【雑記】実存主義あれこれ
先日読んだ小説の中に、いきなり実存主義の話が出てきたので、はて、実存主義といっても幅広いが、この考え方は誰だったっけ、と思って、これをきっかけにちょいと懐かしい事典を開いてみた。
どうやら小説の中の記述は、サルトルのことだったようだ。存在が本質に先立つ、というヤツだ。実存は概念的本質に解消されるものではなく、むしろその本質は…以降、簡略化。→本質は、各自が自己の責任において主体的に決定せねばならぬ→人間は根本的に自由である→この自由にしばしば不安を感じる→その不安を解消するために陥る自己欺瞞を打破し、主体性から出発すべきことを説く。ザックリいうと、こんな感じだ。
もう少しくだけた言い方をすると、存在が本質に先立つとは、つまり、人間は先に存在し、しかるのちに定義がなされる、ということだ。人間以外のもの、例えば机は、先に定義があり、のちに机として存在する。ただ、人間だけは、この世界に偶然に投げ出され、そのあとで人間とはいかなるものか、定義がなされる。人間は混沌の中に投げ出されて、その中で自らを決定していかねばならない。主体性から出発すべき、ということだ。
過去に実存主義に傾倒したことはないし、モウレツに批判したこともない。ただ、キルケゴールの『あれか、これか』を読みたくてずっと読めずに何十年も経過している。院生時代(少年院ではない)、哲学者占いというのがあって、アタシに似あう哲学者はキルケゴールで、キーワードは「あれか、これか」だったのだ。
サルトルの実存主義はヒューマニズムでもあるとは思うが、どうも哲学として、学問としての哲学としては、なかなか受け入れられない。ムズカシイとかではなくて、このヒトは、絶対小説家向きだと思うのだ。吐き気を催す原因を突き止めたら、カモメが飛んでいたからだった、なんて、キミ、ホントに小説家向いてるよ、と思う。目からウロコがボロボロだ。そのショウゲキたるや、ムルソーが人を殺したのは太陽のせいだと主張するのに匹敵するくらいだった。
マジメな話はどこへやら。いろんな主義主張があっていいのだ。古典を踏襲していようがいまいが、突飛な主義だろうが、極端だろうが(不可知論とか)、イロイロあって、いいじゃないか。最も恐れるべきは、何の主義主張・思想も生まれない世になることである。人間は、考えることをやめた時点で、人間ではなくなるのだと思うから。
