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#落語 #ヒロミ #東野幸治 #運命の大一番「終わった番組は誰のせい?」「大一番とゼリーの位置」

@落語 #ヒロミ #東野幸治 #運命の大一番「終わった番組は誰のせい?」「大一番とゼリーの位置」 「終わった番組は誰のせい?」 えー…どうもどうも。 テレビってのはね、不思議なもんでございますな。 出てる人間は一生懸命、作ってる人間も一生懸命、見てるほうもそれなりに一生懸命。 なのにねぇ、終わるときはね、こう…静かぁ〜に終わる。 これがね、花火みたいに「ドーン!」と終わればまだいい。 「はい終わり!」って言われりゃ、ああ終わったなって分かる。 ところが今どきは違う。 気がついたら、ない。 まるでね、冷蔵庫のプリンですよ。 昨日あったはずなのに、今日ない。 で、家族全員「知らない」って顔してる。 おかしいねぇ、プリンは蒸発しないんだよ。 で、今回の話もそれと同じでね。 月曜の夜にやってた番組が、ある日ふっと消えた。 誰も「最終回です!」って言わない。 言わないどころか、気がついたら「終了しました」って書いてある。 いやいやいや、こっちはまだ見てるつもりなんだよ。 これ、江戸時代だったらどうなるか。 寄席で噺家がスッといなくなったらどうだ。 客はね、「あれ?トイレか?」なんて最初は思う。 でも帰ってこない。 一時間経っても帰ってこない。 そしたら番頭が出てきて、「本日の興行は終了しました」って。 ふざけるなって話ですよ。 でね、こういうのって原因を探すのが人間でしてね。 「あの人が悪いんじゃないか」 「あの出来事がきっかけじゃないか」 いろいろ言う。 けどね、世の中そんなに単純じゃない。 一人のせいで終わるなら、もっと分かりやすい。 だいたいはね、「なんとなく」なんですよ。 これが一番厄介。 なんとなく始まって、なんとなく変わって、なんとなく迷って、 気がついたら、なんとなく終わる。 番組ってのは本来ね、「これをやる!」って芯があるもんでしょ。 ところが途中で、「あれもやろう」「これも入れよう」ってなる。 焼肉もやる、クイズもやる、アイドルも呼ぶ。 もう何屋だか分からない。 そば屋に入ったら、カレーも寿司もステーキも出てくる。 ありがたいけどね、ありがたいけど… 「結局何が売りなんだ?」ってなる。 で、客は正直だからね、 「まぁいいや、また今度で」ってなる。 その「また今度」が来ない。 これをね、世間じゃ「迷走」なんて言うけどね、 迷ってるうちはまだいい。 本当に怖いのは、迷ってることに気づかないこと。 で、気づいたときにはもう遅い。 番組は終わってる。 しかも静かに。 いやぁ、静かな終わりってのはね、人間にもありますよ。 「最近あの人見ないね」 「ああ、そういえば…」 それで終わり。 これ、怖いねぇ。 だけどね、ひとつ言えるのは、 終わるってのは必ずしも悪いことじゃない。 終わりがあるから、次がある。 ただねぇ… せめて一言くらい言ってほしいね。 「ごちそうさまでした」でもいい。 「もうお腹いっぱいです」でもいい。 それがないと、見てるほうはずっと箸持ったままなんだ。 で、最後にね、こう思うわけですよ。 この番組、終わったのは誰のせいか。 出演者か。 スタッフか。 それとも騒動か。 いやいや、違うね。 一番の原因はね―― 「誰もちゃんと終わらせなかったこと」だ。 終わるってのはね、勇気がいるんですよ。 「これで終わり!」って言うのは、責任がいる。 それをね、みんなでちょっとずつ避けた結果が―― 静かぁ〜な「終了しました」。 …まるで、誰も食べてないのに消えたプリンみたいなもんで。 えー、おあとがよろしいようで。 2幕目 「大一番とゼリーの位置」 ――えー、人間ね、大勝負になると何を見るか。これが面白い。 普通は盤面ですよ。「ここで飛車がどうだ、角がどうだ」ってね。ところがね、本当に強い人間は違う。盤なんか見てない。いや見てるんだけど、それ以上に“盤の外”を見てる。ここがね、凡人と天才の差。 将棋ってのは不思議なもんでね、あんな静かな世界で、実は一番うるさいのは頭の中なんです。 「負けたらどうしよう」「これで五冠になるぞ」なんてね、雑音がガンガン鳴ってる。 