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感想創作:『刺青』 ⸻蜘蛛のいる頁。

「今度は、なに読んでるの」

葉は私のうなじの髪の毛を左右に分け、やわらかな唇を這わせた。わずかに身を捩りながらも背中の筋肉に緊張を持たせる。それはどこか彼との関係に”光沢のある艶”を持たせたかったからかもしれない。

「谷崎潤一郎。”刺青”」
「ふーん、どんな話?」

今度は葉は、私の耳に唇をつけたまま、なぞるようにその曲線を辿った。唾液の音と深い息遣いが鼓膜を刺激する。この世界には二人しかいないと強調するように。

「刺青の彫り師清吉が、美しい女に蜘蛛の絵柄を刻み込むはなし」

「蜘蛛…か。美しい女体に蜘蛛。なんだか破壊的だね」

私の瞳の奥で一筋の光が瞬いた気がした。彼の方を慌てて向いて、唇を人差し指で押し除ける。

「へぇ。破壊的…それは、どういう意味?」

葉はどこか残念そうに目尻を下げた後、息を吐いて微笑んだ。

「綺麗な女、その体に”蜘蛛”だろう?足が長くて、真っ黒で。一番対極の美、どこか妖艶でイケナイ世界…。それを自分の手で壊したい気持ち、俺にはわかる気がするなぁ。似つかわしくない美を刻みたかった。俺のものだっていう独占欲の塊にも見えるけど」

葉は時々、そんな核心を平然と突いてくるから面白い。彼の指先は、焦らされていることを愉しむように、私の細く長い髪を数本つまみ、匂いを嗅いだ。話の続きを待ちながら。

「二人の出会いは偶然であり必然なの。ある日、駕籠から垂れ下がる『足』を見たの。清吉は、それが忘れられない。ふふ。あるでしょう?顔も見えないのに、身体の一部を見ただけで震えるような情動に駆られる時。そうして、ふたりはまた、巡り会うの。運命の糸を手繰り寄せるかのように、ね」

なるほど…葉はそう言って、ベッドの上で私のスカートに迷いなく長い指先をかけた。そして私の足を視線でなぞっていく。まつ毛が瞳を覆い、その先に光る闇を隠すようだった。

「それで、その清吉は、その惚れた女に蜘蛛の刺青を施すわけだ」

「そう」

そのひと言を耳に溶かすように囁き、私は頁に指を滑らせた。

「”若い女が桜の幹へ身を倚せて、足下に累々と斃れて居る多くの男たちの屍骸を見つめて居る。凱歌をうたう小鳥の群、女の瞳に溢れたる抑え難き誇りと歓びの色。娘は、われとわが心の底に潜んで居た何物かを、探りあてたる心地であった。” ⸻こうやって、女に提示するのよ。欲望をひらくようにね」

葉の目は、私の髪の毛越しに、その古書を静かに見つめていた。
どこか古い紙の匂い。紙の端が綻んだ跡、何度も人の手をすり抜けた気配、すこしだけ黄ばんだどこか遠い過去。私と葉の間にただよう”いま”と異なる軽さと重みのある美しい文章の連なり。

「そうして、それを受け入れた女は深い眠りに落ちて、清吉は時も忘れて女の体に刺青を刻む…」

カーテンの隙間から白い光が溢れ始めていた。

清吉の対話が聞こえる気がする。
己の美を、女に刻むその瞬間が。

この古書を手に入れたのは、ほんの偶然だったけれどそこには人間の美しさが宿っていた。

筆致がどこか軽く、清純と絢爛が同居する文章の佇まいにため息が出る。そこには、若さゆえの止まらない衝動も、文章を読み終えた後から追いかけてくるようだった。

「ねぇ、葉?私の”ありのまま”は、美しいと思う?」

いつのまにかベッドに組み敷かれ、葉の唇が私の首筋に這い上がる。

「どうかな。君の”ありのまま”に俺を残したい。そう思うのは欺瞞かな。それとも、君がどこかでそれを求めていると感じるのは、俺の驕りだろうか」

白んだ光が差し込み始めた狭いこの部屋には、私と彼の息遣いだけが響く。朝は追いかけるように歴史を進める。

天稟 ⸻。
ありのままの姿。そんな言葉は冒頭に一度しか登場しなくて、谷崎は生まれた姿に、人間の欲望を上塗りすることを躊躇うなと、私に教えたのかもしれない。

葉の吐息が聞こえる。繰り返し指先は足へと絡まり、そして私も、それに応えるように彼の首筋に腕を回した。
頁の奥底から、誰かの声が浮かび上がる気がする。

『―――お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ』

ごめんね、葉。あなたはまだ、私の肥やしになるには早いみたい。蜘蛛の冷たくも艶めいた足跡が、確かに私に刻まれていた。

#なんのはなしです怪

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