【読書感想文】それでも「頑張れよ」
一穂ミチ『ツミデミック』光文社(2023年)
パンデミックの渦中で、日常に起きるような罪を扱っていく短編6編が集められた本。
誰にでも起きそうな、罪を犯す瞬間。「魔が差す」という言葉より、もうそこにあったものが、どうしようもなくなって「破裂」して、そんな結果になってしまった。そんな印象を持った。
あの鬱々とした期間や時間を、不自由なく暮らせた人なんて、どこにも、誰もいない。行き詰まりを感じた人、実際行き詰まってしまった人、絶望した人、一方でどんな時でも希望を見出してなんとか歩いていく人、現実的な人、そして、希望にも絶望にも膿んで、現実を諦めてしまう人。いたよなと思う。
平時では見えなかった人々の鬱憤が、火山のマグマのように、時に熾火のようにぐつぐつふつふつひたひた不穏にたゆたう。
そしてある時、抑え込みきれなくなった衝動が、後悔もしてもしきれない罪の形となって吹き出す。
『ツミデミック』は短篇集。6編どれも軽い話ではなかった。
「特別縁故者」というタイトルの一編があり、その感想を書こうと思う。
あのパンデミックの中、「頑張ろう、日本」「頑張れ◯◯」とかいう言葉も蔓延した。
あの「頑張れ」で報われた人もいただろうけど、私はとても嫌だった。
頑張ろうって言われて、頑張れるなら、頑張れるさ。すでにやってるさ。
あの病の正体が風邪なのか、死病なのか、そんな判断すら、結局個人の裁量だったくせに、緊急事態宣言やら、まん延防止等重点措置やら、三密回避やらで、普通の生活を失われた人は数しれない。
誰がどんなふうに、あれはただの風邪だと叫んだところで、日本中が「とりあえず自粛しましょう」ムードだった。しかも、風邪にすぎないという言説は、いつもどこか陰謀論めいていて、胡散臭かった。
今ですら、何が真実なのか、あれほど大騒ぎするものだったのか、分からない。
私自身は、あれは風邪なんかじゃないと思っている。それは、あまりに多くの命が失われすぎたから。行政の打った施策の効果の程、やり方はどうであれ、あの時のあの状態は、あの時選ぶしかなかった選択の一つだったのだと思う。
仕事だけじゃなく、生活していく家庭内での居場所も、みんな崩壊していっていた。
「特別縁故者」は、そんなふうにパンデミックで職を失った、調理師の男の物語。
男には家族がいる。
小学1年生の息子と、家族を支えるために昼夜働きづめの妻。男が働かないから、妻はいつも余裕がなく、けんか腰で、夫婦仲もよろしくない。
息子が、ひょんなことから縁を結んできた近所のじじい。
息子は、肩揉みをしたらくれたと、聖徳太子の描かれた1万円札を握って帰ってきた。
息子の話によれば、じじいには大金があるらしい。
男は色めき立つ。
小学1年生の子どもがたまたま家に上がり込み、肩揉みをしたくらいで、一万円が出てくる。
男の下心が疼く。
金が欲しい。
じじいは、立派な家に住みながら、どうやら独居のようだ。身寄りがいないのかもしれない。
「特別縁故者」というものが世にあるらしい。
身寄りのない人が亡くなった場合、その財産は国庫に入るか、「特別縁故者」に遺産相続されるかするのだとか。
じじいの、その「特別縁故者」とかいうものになれないか。
男は策略を巡らせる……。
そんな都合のいい話はないよ、と私は思いながら読んでいた。
男は物語の最後、じじいに「頑張れよ」と言われる。
もう「頑張れないんだよ!」と、自暴自棄になっている男。えこひいきされるほどの能力も、コネもない自分は運がない。ツキだって巡ってこない。
金もないし、状況は最悪だ。
人は簡単に「頑張れ」と言う。
頑張る人の苦労も知らないで、勝手なことを言うな。男は怒る。
「頑張れ」と言われて、「頑張れない」自分は、行き場がないから、回り回って、否定され、見捨てられたような心地にすらなる。
あのパンデミックの時、「頑張れ」という言葉が、確かに存在した。
医療従事者、スーパー、コンビニなどのエッセンシャルワーカー、老人介護福祉施設の職員……。
誰が、その特定の個人に向けて「頑張れ」と本気で言えたのか。
何日も何日も自宅に帰れず、帰っても家族からの感染を恐れる日々。
かと思えば、ウイルス保菌者に違いないと、差別を受ける日々。
男のような立場の人にも「頑張れ」は向けられていたけど、その言葉たちは届けたい人の心に、願ったとおりに届いていたのか。
私はこの物語の唯一の「頑張れよ」を、これこそが本来の「頑張れ」なんだと思った。
おまえが頑張れないのも、頑張らないのも分かってるし、むしろ知ったことじゃないけど、でもうまくいくといいな。
だから、「頑張れよ」。
「頑張れ」は、応援の言葉でもあるけど、相手の希望や幸福を願う言葉でもあるのだと思った。
うまくやれよ。
うまくいくといいな。
「頑張れよ」。
希望や夢を語れる時代になった。
パンデミックは結論としては、今も終わっていないし、「頑張れ」の矛盾や呪縛は、今も健在だ。
でも私は、心の底から思う。
あなたの人生に「頑張る」はなくてもいいけど、あなたに向けて「頑張れよ」という人がいますようにと。
あなたの幸福を願って、つぶやきのような「頑張れよ」を残してくれる人がいますように。
あなたの希望や、未来を信じてくれる人がいますように。
『ツミデミック』は、取り返しのつかない「罪」の話も多い。
それでも、私はこの本を希望を捨てたくないという作者の願いの本のようにも思った。
【今日の川柳】
お題「小鳥」
苦い夢 小鳥に託す 透ける空
【今日の英作文】
お金はありません。でも全く退屈もしませんし、悲しくもありません。
I have no income now. Nevertheless, I'm never bored or sad.
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