で、普通の人はそれにやられる。 ところがね、あの若いの――藤井ってやつは違う。 ――朝、入ってくる。 静かにね、すーっと。 もうね、空気が違う。まるで寺の住職が朝のお勤めに来たみたいな顔してる。 「これから戦争ですよ」って顔じゃない。「ああ、今日も一日ですね」って顔してる。 で、座る。 周りはね、ざわざわしてる。「大一番だ」「フルセットだ」って。 ところが本人は――見てるのが盤じゃない。 “ゼリー”だよ。 これがいいねぇ。 人間、極限になると本質が出るっていうけど、普通はね、「勝つか負けるか」になる。 ところがこの人は違う。「ゼリーが映ってない」って気づく。 どういうことだい、これ。 関係者に言うわけですよ。 「そちら側に置いていただけますか」って。 丁寧にね。まるでお茶をもう一杯頼むみたいに。 周りはびっくりする。 「いやいやいや、今日は第七局ですよ!?命かかってますよ!?」 でも本人は、「いや、ゼリーが映らないのはよろしくない」って顔してる。 ――ここだね。 世の中ってのはね、みんな“大きいこと”に振り回される。 会社だ、出世だ、恋愛だ、国際情勢だって。 でもね、本当に強い人間は違う。 “小さいこと”を整える。 ゼリーの位置ですよ。 たかがゼリー、されどゼリー。 これがズレてるとね、全部ズレるってことを知ってる。 で、対局が始まる。 「お互いに一礼して」って、あれもいいねぇ。 現代人はね、礼をしない。頭下げるのは謝るときだけ。 将棋の世界は違う。戦う前に礼をする。 つまり、「あなたを倒しますが、敬意は払ってますよ」っていう、これが文明ですよ。 で、藤井が一口お茶を飲む。 これがまたいい間なんだ。 普通の人はね、焦る。「早く指さなきゃ」って。 でもこの人は違う。一口飲む。 ――“間”がある。 芸も同じですよ。 間がないやつはダメ。 ベラベラ喋るやつはね、大体中身がない。 この人はね、黙ってても中身がある。 で、歩を突く。 ただの一手ですよ。 でもね、これがね、「今日もいつも通りやりますよ」っていう宣言なんだ。 周りは大騒ぎ。「逆転防衛だ!」「失冠の危機だ!」 うるさいねぇ、ほんとに。 本人はそんなこと考えてない。 ――ゼリーの位置は直した。 ――お茶も飲んだ。 ――じゃあ、将棋を指そう。 それだけ。 これがね、怖いんですよ。 相手の永瀬ってのも大したもんでね、普通なら飲まれる。 「うわ、なんだこの空気は」ってなる。 でもこれがまた食らいつく。だから勝負になる。 で、我々はどうか。 仕事でミスしたら「もうダメだ」 恋愛でフラれたら「人生終わりだ」 大げさなんだよ、全部。 本当はね、ゼリーの位置を直せばいい。 靴を揃えるでもいい、机を拭くでもいい。 小さいことをちゃんとやる。 それでね、不思議と大きいことも整ってくる。 ――藤井はそれを知ってる。 天才ってのはね、派手なことをやる人じゃない。 誰でもできることを、誰もできないレベルでやる人。 ゼリーを動かす。 ただそれだけのことで、「ああ、この人は負けないな」って思わせる。 で、最後どうなるかって? それは知らないよ、将棋だから。 勝つかもしれないし、負けるかもしれない。 でもね―― どっちに転んでも、この人は同じことをやる。 次の対局でも、まずゼリーを見る。 ――ここなんだ。 勝負に勝つ人と、人生に勝つ人は違う。 勝負はね、時の運もある。 でも人生は、“積み重ね”なんだ。 ゼリーの位置を直す。 その積み重ねがね、気がついたら王将だ、竜王だ、名人だって話になる。 我々はどうか。 ゼリーも見ずに文句ばっかり言ってる。 「人生うまくいかない」 当たり前だよ、ゼリーが裏向いてるんだから。 ――まず、そこを直しなさい。 そうすりゃ少しはマシになる。 将棋は強くならないかもしれないが、人生の手はね、少しは良くなる。 え?ゼリーなんか置いてない? じゃあ、せめてお茶でも飲みなさい。

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うっちー ユーチューブアドレス https://www.youtube.com/channel/UCGkI3Cpu_a6yvizyqQLbKKA 全部聴きたい方は、公開してますそこで、聴いてください( ´∀` )