言葉にならないさびしさが、親子をすれ違わせるとき
これは、知人の話です。
抗がん治療のために入退院を繰り返している母親と、反抗期の息子。
その二人の間にあるものは、決して「仲が悪い」という一言では片づけられないものでした。
母親は、治療で体がつらい日でも、できるだけ普段通りに過ごそうとしていました。
ご飯を作る。
洗い物をする。
洗濯をする。
本当は休みたい日もある。
それでも、「大丈夫」と言ってしまう。
心配をかけたくない。
子どもには、いつもの母親でいたい。
きっと、そんな思いがあったのだと思います。
でも、人はどんなに頑張っていても、ふと寂しくなる瞬間があります。
「こんなに頑張っているのに、気づいてもらえない」
「こんなに苦しいのに、いつも通りに見えているのかな」
そんな思いが、静かに積み重なっていきます。
母親が一番欲しかったのは、特別なことではなかったのかもしれません。
「大丈夫?」
その一言。
「ありがとう」
その一言。
ただ、それだけだったのかもしれません。
でも、息子の側から見ると、少し違う景色が見えていたのかもしれません。
思春期の子どもにとって、母親という存在は、いつまでも変わらずそこにいるものだと思っています。
疲れていても、ご飯を作ってくれる。
困った時には助けてくれる。
そんな「当たり前」が、心のどこかにあります。
だからこそ、その母親が病気になった時、子どもの中でも大きな揺れが起きます。
「心配」なのに、その気持ちをどう表したらいいのか分からない。
「大丈夫?」と聞いてしまったら、本当に大丈夫ではないことを認めることになる気がする。
そんな戸惑いがあるのかもしれません。
そして、もう一つ。
思春期の子どもは、優しい気持ちがあっても、それを素直に表すことが難しい時期です。
小さい頃なら、黙って隣に座ったり、抱きついたりできた。
でも大きくなると、「照れ」や「恥ずかしさ」が邪魔をする。
「今さら優しくするのは変かな」
そんな気持ちが先に出てしまうことがあります。
だから、何もしていないように見える。
でも本当は、何も感じていないわけではないのかもしれません。
気づいていないのではなく、気づいた後の行動が分からない。
そう考えると、少し見え方が変わります。
母親は「どうして分かってくれないの」と寂しくなる。
息子は「どう接したらいいのか分からない」と立ち止まる。
どちらも相手を大切に思っているのに、気持ちの届け方が分からない。
そこに、親子のすれ違いが生まれるのだと思います。
だからこそ、母親が少しだけ弱音を見せることも大切なのかもしれません。
「今日は少し疲れたな」
「これを手伝ってくれると助かるな」
それは、子どもに負担を背負わせることではありません。
子どもが、母親の気持ちに近づくための小さな入り口になるのだと思います。
反抗期の息子は、不器用です。
優しさがないのではなく、優しさを届ける方法をまだ探している途中なのかもしれません。
そして母親もまた、強くあり続けようとしてきた人です。
病気と向き合いながら、家族を思い、いつもの日常を守ろうとしている。
どちらも余裕がない中で、それでも同じ家で過ごしている。
そのこと自体が、親子のつながりなのかもしれません。
言葉にならないさびしさは、誰かが悪いから生まれるものではありません。
ただ、お互いの気持ちが届く場所を探しているだけです。
時には、一言の「ありがとう」や「大丈夫?」が、その距離を少し縮めてくれるのかもしれません。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!