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#118 一葉観音について

 筆者の自宅近くに中和山泉龍寺(曹洞宗)という寺院がある。戦後の建立ながら三重宝塔を擁する立派なお寺であるが、箱庭のような小さな苑池に一葉観音像(銅像)が置かれている。一葉観音像は主に曹洞宗寺院に多くあり、総本山である永平寺(福井県吉田郡永平寺町)の銅像が最も知られているが、永平寺の一葉観音像は昭和47年(1972)造立であり、それほど古い仏像ではない。泉龍寺の一葉観音像もこれに倣ったものであろう。
 筆者が一葉観音に注目するのは、自身の菩提寺である日照山常光寺(青森県上北郡野辺地町)でたびたび手を合わせているからであり、一文書いたこともある。常光寺の一葉観音像は本堂脇の屋内に祀られており、彩色豊かな木像であるが、日本曹洞宗の開祖である承陽大師道元(1200~1253年)が修行先の支那から帰朝するとき、荒れた海で遭難しそうになり、観音経を唱えたところ波間に一葉観音が現れ、波が鎮まったとの説話に由来する。水難除けや交通安全の仏様として信仰を集めている。一枚の蓮華に乗った姿で造形されることから一葉観音と呼ばれるが、そもそも観音菩薩は南海の補陀落という山あるいは島(浄土)に住まうという信仰があり、中国浙江省の普陀山信仰の由来ともなっている。補陀落渡海とは、生身の人が船に乗り、補陀落(浄土)を目指すわけであるが、観音菩薩が補陀落から船に乗り、衆生を救済する渡海観音の信仰も知られている。
 その淵源は定かではないが、筆者は中国山西省平遥の双林寺で五代十国~宋代の仏教塑像群を実見した際、宋代造立(明代改修)と伝わる極彩色の渡海観音像を見て、日照山常光寺の一葉観音像と酷似していることに驚いた。一葉観音について調べ出すのもそれからである。一葉観音像はおおむね一枚の蓮華に乗り、片膝を立てた自在観音のスタイルをとるのが一般的であり、左膝を立て、膝の上に左腕を乗せる様は、まるで舟遊びに興じ、くつろいでいる如くである。双林寺の渡海観音も常光寺、永平寺、泉龍寺の一葉観音も同じ構図をとっており、戦後造立の一葉観音像がどのように渡海観音に影響されたかは不明だが、その関係性は疑いないものであろう。
 ところで、浅草の金龍山浅草寺(天台宗)境内に、寛政9年(1797)造立の一葉観音像(銅像)が置かれている。かかる銅像寄進の悲しい逸話は置くとしても、その姿は舟に見立てた一枚の蓮華に乗るまでは同じであるが、立った姿で頭に笠をかぶり、手には櫂を持つ船出の様子を表している。宗派は異なるが、秩父観音霊場札所第32番、般若山法性寺(曹洞宗)の本尊、聖観音像(お船観音)の模刻であり、同じ聖観音を本尊とする浅草寺にふさわしい銅像であろう。判然とはしないが、法性寺の聖観音像は室町時代中期の作と伝えられており、戦後造立の一葉観音像よりはるかに古い。我が国における一葉観音の造形がどのように変遷したかはしっかり調べねばなるまい。

日照山常光寺の一葉観音像
中国山西省双林寺の渡海観音像
浅草寺の一葉観音像(お船観音模刻)


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