「どうすればいいんだろう」の前に、見てみたいこと
人と何かを決める時や、身近な人と話している時、
私は気づかないうちに「よさそうな着地点」へ話を運ぼうとしていることがある。
どう返せばいいのか。
何を言えば、相手にきちんと伝わるのか。
どちらの考え方が正しいのか。
どんな結論なら、相手も自分も納得できるのか。
なるべく間違えず、できれば問題も解決したい。
そう思いながら、話していることが多い。
正解を探すこと自体が、悪いわけではないと思う。
困ったことがあれば、解決したくなる。
話が絡まっていれば、整理したくなる。
なるべくよい方向へ進みたいと思うのも、自然なことだと思う。
ただ最近、その前に一度、見てみたいことがあると思った。
私は今、何をしているんだろう。
答えを出すことより先に、自分が今していることを見てみる。
その方が、かえって解決に近づくことがあるのではないかと思った。
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「こうしよう」は、一見すると前向きに見える
私はこれまで、何かうまくいかないことがあると、
「次からはこうしよう」
と考えることが多かった。
相手を責めないようにしよう。
感情的にならないようにしよう。
もう少し冷静に考えよう。
相手の立場に立ってみよう。
一度、俯瞰して見てみよう。
どれも、一見すると前向きな言葉に見える。
実際、そう考えることが役に立つ時もあると思う。
ただ、自分の中でその言葉が、別の働きをしていることもあった。
相手を責めている自分を、責めない自分へ動かそうとする。
渦中にいる自分を、俯瞰できる自分へ動かそうとする。
感情が揺れている自分を、冷静な自分へ動かそうとする。
正しそうな状態を先に決めて、そこへ自分を連れていこうとしていた。
それは少し、今の自分に指示を出しているようでもあった。
「こうしよう」と考えることが、すべて自分への操作になるわけではない。
けれど、自分が今何をしているのかわからないまま使うと、
「今のままではダメだから、こちらへ動きなさい」
という命令に近くなることがある。
前向きな言葉を使っていても、自分を望ましい形に収めようとしていることがある。
そう思うと、私は正解を探している時だけでなく、
前向きに変わろうとしている時にも、
自分を動かそうとしていたのかもしれない。
私は今、何をしているんだろう
そこで、
「どうするのが正しいんだろう」
ではなく、
「私は今、何をしているんだろう」
と見てみる。
すると、話の内容とは別に、自分のしていることが少しずつ見えてくる。
私は今、早く問題を解決しようとしている。
相手が納得するところまで、話を運ぼうとしている。
嫌な顔をされないように、下手に出ている。
自分の考えを引っ込めて、相手に合わせようとしている。
反対に、「要するにこういうことでしょう」と、上から話をまとめようとしている。
責められないように、説明を増やしている。
不安を終わらせたくて、早く結論を出そうとしている。
話をよくしたいと思っていた。
相手のことを考えているつもりだった。
けれど、その奥では、相手や自分を、
正解に見える方向へ動かそうとしていることもあった。
自分が渦中にいる時には、なかなか見えない。
私はただ、必要なことをしている。
問題を解決しようとしている。
そう思っているからだった。
見えたことを、認めにくい時もある
もちろん、自分がしていることが見えたとしても、
すぐに認められるとは限らない。
「私は今、相手に迎合しているのかもしれない」
と思っても、
いや、相手を尊重しているだけだと思いたくなることがある。
「私は今、上から話をまとめようとしている」
と見えそうになっても、
いや、話を整理しているだけだと言いたくなることもある。
自分にとって、あまり好ましくない動きを認めるのは難しい。
認めたら、自分が悪い人になってしまうような気がすることもある。
ただ、
「私は迎合する人間だ」
と自分を決めつけることと、
「今、私は迎合しようとしている」
と、現在の動作を見ることは少し違う。
「私は上から目線の人間だ」と判定するのではなく、
「今、私は相手の話をまとめる側に回ろうとしている」
と見てみる。
私は、人間性の判定ではなく、今していることの確認、くらいに置いてみたいと思った。
そのくらいの距離なら、見られることもある気がする。
自分の動きが見えると、渦中から少し外に出る
「私は今、これをしているんだな」
と見えた時、少しだけ、出来事との間に距離ができる。
それまでは、話の中に入り込んでいた。
相手の反応を追い、正しい答えを探し、
その答えへ向かって動き続けていた。
けれど、自分の動きに気づいた時、
やっている自分と、それを見ている自分が少し分かれる。
たぶん、これが渦中から出るということなのだと思う。
「俯瞰しよう」と自分に言い聞かせたのではない。
「私は今、何をしているんだろう」と見た結果、少し外に出ている。
俯瞰できる自分になろうとするのではなく、
自分の動作が見えたことで、結果として俯瞰が起きる。
この違いは、思っていたより大きい気がしている。
そこから、「じゃあどうする?」が生まれる
自分が今していることが見えると、そのあとに、
じゃあ、どうする?
が生まれる。
迎合していると気づいたなら、そのまま相手に合わせるのか。
少し自分の意見も出してみるのか。
今日は何も言わず、あとで考えるのか。
問題を解決しようとしていると気づいたなら、
本当に今、解決が必要なのか。
相手はただ話したいだけなのか。
自分が早く安心したくて、結論を急いでいるのか。
そこから何を選ぶかは、その時々で違ってくるのだと思う。
すぐに行動を変えられないこともある。
迎合しているとわかりながら、今日は合わせることを選ぶかもしれない。
自分の意見を言えず、黙ったままになることもあると思う。
それでも、自分が何をしているかわからないまま動かされることと、
「私は今、これをしている」とわかったうえで選ぶことは、
同じではないと思うのだ。
正解を探している時、私は正しそうな答えに従おうとしていた。
「こうしよう」と決めている時、私は今の自分を、
その答えに合う形へ動かそうとしていた。
けれど、
「私は今、何をしているんだろう」
と見た時、私は少しずつ、選ぶ側へ戻ってくる。
私には、現状を認識することは、
そこで立ち止まることではないように思えた。
「そうか。私は今、これをしているのか」
とわかる。
そこから、
「じゃあ、ここからどうしよう」
が生まれる。
自分を正しい方向へ動かそうとするより先に、
自分が今していることを知る。
それだけで、話の中に巻き込まれていた自分が、
少し外へ出てこられることがある。
そして、その位置からなら、自分で次を選べるのかもしれない。
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