わたしの生きづらさ
春野ましゃこさんの企画に参加します
私は自分の生きづらさについてどう考えるのか、思うのか、少し迷いながら書きます。
私には、寛解が望めなさそうな精神疾患がある。
かれこれ人生の半分以上病気持ちで、発病してもうずいぶん経つのに、波はいまだにあり、困ったなと思うことが多い。
でも、これがわたしの生きづらさであると書くことに、私はなんとなく抵抗がある。
生きていて、生きづらいと感じるところがないわけではなく、困ったり、失敗したり、うまくいかなかったり、生きづらさにつながるものが原因で、最近では仕事を辞めてしまった。
でも私は、人生がその生きづらさで、全てが決まるものではないと思う。
生きづらさがあっても、幸せに生きられるし、幸せに生きていい。
生きづらさを抱えている分、その生きづらさがない人より苦労もするだろうけれど、それでも生きづらいからと言って、下を向いて歩かなければならないということはないと思う。
物事には、かならず裏表、短所長所がある。
私は日々の生活の仕方を、窮屈そうだ、ルーティンでガチガチで、生活のやり方を見直さないと、と言われてきた。
でもこの決まったルーティンを毎日繰り返し、何事も同じように仕組み化して生きていくことで、私はとても安心安全な気持ちで生きていられる。
私はこのルーティン作りというものが、いいとも悪いとも思わない。
私には適した方法であったけれど、他の人はやってられないと思うものかもしれない。
今後、私自身が変えていこうと思うかもしれない。
ルーティンを繰り返して生きている私を、融通が効かなくて、不幸だと断じる人もいたけど、それもその人の思うところであって、私の人生を生きている本人ではない。
生きづらさは、確かに足かせかもしれない。でも、それでなにもかもが不自由になったわけではないと思う。
私は私でいていいし、生きづらい気持ちも無視しなくてもいい。
生きづらい自分をどうしたら活かせるかな、生かせるかな、生きていこうと思えるようにできるかなと、考えることが大事なのだと思う。
「ここがわたしの生きづらさ」というテーマから脱線してしまったかもしれないけど、生きづらさは発見して終わりじゃないし、ともに生きていかざるをえない存在。
ましゃこさんの願うような記事ではなかったかなと思うのだけど、私は見つけたその先がとても大事だと思い、迷いつつ書きました。
「生きづらさ」というものと、いつかそっと手を取り合って人生を歩んでいけたら、私はいいかなと思います。
【今日の川柳】
お題「整える」
烏龍茶 眠気退屈 ほぐす昼
【今日の英作文】
批判を受けて、そのまま無言でいるということは、自分の意見がないか、その批判を正しいと認めていると見えてしまうかもしれない。
When you receive criticism, you stay silent. That might make it look like you have no ideas, or that you acknowledge the validity of the criticism.
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