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父へーありがとう

父の看取りを覚悟した。
今日かもしれない、長くても三日だろう。

看護師としての私が自分にいい聞かせていた。
病院からの帰り道、七ヶ月にわたる父の闘病を振り返っていた。

家に着いた私は、それまで張り詰めていた気持ちがほどけ、うとうとしていた。

その日の22時前だっただろうか。
病院から電話があった。

「少し血圧が下がっています。まだ意識はありますが、呼吸が少し苦しい様子です。泊まられますか?」

——あのまま付き添った方がよかったのではないか。
そんな思いがよぎる。

「母に連絡してみます」と伝えた。
母は一人で大丈夫だろうか。そう思いながら電話をかける。

「付き添おうかな」

そう言って、母は弟と病院へ向かった。

それから一時間ほど経った頃、再び病院から電話があった。

「今、呼吸が止まりました……」

「そうですか。わかりました。今から向かいます」

自分でも驚くほど、冷静だった。

母は間に合っただろうか。
父は寂しくなかっただろうか。

子どもたちを連れて、病院へ向かう。

病室に入ると、モニターはフラットのまま、アラームが鳴り続いていた。

夕方、あれほど身の置きどころがない様子で動いていた父は、もう動かなかった。
けれど、苦しそうだった表情はなく、穏やかな顔をしていた。
まだ、温もりが残っていた。

「お父さん、よく頑張ったね。ありがとう。楽になったね」
まだ温もりがある体に触れながら。
静かに悲しみは込み上げてくる。
それでも、父が苦しさから解放されたという思いの方が強く、静かな涙が溢れた。

母も泣いていたが、きっと同じ気持ちだったのだと思う。

母が病院に到着したとき、父にはまだ意識があり、うなづいたり、体を動かしていたという。
声をかけ続けていたその十分後、急にウッと声を出したと思ったら、脈が落ち、反応がなくなった。
看護師を呼び、そのまま最期を迎えたそうだ。

母は間に合った。
最期を見送ることができた。

——きっと待っていたんですね、と看護師さんに言われたとのこと。

「よかったね。最期は、寂しくなかったね」

主治医が来て、4月7日 23時56分、死亡確認。
87歳だった。

「よく頑張られましたね。診断書は老衰で書きます」

そうか。老衰なんだ。
心不全は落ち着いたが、体力がもたなかった。
それでも、最期は静かに、老衰として幕を閉じた。

父の体を、母、子供達と一緒に拭いた。
この時間だったからこそ、家族が集まり、まだ温もりの残る中でお別れができた。

子どもたちにとっては、初めて身近な人の死。
それぞれに、さまざまな思いがあったのだと思う。

お父さん、ありがとう。

私にとってもこの闘病生活は、看護師として、そしてこれからの生き方を考えるうえでの、大きな学びとなった。

長かったようで、短かった七ヶ月だった。
桜の散る季節。
花びらが、静かに舞っていた。

今まで、見守っていただきありがとうございました。父は旅立ちました。
スキや温かいコメントに感謝いたします。

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