私に興味がないように感じることがあった。不思議な人。ある日を境に、その大きな大きな隙間は、
夜の暗い闇の中の海のようで、私は、
ポツンと世界に取り残された気がした。
彼の心の中が、見えない。
頭の中が、見えない。
それでも、この人の心の中を私でいっぱいにしたい。彼の心が離れていることがわかっていても、私は、会いたいと、素直に伝えたし、
求められるままに、彼に身体を許した。
私だけを考えて、私だけを感じてほしい。
そう祈るように、
ベッドや、床の上や、キッチンで、
肉体を重ねた。
いつからか、彼の心が全て欲しい、とそんなことばかり考えるようになっていた。
私は、誰なんだろう。ふと、
そんなことが思い浮かぶ。
人からの好き、は見えないのに、この人からもらう、好き、はありのままに眺めたい。ネイビーな心に、柔らかい灯りをつけたい。
彼がどんどんと濃い色に心を染めることが、私の羽毛を引き剥がしていく。いつしか、私の心が荒んで見えるようになってしまったのだろうか。
私は、誰か、を通すこと、フィルターを通すことでしか、私を理解できないのだ。
一生解けないパズルのように、噛み合わないピースを、激しい吐息の中で、知りたいような、知りたくないような、絶望のような喘ぎ声をあげて朽ちていく。
私は今日も、彼に抱かれる。
ナニカ、を考えながら。
この、羽毛のような恋心はもしかしたら
絶望なのかもしれない。
このまんま、死んでしまったら、答えは見つからない。でも、それで良いような気が、する。
暖かい手、暖かい身体、私に降ってくる、彼の汗。涼しい顔をする普段の顔は、別人のようで、苦しい顔は、
彼の顔を見上げる私にしかわからなくて、これは愛なのだろうか、
欲求だけなのだろうか、
そんなことは、どうでも良いと、
心までも求めようとする。
この一瞬の出来事が、また私の心を埋め尽くして、私を見てほしい、に変わる。
いつまでも、求めてほしい。
そして、どうか、このまま、
私は死んでしまいたい。
彼は今、私の半径1mの距離に収まっている。
心の、距離は?
わからない。本当に近いのだろうか。
手を広げて簡単に抱きしめられる背中。
本当に彼は、
私の半径1mの距離にいるのだろうか。
私は、誰なんだろう。
私は、1人で、歩く。横浜駅から、みなとみらいの美しく浮かぶ海を眺めるために。
どこからも眺めることができる、観覧車は、今日も美しい。色とりどりの電飾に、心を反射させるように深呼吸する。吐息に彩をつける。
彼と歩いた道のりは、やはり、うまく辿れない。いびつな道を、私は進んでいく。
私の知っている彼は、一体誰なんだろう。
私は今、深海の中で見えているのか、見えていないのかわからないような、幻想かもしれない淡く照らす光をぼんやりと見上げている。
私も、彼も、きっと誰でもない。
そんな答えでいいのかもしれない。
これが今、私の、半径1mの世界。
これが私の限界な世界。

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