『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』丁寧な暮らし
シャンタル・アケルマン監督が1975年に制作したこの作品が2022年に英国映画協会が20世紀で重要な作品の1位に選んだというニュースを読み、聞いたことない作品だったので?だった。程なく日本でも公開されたけど見にいく機会を逸していたが、ようやく見る機会を得た。
題名の通りにある古いアパートの1室は1LDKと呼んでいい間取り。
キッチンは独立していて、LDのLの部分のソファーベットで息子は眠り、そのベットは毎朝きっちりと片付けられソファーに戻る。
ジャンヌの寝室はダブルベット。とても重厚な作りの古いクローゼットと鏡台がある。各部屋掃除が行き届き、無駄なものがなく今で言うならミニマリスト家のよう。無印の収納ではなく、重厚な作りの家具なので殺風景には見えないけど。
お片付け指南動画でしつこく言われる「物の住所」が決まっていて、使ったものは必ず元ある場所に戻される。夕食はレトルトなんかは使わず、手をかけて作るものばかり。いろんな道具を揃えているのではなく、フォークも調理に活用し、夕食に使う大きめのスープ皿の上でパン粉をつければ挽肉も捏ねる。
効率よく流れるような作業で料理や片付けをこなし、とてもまめに電気を消していて、これは今でいうエコな暮らし。でも、75年頃は第一次オイルショックの頃で、うちでもよく「電気勿体無い、消しなさい」て言われてたな。
息子のために編み物をし、靴を磨き、勉強まで手伝い、自らはブラウスとスカートにパンプスというコンサバなスタイルで終日過ごし、自分一人の昼食は簡単なサンドイッチで済ましている。
清潔で、健康で文化的な最低限の生活を保つ為の家事労働に見合う対価を払う夫はすでにいないので、彼女の収入源は毎夕方に訪れる男たちが払う報酬。街に立ってホテルに行くより、常連に家に来てもらう方が効率がいい。とても合理的な自宅売春。
女性の労働は当然の奉仕だと思っているのか食事の後に息子は感謝も労いの言葉も言わないし、客は客で「また来週」とだけしか声をかけない。
彼女が会話するは店の人たちと、赤ちゃんを午前中の短時間に預けに来るご近所さんと息子のみ。(あ、客も少しだけあった)
でもそれって専業主婦ならありがちだろうし、勤め人の休日もそんなもの。
そして、家事労働に感謝されないなんて日常だし。
そんな日々のルーティーンワークをこなしていく中で、ちょっとした時間のズレで段取りが崩れて行くことは耐え難く、腹立たしくなるのはよくわかるし、ふと虚しくなってしまう。
ペースを崩されたくないし、余計な仕事は増やしたくないのだ。
会社なら、上司がそんな目に遭うと部下に文句言うだろうし、部下の立場なら同僚と愚痴を言ったり、一人飲み込んで仕事を進めたあと、憂さ晴らしに行けるかもだけど、フリーランスだと溜め込むしかない。
そして、溜め込みすぎて、ちょっとしたきっかけで爆発するのはとても理解できる。なので最後に起ることは予測できたけど、でもやっぱり衝撃的だった。
その瞬間まで、本当に淡々としていたので。
つい、家事労働中心の生活に気を取られ、彼女の職業からくる負担に思いを馳せなかったのは、やはりどこかに差別意識が抜けないからか。
暗闇に座り続ける彼女が、どこか眠そうに見えて本当に疲れていたんだなと感じた。
とある雑誌で、映画評論家の町山某氏が、「アノーラ」について、ストリップダンサーであり、お持ち帰り可能な彼女が(自分の欲望を知っていて自分の為に行動できる子なのに)知性も何もないように描かれていてそこがダメみたいな気持ちの悪いこと(娼婦はインテリでした、がお好みか)を言っていたのを思い出し、一度ジャンヌに刺されればいい!などと思ってしまいました。
日々のルーティーンワークを真正面から劇伴もなく、セリフも少ない画面をひたすら見つめること200分。最近見た作品の中で、体感では一番短く感じた3時間20分でした。
気になる事が一点。あの丁寧に捏ねられた挽肉は、ミートボール?ミートローフ?何にしたかったのか。出来上がりを見たかった…。
