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candle / episode3



candleに火を灯す。
マッチ棒の先は、勢いよく炎が上がり、candleの先に、橙色を彩ると、吐息に少しだけ諦めを混ぜて吹き消す。

 「Crystal mask」と書かれるAroma candleは、横浜の赤レンガ倉庫で行われるクリスマスマーケットで、小さなイギリス人男性が接客するお店にちょこんと並んでいた、クリスマス限定の candleだ。甘いバニラと、夕方に入るご褒美みたいなお風呂のような香りは、ほんのりと控えめな優しい香り。私の小さな部屋は、暗闇で、風もないはずだったけれど、炎はゆらりゆらりと左右に触れながら、”そこ”にちゃんといて、時間の流れに身を任せている。


 私の働く、冷たい風の吹く病院では、今日も不安定な日常が始まる。
「不穏時レスQ、セレネース5mg/1ml imいくよ」指示簿のない口頭指示を呟きながら、小さな茶色いアンプルをくるりと回し薬液を瓶底に落としたあと、ガラス瓶の先を躊躇いなく平行にカットする。手によく馴染んだ注射器で薬液を吸い上げ、丁寧にエア抜きをした針先を確認すると、それを銀のトレーに起き抱え、私は患者に向かう。

「殺してやる、殺してやる、」殺意は、対象をくるりくるりと変えて、
二つの鋭い目は今度は私に焦点を当てる。

「私を殺す女が来た、今度こそ殺してやる」スタッフのポケットから取り出し鋏を持って、離そうとしない。瞳孔は段々と鋭さを帯びて、狂気を増す。以前に、ポケットから、鉗子と呼ばれる外科でよく使うドレーンを挟む器具を抜かれて、腕を刺された経験がある。剪刀用ではないが、それは確かに肉の断面に食い込んで、うまく突き刺ささらないことが仇になり、じんわりといびつな傷口と血を滲ませた。患者の手にある鋏を、そっと、力を込めて取り上げる。力強く、血管が浮き出るほどに握りしめていたけれど、掌を開くように、私も半ば強引に、患者から鋏を遠ざけた。そのまま患者の体の脇に立つ。対面には立ってはいけない。攻撃を最小限に抑えるために。

「田澤さん、ちょっとちくっとするよ。大丈夫、少し気持ちが楽になるよ。じゃ、右肩露出して。いくよ、抑えて」男性職員の、修平は、さらに力を加えて、両腕と体を取り押さえ、暴力を浴びながらも、大丈夫だよ、と声をかけ続ける。

アルコール綿を患者の肩に撫でてて、私はシリンジを引く。そうして、一気に薬液を注入して行く。患者は雄叫びをあげながら、足を私に絡め、脛に鈍い痛みを感じる。カクカクと私に噛みつこうと顔を振り乱す。この田澤という患者は、「あーーーーーー!!!!」と、喚くと、私の垂れる前髪と、頬に唾を吐き、体を振り乱しながら、抵抗を続ける。唾液の酸味と乾いた唾液の匂いは、じんわりと鼻につきながら、静かに乾いていく。

「殺してやる殺してやる」

「大丈夫、大丈夫だよ。少し、落ち着くはずよ。大丈夫。大丈夫だから。少し寝よう?」

 精神状態がままならない。
 この患者の指示簿には、頼りない不穏時クエチアピン25mgという呆気ない指示のみで、日中から叫び倒し、暴力をふるい、見境なく、他患者にも手をかけるようにすでになっていた。

 徐々にではあるが、次第に力を失った患者の肩を抱きながら、私はベッドまで修平と共にベッドへ連れて行く。項垂れ、前傾の姿勢に崩れた田澤は、敗北したボクサーさながらで、肩車椅子の背もたれに押し付けながらからりからりと、車輪を進める。そっと2人で力の抜けた彼を抱え上げて、体をベッドに横たえる。仰向けに寝転んで臥床した患者は寝息を立てながら、睡魔を受け入れて、深い眠りに落ちて行く。

 冷たいシーツと、枕を整えて、毛布をかける。優しく腕を取り橈骨動脈に触れる。胸郭を眺め、呼吸状態を確認しながら、私は患者の田澤の顔を眺める。ごめんねと呟きながら。

 誰に対して言っている言葉なのか。彼のベッドの脇には、自己抜去された点滴針と、ルートと、ドリップされた点滴ボトルが点滴棒と共に転がっている。まだ生臭い血の匂いを感じる。

 彼の寝息を確認して、修平に「ありがとね、あとは任せて。明るいところで、怪我してないから見せてくれる?」と声をかける。冷たい夜の廊下は、消灯されており、ナースステーションに連れて行くと、肘や、脛からは、まだ赤みの着いた手形と、ひどく擦ったようなかすり傷が浮かんでいる。「大丈夫ですよ、eriさんこそ」修平は、近くにあったおしぼりで、私の顔を拭く。「メイクはげちゃった、ごめんね、」悲しそうな顔で、彼は私を見つめて、そのまま彼は、
私の頬に手をおいた。
まっすぐと、
視線は私に降りてきていることが、
わかる。

人の手形を残した腕と、手のひらはとても暖かくて、じんわりと私の心を満たしていく。

「ううん、ありがと」私と彼との関係性。
疲労感が漂う私たちの隙間には、同僚を超えた何かがあった。それは、誠実なものなのかと問われると、途端に言い淀む所作に、私の頬に置かれた手のひらと、筋肉質な腕を持ち、私をまっすぐとみる視線を静かに彼の膝に乗せた。

私の立ち振る舞いが、異性を転移性の恋愛に招いていたのかもしれない。側から見たら勘違いされるような距離感は今日も当たり前に存在している。そうして、私は気づかないふり、を続ける。
異常である毎日は、今日も日常だった。

 家に帰り、暗闇の中で、一本のマッチをする。
いつだって、実態のないものや、儚く消えてしまうものを求めようとしていて、それは、わかりやすく、時の流れの中で消えていく、”人のぬくもり”や、”景色”で、一瞬だけ、その美しさに溺れたとしても、体の中に留まることはなくって、また、同じように何度も何度も体や、
心に痣を残しては繰り返して、跡を残していく。

気付くと、私の心の中は、澱んだmarbleが広がって背中から抱きしめてくるし、冷たく、薄く広がって、浸透していく。それでも、そんな冷たい雨のような感情を、私は、求めていたような気もする。

 Aroma candleの灯火。
じんわりとした、橙色のゆらめきは、
私の心を、ほんの少しだけ、暖める。
そんな気が、する。

女としての、ずるさを備えた私。乖離した心とは、かけ離れていく、
仕事で上昇していく周囲の評価。

  candleの火を眺める。テーブルに両肘をついて、真横から火のゆらめきを追う。
私の瞳に映るもの。
決して美しいだけではない、綻んだ世界。

それでも、温め続けたいと、半径たったの1mètreの世界で私は、願う。
candleの灯りと共に。

#sentimental ep3 おしまい。









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