合計11回“家族”でお世話になってます。救急車を呼んだ事情振り返り&お礼
「Yさんが意識をなくして救急搬送されました」
夜中に電話があり、頭の中で渦巻くものを整理する間もなく車を発進させた。
母は当時73歳。まだ車を運転して遠出するほど元気だった。
その日は北九州市で行われた学生時代の同窓会に出かけていたはずだ。車ではなくJRを使ったと思う。
電話してくれたのは母と同窓の女性だった。
「懐かしい友人らと楽しく談笑していたが、ワインを飲んできつくなったと言われ、イスにかけて俯いて休んでいた。しばらくして声を掛けたところ、まったく反応されないので、救急車を呼びました」という趣旨を話してくれた。
もう17年前のことだからわたしもあまり覚えていない。
母の容態はやがて回復した。医師によると「貧血のようになったのでしょう。先ほど意識は戻られたのですが、念のため検査と点滴治療で入院する必要があります」と説明があったように思う。
母が重病でなくホッとしたこともあるが、一方でわたしが衝撃を受けたのは、救急病院の現状だ。
診療時間はとっくに終わった夜。病院内の灯りは小さくなり、薄暗いなか緊迫した声と金属音が響き渡る。
「救急入りましたっ!通ります気をつけてください!」
ガチャガチャガチャ…
搬送用ストレッチャーを手際よくかつ安全に移動させる看護師さん。
「もうすぐ救急入ります!」
叫ぶ声がしたかと思えば、救急車の音が近づいてきた。
別の病室からは「ピコン ピコン ピコン」とウルトラマンのカラータイマーみたいな音がしてくる。
夜中だから一般の患者さんはほとんど見かけず、救急搬送に対応する看護師さんや、それ以外のいつもの仕事を続ける看護師さん、目に入るだけで十数名が精一杯役割を全うしていた。
「すごい」「ドラマみたいだね」
わたしと妻はじゃまにならぬよう端っこを歩きながらお互いにつぶやいた。
その光景は今でも脳裏に残っている。だから救急車を安易な気持ちで呼ぶことはない。
だが、振り返ればこれまでに11回は救急車のお世話になっている。
幼少期
わたしは現在60代半ばなので、もう半世紀以上前のことだ。幼稚園に通っていた頃、緊急入院した。
下痢が止まらず行きつけの内科に親が連れて行ってくれた。そこからの展開はハッキリと思い出せないものの、医師が「赤痢の疑いで入院しなければいけません」と告げたのは覚えている。
結局、赤痢ではないことがわかり一週間ほどで退院。退院時に持ち物を全て乾燥機で消毒せねばならず、愛読していた「鉄腕アトム」特別版がボロボロになってしまう。声を上げて泣いた記憶がある。
母と救急車
母が同窓会で意識を失ったとき、搬送されたのは小倉北区大手町にある大病院。わたしが住む福岡県南部の田舎町からは高速道路を使って2時間以上かかる。
意識が戻った母と面会して、帰路についたときはもう日付が変わっていた。
その日は深夜ラジオで『桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島』を放送していた。桑田佳祐が最初に歌った「明日晴れるかな」はそのときの心情と重なってウルッとした。当時の空気感は言葉に表わしにくいが、今も忘れられない。
母はその後も、何度か救急車のお世話になる。暑さに弱く疲れやすいところがあり、急に貧血気味になってしまうようだ。
70代までは歩いて買い物に行っていたのだが、自分の体力を把握できないらしい。無理をして気分が悪くなり、ひどくなると意識を失うことも。
あるときは路上で急にしゃがみこみ動けなくなった。工事中の方が心配して声を掛けたところ、苦しそうだったので救急車を呼んでくれた。
あるときは車を運転してAコープに買い物へ。右手と左手に持ちきれないほどの品物を抱えて力尽き、動けなくなったらしい。店長さんが心配して救急車を呼んでくれた。
老人会でお宮掃除をしたとき。ベンチに座って休んでいるかと思ったら意識がなかったという。会長さんが我が家を訪ねてこられ、「救急車を呼びましたから」と知らせてくれた。
80代になると体力が落ちて歩き回ることはなくなった。ただ暑さに弱いから猛暑は辛い。
