整体師とお坊さんとカカシ 第6話
俺のじいさんな山伏ばしよったとぞ。
背振山だけやのうて英彦山やら竈門山やらに登って修行するったい。
とうとう富士山の方まで行ったもんやけん、若い頃はほとんど家に居らんやったらしか。
じいさんな、真山千賀松ちゅう名前ばってん、法名は空岳たい。
空岳さんも年寄りになって山に登るのが難しゅうなったら家で畑を耕して暮らしたとよ。
俺のおやじの千次郎さんと焼酎ば飲みながら、武勇伝をよう話しよった。
そんときに俺も呼ばれて一緒に聞かせてもろうたちゃけど、ほとんど忘れてしもた。でもこの話しは覚えとる。
「山でばけもんが出たり、えすか目に遭うたときはナンタイサンカツサレて唱えろ」
空岳さんが教えてくれたまじないを引き継がんといけん。舞を見てそう思ったったい。だけん、この紙をお守り代わりに持っとくとよか。
私はじいちゃんが病院で書いて渡してくれたメモ紙を訳も分らず受け取った。
家に帰ってから母やばあちゃんに聞いても知らないという。
「娘の私にはあんなこと話してくれなかったんだから。失礼しちゃうわ」
「うちもそげんこつは聞いたことなかばい。じいさんな、イノシシに噛まれておかしゅうなったちゃなかろうね」
そんな調子だから真相はわからない。
私はとにかくメモ紙を折りたたんでお守り袋に入れ大切にした。
*
もう15年ぐらい前のことだから、普段は意識すらしてなかった。それがHGさんの件で覚醒したのだ。
「ナンタイサンカツサレ」
私は無意識のうちにその呪文を唱えていた。より直感的に表現すれば、別の人格が私に代わって唱えたというところか。あの時の状況を振り返っていると次から次に記憶が蘇ってくる……。
「背振神社」「しし座流星群」「青い光り」
「山菜採り」「イノシシ」「頭の中が青くなった」
「HGさんの股間」「頭の中に青い光り」「ナンタイサンカツサレ」
あっそうか、じいちゃんはきっと気づいたのよ、私の異変に。イノシシを止めようと叫んだとき、私に何らかの力を感じたから、空岳さんに教わった呪文を授けようと思い立ったのではないかしら。
じいちゃんは「お守り代わりに」っていうものの、正直なところ迷惑なんですけど。
自分で意識していないのに別の人格が現われて、勝手に私の体を動かすなんて怖すぎる。もし事故が起きたらどうするのよ。それって私の責任だよね。ダメダメダメあり得ない。
苦労もありながらやり甲斐も感じられた看護実習を終えると、卒業試験が待っていた。私も深園も夜遅くまで船を漕いではお互いに声を掛け合って試験勉強した。
努力はしてみるものだ、二人揃って卒業試験をクリア。看護師国家試験受験資格を手にして2月の試験日を迎える。
晴れて合格し、久々にハイタッチを交わした。
国家資格を得て看護師となった私は地元から近い和泉ヶ丘総合病院を選んだ。
深園は母親から勧められて関東の大学病院に勤めるのだという。お互いの道を進むとは言えやはり寂しい。
看護師デビューは緊張と慌ただしさに紛れながら過ぎてゆく。
「新人の真山舞です。先輩の皆さんから学んで早く患者さんに寄り添える看護師になりたいと思います。よろしくお願いします」
「はい、よろしくね」「頑張って」
初日こそ抱負を語る余裕もあったが、看護学生時代とはわけが違う。
プリセプターとして私を指導してくれる先輩看護師・坂本真理さんにくっついてロボットのように真似た。それでもなかなか上手くいかない。
朝・昼・夕のバイタルチェック
食事前の血糖値測定
検査するための採血
処方された薬を飲み忘れていないか服薬管理
入浴か清拭、排泄、食事、体位交換などのサポート
そういったルーティンワークだけでなく、突発的にナースコール
さらに合間を惜しんでノートパソコンに記録せねばならない。
10名近くの患者さんを担当するのだから「猫の手も借りたい」気持ちがよく分かる。
坂本さんは20代なのにベテランの風格がある。キビキビと動いても急いでいる感じがしない。私も早くその域に達したいと憧れるのだが、悲しいかな容赦なく指導される。
