【せりふ三題噺】屋上春一番ローファー
屋上の扉を開けると、春一番が吹き抜けた。
彼女はフェンスのそばに立ち、外を見ている。ローファーのかかとを踏み、つま先で縁をなぞっている。
「ごめん、待った?」
声は風に散る。聞こえているのかいないのか、彼女は振り返らない。初めての場面のはずなのに、胸の奥には同じ光景がいくつも沈んでいる。
「風、強いね」
言った瞬間、彼女がゆっくり振り向く。髪が顔を隠す。
その奥の表情を、僕は知っている。
「ずるいね」
押し殺した声。
「興味ないなら、ちゃんと終わらせればいいのに。中途半端なことばっかりして。今日だって、呼び出されたから来ただけでしょ。期待させるようなこと、何度も」
息が荒い。
「いつも、いつもーーー!」
彼女はローファーを脱ぎ、フェンスの向こうへ放った。黒い影が風にあおられ、不格好な弧を描いて落ちていく。
「取ってきてよ。そしたら、全部許したげる」
試すような目。
視線を受けたまま、フェンスに足をかける。その瞬間、背中に衝撃が走る。
僕は、僕を突き落としたままの姿勢で泣いている彼女を見上げながら、落下した。
校舎の壁が上へ流れる。
重いはずの身体が、ある地点でふっと軽くなる。
腕を広げ、風を受け止める。
ほんの数秒。
その間だけは、僕は確かに空を飛んでいた。
けれどそれも一瞬。
すぐに衝撃。そして暗転。
*
べしゃり、といういつもの感覚に、目を開ける。
まず手足を動かし、どこも傷んでいないことを確かめる。ヘッドセットを外すと、自室の天井が見える。足元がわずかにふらつく。
仮想現実の恋愛シミュレーション。
開始前の注意事項を思い出す。強い浮遊感を伴う挙動は、現実への影響を考慮して実装されていません、と。
それでも、屋上から突き落とされた瞬間だけは違う。
彼女の不信を積み重ね、愛想を振り撒き、思わせぶりな態度を選び続けた先にだけ、あの数秒がある。
「ずるいね」と言わせられたら、成功だ。
ヘッドセットをつけ直す。
『最初からやり直しますか?』
迷わず『はい』を押す。
今度もまた、あの一瞬のために。
(825文字)
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