普通学級の担任になれなかった23年と、「ありのままでいい」という言葉
24年かかって普通学級の担任になった教師が伝えたいこと
23年間、普通学級の担任になれなかった教師がいます。
それが、私です。
私は、生まれつき脳性まひがあります。
手足に不自由があり、電動車いすユーザーです。
中学校の数学教師になって25年。
多くの生徒と出会い、授業をし、学校生活を共にしてきました。
それでも、心のどこかに、ずっと引っかかっていたことがありました。
「なぜ、自分は担任になれないのか」
明確な理由を言われたことは、一度もありません。
だからこそ、苦しかった。
何をどれだけ努力すればいいのか分からない。
何が足りないのかも分からない。
ただ時間だけが過ぎていきました。
周囲の先生方が担任としてクラスを持ち、
生徒と日々を積み重ねていく姿を見ながら、
羨ましさと、悔しさと、言葉にできない思いを抱えていました。
それでも、私は言い続けてきました。
「担任をやりたい」と。
そして2024年。
初めて、学級担任を任せていただくことになりました。
複数担任制という形ではありましたが、
私は初めて、生徒と「クラス」を持つことができました。
教室での何気ないやりとり。
朝のあいさつ。
帰りの会。
その一つひとつが、私にとって特別な時間でした。
そして、その年。
私はさらに大きな役割を任されることになります。
2025年11月、台湾修学旅行。
その主担当として、引率業務を担うことになりました。
最大の目標は、ただ一つ。
「全員が無事に帰ってくること」
結果として、その目標を達成することができました。
この修学旅行は、生徒の頑張りだけでなく、
保護者の支え、引率者、添乗員、そして学校全体の協力によって成り立っていました。
私は主担当としてその中心に立ちながら、
同時に、ある葛藤とも向き合っていました。
「本当に自分が主担当としてやっていいのか」
移動が難しい場所ではバス待機になる可能性もある。
電動車いすでの海外引率。
責任の重さと、自分の限界への不安。
それでも前に進めたのは、
“一人で抱えなかった”からでした。
動線の確認
バリアフリー情報の共有
移動ルートの検討
それらを、旅行業者や引率者全員と共有し、
チームとして準備を進めました。
「三戸先生の動き」という項目を細案に設け、
必要な配慮を事前に可視化する。
そうすることで、私は「支えられる側」ではなく、
「役割を担う側」として現場に立つことができました。
修学旅行前、生徒からこんな質問がありました。
「先生、どうやって飛行機に乗るの?」
実際にその姿を見せることで、
言葉では伝えきれないものが、確かに伝わったと感じています。
この経験を通して、強く思うことがあります。
人は、関わりと環境で変わる。
それは、生徒だけではありません。
教師である私自身が、変わりました。
もし環境が変わらなかったら。
もし機会が与えられなかったら。
今の私はいません。
文部科学省の調査では、
秋田県の取組が「合理的配慮の好事例」として紹介されました。
しかし、これは個人の努力ではありません。
制度
理解
環境
それらが重なって、初めて実現するものです。
だからこそ私は、こう思っています。
障害の有無に関わらず、
誰もが役割を担える環境を整えることは、
教育そのものを強くすることにつながる。
2025年12月、文部科学省の担当者に、私はこう伝えました。
「合理的配慮の共通理解があれば、
障害のある教職員も引率業務を担うことができる」
これは、私一人の話ではありません。
これからの教育の話です。
今回、共同通信社配信の記事として、
これまでの歩みを取り上げていただきました。
記事は全国の新聞社に掲載され、
多くの方に読んでいただく機会をいただいています。
最後に。
23年間、担任になれなかった教師が、
担任になり、修学旅行の主担当を務めました。
これは特別な話ではありません。
関わりと環境が変われば、
人は変わるという、ただそれだけの話です。
もしこの経験が、
誰かの一歩につながるのであれば。
多くの方々と、
直接お話しできる機会があれば嬉しく思います。
必要としてくださる場で、
この経験をお話ししています。