170cmほどの高身長でスラリとした脚、白衣のスクラブパンツをファッショナブルに着こなすことが可能なんだと思い知る。しかも目鼻立ちがハッキリして凜とした表情で諭されるのだから、背筋を伸ばさざるを得ない。
それでも時にはカチンとくることがある……。
あの日は何とか昼休憩をとるタイミングを見つけて手作り弁当を食べることにした。
朝早めに起きて自分で詰めた鶏ガラスープ味の特性卵焼き入りだ。とは言えゆっくり味わう暇はない。カレーでもないのに飲み物のごとく流し込み3分もかからず完食。スマホの時計が気になるし、呼び出しの連絡が入らないかビクビクしているから休憩どころではない。10分ほどで持ち場に戻る。
点滴確保をするつもりが、患者さんが高齢なこともあり血管が細くて浮いてこず、なかなか針が入らない。よくよく考えると休憩もろくにとらず集中力が落ちていたのだろう。
これ以上針を刺すわけにはいかないと思って振り向くと、坂本さんがじっと見守っている。
「すみません。点滴の針がどうしても入らなくて、代わってもらえませんか」
出来ることならば自分でクリアしたい気持ちはやまやまだが、涙をのんで助けを求めた。
「真山さん、新人だろうと何年目だろうと、忙しいのはみんな同じなの。あなたができなかったら他の誰かがやることになるんだから。教えたことはちゃんと覚えて」
厳しい口調でこぼしながら代わってくれた……でもムカッときた。
「仰ることはごもっともですが、ちとキャパシティを超えちゃあいませんか」私は思わず言い返そうになったのをなんとか堪える。
看護実習でHGさんのセクハラに怒ったとき、頭の中に青い光りが現われた。しかも別の人格が「ナンタイサンカツサレ」と唱え、結果的に無謀なことをしてしまった。
あの体験から学んだ。どうも理不尽なことに憤ると別人格が憑依するらしいと。だからできるだけ怒らないように深呼吸をしたり、10秒だけ心の中で1から10まで数えて冷静さを取り戻すようにしている。アンガーマネジメントの聞きかじりだけど、それなりに効果があるらしい。青い光りが灯ることはあっても、10数えるうちに小さくなり、今のところ「ナンタイサンカツサレ」を唱えずに済んでいる。
一つには坂本さんをはじめ先輩看護師たちが厳しいことを言うのは理に適っており、理不尽なわけではないと私自身が思っているから「怒り」まで達しないのだろう。このときも怒りを爆発させる手前で我慢できた。
医師も多忙で、とくに外来と病棟の患者さんを受け持つ場合は終日いて当然という感じだ。いつ休んでいるのかわからない。
そんななか担当患者がいない若手男性医師は新人看護師からひっぱりだことなる。
私もずいぶんお世話になった。
「横田先生、少しだけ練習に付き合ってもらっていいですか~」
「ああ、いいけど。でも針を刺すところまだあるかなぁ」
左腕も右腕もすでに練習の跡らしき変色が散見される。
「えっと、じゃあ左のここで。少しチクッとしますね。イチニノサン」
青く浮かんだ 皮静脈めがけて針を刺す。
「お、いいんじゃない。もう真山さんも一人前だよ」
「ホントですか、ありがとうございます。またよろしくお願いしますね」
「ええっ!上手くできたから、もういいじゃん」
彼は気さくなうえに童顔でカワイイところがある。だから、注射の練習に限らず病棟のアイドル的存在なのだろう。
看護師になって2年目まではがむしゃらにやるからあっという間に過ぎてゆく。もちろん嫌な思いをすることもあったが、一方で患者さんから「ありがとうね」と言ってもらうと元気になれる。それをモチベーションに続けられたようなものだ。
3年目になると流れがわかり余裕も出てくる。こんな私でもプリセプターとして新人看護師を指導する立場になった。
アンガーマネジメントによって怒りを抑える方法を覚えたことで、青い光りを感じることもほとんどなく、「ナンタイサンカツサレ」の呪文などおぼろげな記憶しか残っていない……はずだった。
まさか病院であんなアクシデントが起きるとわ。
第7話へ続く⇒
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