無職になった日
僕はMichikusaという小さな会社を経営している。
2023年の10月、24歳の時に登記した。
事業内容は、AIを用いた業務効率化のお手伝い。
「事業は効率化なのに、社名は非効率なMichikusa(道草)なんですね」
クライアントに頻繁に突っ込んでいただく。
良いアイスブレイクになるので、僕は気に入っている。
今日はこの社名の由来について初めて書いてみる。

GAFA社員、突然の無職
2023年の8月、僕はAmazon Japanを辞めた。
友達2人と創業した、AIの会社に専念するためだった。
しかし、色々あってその会社も1ヶ月後に辞めてしまった。

順風満帆な大企業社員から、転じて無職に。
貯金もほとんどなかった。
とりあえず家賃の高い1人暮らしの家を解約。
家具はジモティー(フリマサイト)で売って小銭にした。
その後、母の住む三鷹の実家に帰った。

そして、1人でAI分野で起業をすると決意した。
お金稼がないと生きていけないし。
起業するにあたり、最初に訪れた試練は社名決めだった。
法人登記のためには大量の書類を書く必要がある。
そのほぼ全てに社名記載が必要なので、決めないと物事が進まないのだ。
社名を考えるために近所の井の頭公園に向かった。
ベンチに座って、ただ前を見続けた。
"イノコウ"には沢山の思い出がある。
高校生の頃、文化祭の打ち上げの2次会はいつもここだった。
デートでは当時の彼女とスワンボードを漕いだ。
大学生の時何度もここでお酒を飲んだ。
いつも英語で弾き語りをしているオッサンが好きだった。

回想に少し浸ったが、冷静に自分の状況に立ち返る。
臼井拓水、24歳、国際基督教大学卒、ベンチに座る無職。
まさか社会人2年目で無職になるとは思ってもいなかった。
人生って本当に何でもありなんだな、とびっくりした。
座りながら、これまでの24年間を振り返った。
夢がなかった学生時代

昔から、何かを長期間目指し続けたことがなかった。
なりたい姿や夢がなかったから、都度環境を変えてきた。
中学時代は吹奏楽と受験。
高校時代はバレーボール。
大学時代はラグビーとインターン。
社会人時代はとにかく営業成績。
「迷ったら困難な道を行く」
環境選択の指針は常に明確だった。
だってその全部が、何かに繋がると思っていたから。
夢もなりたい姿もないけど、いつかきっと見つかる。
SNSで見ると嫉妬してしまう "何者" かにだってなれる。
そう信じて自分を律し、ずっとハードワークしてきた。

そうやって頑張ってきた結果が、無職なのかい。
これには結構落ち込んだ。
他の人より、何倍も努力してきたのになぁ。
毎日辛くて、悪夢を見て、寝て明日が来るのが怖くて、起床して絶望する。
そんな時期が何度も有ったのになぁ。
自分を奮い立たせて、耐えてきたのになぁ。
うう、シクシク。
大学時代インターン先が怖くて泣いたぶりの涙。
恥ずかしくて袖で顔を隠す。
泣き止んだ後、大学生の時に読んだ本を思い出した。
伊集院静著、『ミチクサ先生』。
夏目漱石の人生を元にした小説である。

漱石の人生はこんな感じだ。
・幼少期に経済的事情で里子に出される、それも複数回。
・漢詩や漢文が好きだったが、大学では英文学を専攻。
・そして大学卒業後、中学の英語教師になる。
・ロンドンに2年間留学後、今度は大学で英文学の講師に。
・その時期に『吾輩は猫である』がヒットし作家に。
・次々と名作を執筆後、胃潰瘍で死去。享年49歳。
彼はとにかく苦労人だった。
そしてその経験が、漱石文学の特徴である繊細さに出ている。
彼の闘病や葛藤という遠回りは、決して無駄じゃなかった。
だから弟子、寺田寅彦は彼を「ミチクサ先生」と呼んだのだった。
そして思いついた。
今辛いこの状況を"ミチクサ"ということにしてしまおう。
学生時代努力してきたのも、大好きだったAmazonを辞めたのも、友達と作った会社を離れて無職になったのも、ぜーーんぶミチクサだ。
これは人生の本筋じゃない、あくまで道草を食ってるだけ。
それが腑に落ちるのが、いつになるかはわからないけど。
まぁでも、今はそういうことにするのだ!
そうして人生で初めて建てた自分の会社を、Michikusaと名付けた。

