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子どもの「やりたい」を、親が止めるべきなのか

子育てをしていると、ときどき思います。

同じ出来事でも、見る人によって意味は大きく変わるのだと。

息子の勉強についてSNSに投稿したことがあります。

毎日10時間ほど勉強していること。

最近、「疲れた」と口にすることが増えたこと。

親としてできることは、食事のバランスを考えること。

勉強しやすい環境を整えること。

そして、話を聞くこと。

親にできることには限界があります。

だからこそ、何か良いサポート方法があれば教えてほしい。

そんな気持ちで投稿しました。

すると、ある方から、

「親が子供に勉強を強要するのはおかしいです」

というコメントをいただきました。

その言葉を読んで、私は少し違和感を覚えました。

なぜなら、そこには一つの前提があったからです。

「親が勉強させている」

という前提です。

この前提は、どこから生まれたのでしょうか。

おそらく、「子どもが10時間勉強している」という事実だけが取り出され、そこに「子どもは自分から長時間努力することは少ない」という、読み手自身の経験や価値観が重ねられたのだと思います。

人は、情報が足りない時、その空白を自分の知っている物語で埋めます。

それは悪意からではありません。

むしろ、自分の経験から相手を理解しようとする、人間の自然な心の働きなのだと思います。

でも、その瞬間に一つの可能性が抜け落ちることがあります。

「本人が望んで努力している」という可能性です。

でも、実際には違いました。

息子自身が、学びたいと思って勉強しています。

自分の目標に向かって、自分で机に向かっています。

親が「やりなさい」と押し続けている状況ではありません。

むしろ親の役割は、子どもの意思を奪わないことだと思っています。

子どもが自分から「やりたい」と思ったものを、大人の価値観だけで止めてしまうことも、また別の問題になるのではないでしょうか。

ここには、見過ごされがちな部分があります。

「やらせすぎ」への警戒は、多くの人が意識します。

しかし、「本人が望んでいることを、周囲が良かれと思って止めること」については、あまり語られることがありません。

どちらも、子どもの意思決定に大人が関わるという点では共通しています。

大切なのは、介入しているかどうかだけではなく、その介入が子どもの主体性を守っているのか、奪っているのかを見ることだと思います。

もちろん、勉強がすべてになってしまうことには注意が必要です。

成績だけを追い求めて、睡眠や健康、人との関わり、心の成長を置き去りにしてはいけません。

子どもは点数を取るためだけに成長しているわけではないからです。

学力だけではなく、

人への接し方。

自分の感情との向き合い方。

失敗した時に立ち直る力。

相手を思いやる気持ち。

そうした人としての土台も、同じくらい大切だと思います。

だから私は、「勉強をさせること」と「勉強したい子どもを支えること」は、まったく違うものだと考えています。

この二つを分けるものは、行動の見た目ではありません。

どちらの意思が出発点になっているかです。

「させる」は、大人の意思が子どもへ向かう動き。

「支える」は、子どもの意思が先にあり、大人がその環境を整える動き。

同じ「毎日机に向かう10時間」という景色でも、その背景にある力の向きが違えば、意味はまったく変わります。

そして、その違いは外から見ただけでは分かりません。

親が気をつけなければいけないのは、子どもの人生を親の期待で操作することです。

でも、子ども自身が見つけた目標に向かって努力している時、その背中を支えることまで否定してしまったら、子どもの主体性を奪ってしまうことがあります。

大切なのは、

「どれだけ勉強しているか」

だけを見ることではなく、

「なぜ、その子は勉強しているのか」

を見ることではないでしょうか。

同じ10時間という数字でも、

親に強制されて苦しみながら机に向かっている10時間と、

自分の未来のために努力している10時間では、意味がまったく違います。

時間という数字は、中立に見えて、実は多くの情報を隠しています。

10時間という数字から分かるのは、あくまで量だけです。

そこにある「思い」や「動機」までは、数字は教えてくれません。

外から見える行動だけで、その家庭の中にある思いや関係性まで判断することはできません。

だからこそ、人に言葉を届ける時には、その背景を想像することが大切なのだと思います。

正しいと思って発した言葉でも、相手が大切にしているものを見落としてしまえば、傷つけることがあります。

皮肉なのは、「子どもを守りたい」という善意から出た言葉が、その子ども自身が選んだ努力まで否定してしまうことがあるということです。

守ろうとする対象を、見誤ってしまう。

善意は、必ずしも正しさを保証してくれるわけではありません。

子どもを守ること。

子どもの意思を尊重すること。

そして、子どもが偏りすぎないよう見守ること。

親に求められるのは、そのバランスなのかもしれません。

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