【️随筆】文章は生物
あなたはこの、「生物」をどちらで読んだだろうか。せいぶつ?なまもの?
どちらも正解。今日は日記と言うより、私の文章観について語る。
※あくまで個人の意見です
文章はなまもの
文章には気持ちを込めることが出来る。その気持ちが大きければ大きいだけ、誰かにその気持ちが届く。そう信じているし、そう思えるような体験がいくつもあった。
そしてそんな文章を書くには、気持ちをぶつけるように書くことで叶う。できるだけ、心に浮かんだままに。校正なんて後でいいし、少しくらい表現に違和感があったって気にしない人は気にしない。それよりも私は、文章から受け取れるその人の考え、暖かさ、怒り、悲しみ、楽しさ、そういうのを感じるのが好きだ。だから小説が好きなのかもしれない。文から何かを感じるのが好きだから。
それに文章は、書き始めたらできるだけぶっ通しで書き終わらせねばならない。少なくともキリのいいところまで。そうでないと、noteの下書き欄がいっぱいになるから。
文章はせいぶつ
せいぶつには色んな種類がある。哺乳類、両生類、鳥類。同じように文章には小説、随筆、説明文、などなど種類がある。それぞれは違う性質があり、命の宿され方によってその成り方は様々だ。ミステリーになったり、ファンタジーになったり。何百年前に書かれたものが語り継がれたり、あるいは学力を測るための設問になったり。
せいぶつと向かい合う時、我々は命を感じる。特に人間と会う時、生みの親の影響を切に感じる。文章で言うところの生みの親とは、その作者だ。
文章と作者
私は昔から、強く信じていることがある。文章はその人自身だ、ということだ。それほど文章には、その人の感じ方や考え、文章の癖などが顕著になる。そして逆を言えば文章を見れば、その人自身のことが分かるのだ。
苦手な文章
文章を書くのになれている人間は、文章に自分を載せることが出来る。だが慣れていない人間は校正に校正を重ね、その人のことが見えにくい文章になってしまう。最たるものが就活で言う志望動機などである。私が唯一、書くのが苦手な文章だ。自分を出せない文章を書く時はつまらないし、読んでいてもつまらない。必要なのはわかっているけれど。
私と文章
私は昔から、文章を書くのが好きだ。自分の承認欲求が強いからだろうか、それとも、対人で出せない自分を好きに表現出来るからだろうか。
もっと色んな人に、私の文章を読んで欲しい。そして知って欲しい、私という人間を。合わなければ離れればいいし、面白いと思ってくれたら仲良くして欲しい。文章で誰かと繋がりたい。だから私は、noteの活動をいちばん頑張っている。
終わりに
つらつら書きました。これぞ随筆?初めて書いた。令和の清少納言になれたかしら。
みなさんの文章も読みたいので、これからもスキしにいきます。よろしくお願いします(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