流石にAI効率化の会社で、非効率なミチクサが社名なのもどうかな、と思った。
しかし、何のために効率化するのかといえば、時間を作るためである。
そして、その時間で企業が大事なことに時間を使えるようになること。
大事なこととは、顧客と話したり、新しい事業を考えたりなど、色々試して探って、新しい価値を生み出していくことが中心。
じゃあそれもミチクサだ。
こうして僕はMichikusa株式会社を設立し、
AIの法人研修を提供し始めた。
Michikusaを作った親友
それから1年半が経った。
AI研修の導入企業は100社を越えた。
SNSの総フォロワーは50万人を突破し分野日本一位に。
個人向けのAI研修は4万人以上が受けてくれた。
主催するAI木曜会というAIの学習コミュニティは、
在籍数が3000人を越えた。

辛かった時期を乗り越え、僕はずっと憧れていた"何者"になった。
会社のメンバーも増え始め、
経営者としての振る舞いを求められるようになった時に、
会社のHPを一切更新していないことに気がついた。

起業当初、お金がなくて自分で適当に作ったサイト。
ロゴは適当なフォントでMichikusaと書いただけ。
これでは取れる案件も取れなくなる。
ロゴの刷新をプロに依頼することにした。
SNSで募集をかけて何人か話すも、しっくりこない。
僕にとってMichikusaは、大事な言葉。
その表現に知らない人を任せられない。
そこで、僕は親友である純に頼むことにした。

純との出会いは、10年前。
高校入学時に、男子バレー部を作ろうと声をかけてくれたのが純。
純が主将、僕が副主将として部活を作り、1年かけて人を集め、試合に出た。
(結局3年間で一度も公式戦に勝つことはできなかったけれど)

それから純は、僕と一緒に最も多くのミチクサをした人物になった。
何度も遊んだり、一緒にラジオやカードゲームを作ったりした。

彼もまたミチクサな人生を送っている。
同じICU高校を卒業後、デジタルハリウッド大学に入学。
その後UI/UXを学ぶためにカナダのHumber Collegeに入学し直した。
非帰国子女でのカナダの4年生大学への正規入学。
語学のみならず、物価や文化など、あらゆる苦労をよく電話で聞いた。
そんな彼なら、僕の想いを一番形にしてくれる。
そう思い、依頼をした。
「AIやITっぽい先進的なデザイン、効率化を推進するサービス、だけれどミチクサっぽい遠回りな感じ、文字とアイコン両方」
という無理難題を彼に渡した。
そうしてデザインが出来上がった。

まず、この2本の湾曲した線は、遠回りを表している。
更にこれは、グラフなどにおける省略記号でもある。
青と水色のグラデーションは、AIの先端さと変化の象徴。
まさに、僕が求めたデザインだった。

純に頼んで本当に良かった。
今回のデザインを作るにあたり、純は36枚のスケッチブックを消費したらしい、苦労をかけた。

今日このnoteを書いたのは、そんなミチクサ共にした彼から、大学を卒業したという連絡をもらったのがきっかけ。
2018年のデジハリ入学から、7年かけて卒業。
長い長いミチクサだったと思う。
彼は現地企業でフルタイムのUI/UXデザイナーのポジションを勝ち取った。
しばらく向こうで過ごすのは悲しいが、応援をしている。
(余談だが、僕は現在彼の古巣のデジタルハリウッド大学で特任准教授も務めている。面白い縁だ)

これからのMichikusa株式会社
僕にとってAIは、これまでのミチクサの先にたどり着いたものだ。
AIを人に教えることは、自分の得意、好き、世間の需要の3つが揃った、明確にやりたいものである。
しかしAI業界には、広告を出しまくって高額で低質なAIスクールを売りつけ、返金も応じないような、悪いことをしている人達も多い。
これを心の底から不愉快だと思うし、明確な業界課題だ。
だからこそ、心の底から誠実な事業をモットーなAI研修を提供している。
法人向けのAI研修、個人向けのAI講座、個人向けのAIコミュニティ。
そのどれもにやり甲斐を感じるし、しばらくはこれを続ける。
けれど、ずっと同じことはしないと思う。
AIの進化によって、仕事はどんどん変わっていくし。
というわけで、今までの苦労も、今のAI事業も、これから先の事業も、全部含めてミチクサなのだ。
「山に登るのはどこからでもいい。転んで汗まみれになってもいい。ミチクサはおおいにすべしさ」
最後に
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
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