【舞台】世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
「観劇しないか」と言われたのは昨年のこと。友人mikaからの誘いだった。
【舞台】世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドのチケットがヒラリと舞い込んだのである。
わたしが”藤原竜也”の大ファンであること、そして村上作品好きとしてはこの上ない喜びだ。モスエリの初舞台観劇をレポートしたい。
・ふたつの世界を並行移動する村上春樹原作舞台
この作品は「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」のふたつの世界を並行して描かれる物語である。
その交点をどう読み取るか、それが見る側すらも試される瞬間である。
・世界がふたつなら。わたしも世界を提示する。
まずは身支度である。
「1のわたし」
「2のわたし」
「3のわたし」
観劇には「3のわたし」が正解だった。
わたしは上巻だけを読み挑む。髪の毛は壮大に巻き、ラストは舞台に委ねるスタイルである。事前に読んでから世界観に浸れたことは大正解。

演出・振付は、フィリップ・ドゥクフレ。圧倒的すぎる独自的美の演出。映像・ダンス・舞台の融合。『感じろ』それがこの舞台を通しての率直な感想である。
”世界が終わるって、なんだよ
一体何が、起きるんだ⸻”
淡々としていて『影』が強い。完成されているのにどこか欠落している。異様な闇と幻想的な空間。身体の表現レベル。個性的な人間模様と純粋さ。それが役者と世界に宿る時、美は圧倒的に輝くのかもしれない。物語を追っていたはずなのに、見るものを冷たく突き放しながら問いかけ続ける。何を見て、何を思う?お前の哲学教えてみろって。特に気になるのがユニコーンとやみくろそして、影の存在。意味はわたしの中でさらに大きくなる。


・役者、藤原竜也
物語の幕が降りたあと。三度の礼をした彼の、あの表情が忘れられない。村上春樹文体の体現は可能なのだ。それでいて彼の描く”私”が存在する。どう生きたら、こう表現できるのか。彼の役者としての可能性が怖くなり、作家に対して嫉妬という感情が生まれるのは初めてのことだ。彼の存在を追いたい。インスピレーションが止まらない。家に帰ってからも感動と、衝撃がじわじわと押し寄せる。舞台に設けた壮大な余白。確実に、わたしの中でナニカが動き出した。存在と音。意識と無意識の境界、それは煙のような「人間の生」の曖昧さ。そこには、わたしの考える「存在論」の定義を揺らし、衝撃だけが残る。
そして、藤原竜也がカッコ良すぎる。
ナンテコッタ。 ⸻なんのはなしですか


トートバッグはマチが広くてアウターまでスッポリ。


当日券もありますよ
ぜひ。
いいなと思ったら応援しよう!
応援が物語のインクになります。
あなたにもそっと、届きますように。