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民主主義に必要な「不親切さ」──声高に反対しないという選択


民主主義に必要な「不親切さ」


最近、
「わかりやすさ」が正義のように語られる場面が増えました。

政治も、社会問題も、
「小学生でもわかるように説明します」
「難しい話は抜きにして」

一見すると親切です。
でも私は、この流れにずっと違和感があります。


わかりやすさは、人を考えさせない


本当に重要な問題ほど、

・前提が複雑で
・利害が衝突し
・簡単な答えがない

それを「わかりやすく」しようとすると、
必ず何かが削られます。

前提、条件、責任、失敗の可能性。
そして一番削られるのが、
考える余地です。

「もう答えは出ています」
「これが正解です」

そう言われた瞬間、
人は安心しますが、思考は止まります。


民主主義は、本来不親切な制度だ

民主主義は、

・分からない
・意見が割れる
・揉める

ことを前提にした、
とても不器用で面倒な仕組みです。

それを
「誰でもすぐ分かる」
「迷わなくていい」
形にしてしまうと、

民主主義は静かに形だけ残り、
中身が空洞になります。


「反対」を声高にやらない理由

私は、
ある思想や運動に反対の立場を取っています。

でも、
声高に叫ぶことはしません。

・敵を作らない
・分かりやすい物語にしない
・感情で煽らない

なぜなら、
それをやった瞬間に、
自分も「考えなくていい側」に
足を踏み入れてしまうからです。


淡々とやる、という選択


掲示物を出す。
文章を書く。
立ち止まる人だけが読めばいい。

ほとんどの人は通り過ぎます。
それで構いません。

でも、ほんの一部の人が、

「これは何だろう」
「なぜ反対なのだろう」

と立ち止まる。

その引っかかりこそが、
民主主義に残された、
いちばん大事な部分だと思っています。


親切すぎる社会は、判断力を失う


すべてが説明され、
すべてが要約され、
すべてに正解が用意された社会は、
快適です。

でも、
自分で判断する力は確実に落ちます。

だから私は、
分かりやすさを提供する側には立たず、
あえて不親切でいることを選びます。


まとめ


これは抗議ではありません。
運動でもありません。

ただの態度表明です。

こういうことこそ、
反対なんて声高に叫ばず、
淡々とやるべきだと思っている。

それだけです。

#民主主義
#不親切さ
#わかりやすさの罠
#ポピュリズム
#政治と言葉
#思考停止に抵抗する
#態度表明

(了)

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