お盆に納骨堂のあるお寺にお参りしたとき。ほんの10分ほど本堂と納骨堂を移動しただけで、「きつい」と言ったきり座り込んでしまい、やがて意識が朦朧としてきた。周りにいた方々が心配して冷たいペットボトルで冷やしてくれ、事態を知ったお寺の奥さんが救急車を呼んでくれた。
2025年3月。母(90歳)が自力で立ち上がれなくなり、食事もトイレも介助が必要になった。病院で診てもらおうにも、車まで歩けない。わたしも若くはない。駐車場との距離を考えたら妻と二人で介助して連れて行くのはとても無理。そこで総合病院に電話して相談したところ「救急車を呼んでください」と案内された。このときは検査しても異常はなく、点滴を打って安静にしていたら回復した。
6月にも同じような症状で立ち上がれなくなる。やはり車に乗せて連れて行くのは難しいため救急車のお世話になる。今回は腰椎の圧迫骨折だとわかり、現在も治療のため入院中だ。
長女の場合
「ドンドン ドンドンドン」
これも17年ほど前、わたしが寝室で眠っていたら夜中に何かを叩く音がする。
ただ事ではないと感じて、部屋から出て様子をみたところ、トイレから音が聞こえてきた。
ロックされてなかったので、そっと開けて声をかけた。
「だいじょうぶ」
「…ウウ…」
そこには床にうずくまって苦しむ娘の姿が。
これはいかん。わたしは咄嗟に判断して妻を起こす。
妻が対応したところ、腹痛がひどくて動けないそうだ。
夜中の12時近くだけに、わたしの決断は早かった。
「救急車を呼ぼう」
救急搬送され検査の結果「腸内で悪玉菌が増え過ぎている」と診断。入院して点滴治療したところ回復した。
妻の場合
数年前、妻が体調を崩した。熱が出て咳が止まらないため、近くの内科医院で診てもらったところコロナではなかった。風邪薬と解熱剤をもらって飲んでいたが治らない。数日我慢していたが、悪くなる一方。ある朝、体温を測ったら平熱よりかなり低かった。妻は苦しそうで電話もできないような状態。
わたしが総合病院に電話したところ「すぐ救急車を呼んでください」とキッパリ伝えられた。
救急隊の方も救急車の中で妻の体温を測り「うーん低いなあ」と首をかしげていたからかなり悪かったようだ。
「低体温症ですね」と診断されて、数週間入院したところ回復した。
わたしの場合
昨年8月のこと(まだ一年経ってないのか…)。
朝起きて、洗面所で顔を洗い、鼻をかんだ。
「なんじゃこりゃー」
鼻血がボタボタと落ちたので驚いた。
親指と人差し指でつけ根を押さえ、すぐ止まるだろうと高をくくっていたところ、10分過ぎても止まらない。
ヤバい。いつもの鼻血となんか違う。
妻にSOSを出して救急車を呼んでもらった。
救急車を呼ぶか呼ばないか
救急車を安易に呼ぶケースが増えていると聞く。
報道機関による呼びかけでは「タクシーのような感覚で使うケースもある」と指摘していた。
わたしはこの記事を書くにあたり、そこのところをどのように伝えるか悩み調べてみた。
すると現役ナースの方が具体的にわかりやすくまとめられていた。その記事を紹介させていただく。
#これ誰にお礼言ったらいいですか
わたしは数年前から手術による入院を繰り返した。その後も通院治療のため人生で最も多く病院のお世話になっている。だから医師、看護師、看護助手の皆さんがいかに多忙であるかを目にしてきたつもりだ。
病院関係者の方々はもちろんながら、救急隊員の方々にもお礼をいいたい。
わたしの経験では、救急車には3人乗って来る。氏名を聞き、問診しながら、一方で体温、血圧などバイタルチェックを行う。迅速で正確、話し方は固いが決して高圧的ではない。
我が家はこれまで11回救急車のお世話になった。ざっと考えて33人の救急隊員から救われたことになる。
救急隊員は消防署所属になるため、病院関係者ではないようだ。だから病院に感謝しても厳密には救急隊員にまで届いていない可能性がある。
パーソルホールディングス×noteによる企画「#これ誰にお礼言ったらいいですか」を知って、これは救急隊員の皆さんに感謝を伝えるよい機会だと思い、書かせていただいた。
※トップ画像はCanvaの画像生成AIによるものです。
