風の音を聞くと“山のおじいちゃん”を思い出す。
風の音を聞いたことはありますか。
木々の枝葉が風になびいてサラサラ、ザワザワとたてる音も「風の音」に入るでしょう。
台風のような強風が電柱に張り巡らされた電線にあたってヒューヒューと口笛のように鳴ったり、あるいはブーーンとモーターが振動するような音を出すこともあります。
わたしは昨日、本屋まで歩いて行ったところかなり強い風に吹かれました。コーヒーショップの外に立てているのぼり旗が倒れそうなので、店員のお姉さんが回収するのに苦労していたほどです。
旗がバタバタとはためくのも「風の音」と言えるでしょう。
回収される旗を見ていたわたしには、はためきではなく“風の音そのもの”が聞こえたのです。
風は空気の流れだから、そのものは音を出さないという説もあります。わたしは専門家ではないのでそこのところは詳しくわかりません。
でもわたしの体にまとわりつく風はたしかに音を立てていました。耳にあたって音を出しているのか、さらに鼓膜まで及んで音として感じるのではないでしょうか。
そのときふと思い出したのです。“山のおじいちゃん”のことを。
わたしが子どもの頃、両親と弟の家族4人で北九州市小倉に住んでいました。当時、北九州工業地帯は日本の四大工業地帯の一つに数えられたものです。
小学校では「よい子の社会科」という別刷りの教科書を使って北九州工業地帯のことを学びました。洞海湾の汚染状況や工場から出るスモッグ。それが原因となって発生する光化学スモッグなど公害の印象が強く残っています。実際に「光化学スモッグ警報」が発令されて運動場に出るこをと禁止された経験があるからでしょう。
母の父親、つまりわたしの祖父は北九州市八幡に住んでいました。八幡製鉄所(当時)などの工業地帯や街並みが一望できる山の中腹に家を建てていたので「山のおじいちゃん」と呼んでいました。
祖父の家は広くて門があり、玄関前に大きなソテツの木が植えられてました。外観も内装もけっして贅沢な作りではありませんが、子どもの目には“豪邸”に映ったものです。
わたしたち兄弟や同年代の従兄弟たちをとても可愛がってくれるので、祖父のことが大好きでした。両親は毎月のように祖父の家を訪ねて一緒に食事を楽しみ、子どもたちだけ泊めてもらうこともありました。
わたしだけ泊まることになり、祖父に用事ができて一人きりになったときのことです。ちょうど台風が接近していたので雲行きが怪しくなってきました。
小学校高学年で好奇心旺盛な年ごろだけに“台風”を見たくてたまりません。庭に出て八幡の街を眺めたのです。山の中腹から一人で見下ろす感覚は初めてのものでした。
大空には大きな黒雲がうごめき、ときおり稲光がひらめくのです。大自然が繰り広げるショーを見ているようで、ワクワクしながら一人立ち尽くす“男一匹”。
ビュウン ビュウン ゴオッ ゴオッ
耳には風の音がずっと響いていました。
地上の建物や木々に風があたって出る音ではありません。たしかに大空から聞こえていたのです。
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遊びに行くとよく焼肉をしてくれたおじいちゃん。当時はまだ珍しかった“マトン”がとても美味しかった。
柴犬のシロを連れて山歩きに連れて行ってくれたおじいちゃん。草むらの湧水を見つけると「アモンジョが出るぞ」と言って怖がらせたね。
黒崎の街に出かけるときは髭剃りに時間をかけて念入りにおめかしするおじいちゃん。商店街では皆から声を掛けられる人気者だったよね。
皆から慕われていたおじいちゃんだったけど、わたしが高校生のときに脳梗塞で亡くなった。80歳手前だった。
母や叔父さんたちの話しによると、戦時中は混乱に巻き込まれてロシアに渡り富豪夫人に雇われて右腕として活躍したそう。功績を認められ「日本でやりたいことがある」との願いを叶えてもらい帰国。自分で機材を揃えた実験室で研究をかさね「化学調味料」を開発していたところ、一足先に味の素が成功して涙をのんだという。
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わたしは今でも風の音を聞くと“山のおじいちゃん”を思い出します。あのときほどのワクワク感はありませんが、切実におじいちゃんのような足跡を残したいと思う年齢になりました。
