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父との最期の時間

主治医からの病状説明を受け、私たちは看取りを選択した。
残り少ない父との時間を、悔いなく過ごしたい——そう思いながら病室へ戻った。

「もう点滴しないからね。手もしばられないからね」

そう声をかけると、母は父のそばで涙を流しながら言った。
「お父さん、ありがとうね。今までありがとう。感謝してる。長生きしてくれてありがとう」

私も父に伝えた。

今までありがとう。
リハビリ、よく頑張ったね。
最後に親不孝してしまってごめんなさい。
これからはしっかり生きていくから、心配しないでね。

1年前に離婚したこと。
どこかで、それを父に申し訳なく思っていた。

言葉にした瞬間、涙があふれた。
父に聞こえていたかはわからない。
それでも、今伝えなければいけないと思った。

父に声をかけながら、これまでの思い出が次々とよみがえる。

「親孝行したい時には親はなし」
ずっと頭にあった言葉なのに、
どこかで「まだ大丈夫」と思っていた。

倒れる2か月前、両親と3人で鰻を食べに行った。
肝焼きが売り切れていて、父は残念そうにしていた。
「また来よう」と話したのに、それは叶わなかった。

10月の両親の誕生日に、温泉へ行こうと話していたこと。
特養に入所したら、桜を見に行こうとしていたこと。

どれも叶わなかった。

——ごめんね。

今はただ、苦しい時間が長く続かないことを願うばかりだった。

父はマスクを外したり、体の向きを変えたりして、落ち着かない様子だった。
手を握る。さする。声をかける。

家族にできることは、それくらいしかない。
その時が近づいているのを見守ることが、こんなにもつらいとは思わなかった。

父の妹たちも来てくれた。
一度面会に来てくれ、もう一度足を運んでくれたという。

父の両親の白黒写真を見せながら、昔話を語りかける。
兄妹の時間が、そこにあった。
父もきっと、嬉しかったと思う。

「明日も来るからね」

そう言って帰っていった。

看護師さんが「泊まれますよ」と声をかけてくれた。
母は迷っていたが、精神的に弱っている様子だった。

「今日は帰って、また明日来よう」

そう伝えた。

後ろ髪を引かれながら病室を出る。

——これが、私と父との最期の別れになるとは思わなかった。

弟に状況をメールする。
長年確執のある長男からの返信は、「わかりました」の一言だった。

そして、別れた夫にも連絡をした。
「危なくなったら教えてほしい」と言われていたからだ。

8月末、心原性脳塞栓で生死をさまよっていた時も、面会したいと父に会いに来ていた。

元夫は、実父の会社を借金ごと継ぎ、25年苦しんできた。
父は数少ない理解者で、相談やアドバイスをしていた。

会社の倒産をきっかけに離婚となったことを、会って報告し、謝罪するつもりだった。
けれどその前に父は倒れ、家族や自分のことを含め、多くの記憶を失ってしまった。

もっと早く行けばよかった。
元夫は何度もそう言い、後悔していた。

だから、もしもの時は連絡がほしいと言っていた。
連絡すると、元夫はすぐに会いに来てくれた。

それを聞いて、ひとつ区切りがついたような気がした。

——あと、やり残したことはあるだろうか。

そう自分に問いながら、帰路についた。

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