他人の色に染まる部屋。私が『恋する惑星』に安らぐ理由
「この星は『恋する惑星』だな」
エンドロールが静かに流れ終わり、暗転した画面をひとり見つめながら、私はぽつりとそんな思いを吐露していた。
部屋の空気はどこか甘く、心地よい微熱を帯びている。
深く息を吐き出すと、胸の奥底でずっと固まっていた日常のモヤモヤとした澱のようなものが、すっかり洗い流されている。
ひどく満たされていて、張り詰めていた肩の力がふっと抜けていく。
恋する気持ちは自分だけのものだ。
言葉でまっすぐに想いを伝えることだけではなく、表現の仕方も、相手への触れ方も、人の数だけ違う。
それでも、その根底に流れている感情の源流は、みな同じなのかもしれない。
誰かを想うことで、理由もなくそわそわして、胸の奥がほっこりあたたかくて、自分でも驚くほどやさしい気持ちになれる。
そんな普遍的で、どこかいびつな感情を、この映画はフェイ・ウォン演じる「フェイ」という女性の行動を通して、鮮烈に描き出していた。
想いを寄せるトニー・レオン演じる警官の部屋にこっそりと忍び込む彼女の行動は、冷静に現実の言葉を当てはめれば、完全に常軌を逸したストーカー行為に他ならない。
はじめは、ただ少し部屋を片付けてあげたかっただけだった。
しかし、その純粋な衝動は徐々にエスカレートし、いつしか彼女は彼の部屋を自分好みの空間へと書き換えていく。
お気に入りのCDを置き、ついには部屋のカーテンまで変えてしまう。
それは、彼に直接想いを伝える勇気がない彼女なりの、空間を通した精一杯の愛情表現であり、彼の日常に自分の痕跡をどうしても残したいという、切実なまでの独占欲の表れでもあったのかもしれない。
けれど、私が何よりも気に入っているのは、自分の部屋が少しずつ他人の色に染め替えられているという異常事態に、トニー・レオンがまったく気がつかないという事実だ。
部屋に突如として現れた『カリフォルニア・ドリーミン』が収録されたCDを見つけても、彼はそれを昔の彼女が置いていったものだろうと勝手に解釈し、深く追求しようとはしない。
この究極のずぼら設定がいい。
深く考えない。今をそのまま受け入れる。
実にいい。
その肩の力の抜け具合が、完璧さを求めて息苦しくなりがちな私に、安らぎを与えてくれるのだ。
これまでの人生で少なからず恋をしてきた。
今振り返れば、いやになるほど自分本位だった時期もある。
相手の気持ちを推し量る余裕もなく、真面目ぶった正論をぶつけてみたりして、多くの衝突をした。
それでも、二人の時間はとても愛おしかった。
わくわくして、この人のためならばと思えた。
翌日のことなど考えず、深夜まで映画を観て、食事をし、街中でふざけあった。
始発の電車で少しの仮眠をし、わざわざ服を買って少し遅れて出勤した朝の、あの体に残る気怠さと高揚感。
あの頃の私もまた、恋という熱に浮かされ、完全に常軌を逸していたのだと思う。
過去の自分の愚かさを苦笑いとともに話せるようになった今だからこそ、トニー・レオンが演じる警官の生き方が、より一層深く心に沁み渡るのかもしれない。
ふと我に返り、急に部屋全体を見回してみる。
テーブルの隅に置かれたドラマのキャラクター置時計の置き場所が、昨日とは変わっている気がする。
わたしは気にしないよう、全力で意識をそらす。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ブログでは少し視点を変え、『恋する惑星』の客観的な魅力を深掘りしています。 ウォン・カーウァイ監督の型破りな制作スタイルや特異なカメラワークなど、当時のカルチャーを交えてまとめました。
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