見出し画像

父の再入院から二週間 ——願うことは、ひとつだけ

父が再入院してから、二週間が経った。
父の容態は、低空飛行が続いている。

慢性心不全の急性増悪と、何らかの感染症。
特養から救急搬送され、そのまま入院となった。

週末は気がかりで、何度も面会に通った。
酸素マスクをつけ、喘ぐような呼吸。
熱い体、朦朧とした意識。
日に日に、衰弱していくのがわかる。

酸素も、はじめは4Lだったが、3日目には10Lに上がっていた。

なかなか厳しい状況の中、
入院して5日目、主治医から病状説明の連絡があった。

心不全の治療を続けているが、肺のうっ血はなかなか改善しない。
さらに強い利尿をかけている状態。

炎症の原因も、肺炎の可能性はあるものの、
肺うっ血の影響で特定が難しい。
抗生剤を使用しているが、CRPは13から12へと、わずかな改善にとどまっている。

他の原因も調べているが、
改善には時間がかかる、もしくは悪化する可能性もあるとのことだった。

——予測していた言葉だった。

施設から「延命処置はしない」と伝わっているため、その確認もあった。

「延命処置はしないでいいです」と答える。

何度、この返事をしてきただろう。
何度伝えても、そのたびに胸がざわつく。

点滴や酸素を外してしまうため、
手の抑制や拘束衣も使われている。

血圧が下がった場合、昇圧剤を使うかと聞かれ、
それも使用しなくていいと答えた。

酸素がさらに必要になった場合、
NPPV(非侵襲的陽圧換気)まではどうするかと説明を受けた。

「本人が楽になる可能性がある」と言われ、
それで楽になるなら、とお願いした。

ここ数日、父の様子を見てきて思う。

昨年8月、心原性脳塞栓で倒れた父。
あのときは命の危機に直面し、
「もう助からないかもしれない」と覚悟した。

でも今の気持ちは、あの時とは少し違う。

命を繋いでもらった父は、
高次脳機能障害が残り、
自分のことも、家族のことも理解できなくなった。

父は、何を目標にして
あのつらいリハビリを頑張っていたのだろう。

家に帰りたいという認識も、
家族と暮らしたいという希望も、
自分のために、という気持ちも——
私たちにはわからなかった。

それでも2ヶ月半、懸命にリハビリを続け、
できることが少しずつ増えていった。

やっと穏やかな生活が始まるはずだった。

それが、わずか三週間で
また振り出しに戻ってしまった。

そう思うと、
「これ以上頑張って」とは、とても言えない。

自分だったらどうだろう。
これ以上、どう頑張ればいいのか。
頑張って、その先に何があるのか。

「もういいよ…」
そう思ってしまう気がする。

苦しそうな父に、
「頑張って」とは言えない。

声をかけると、
言葉にはならないけれど、
何かを伝えようとしている。

私には——
「もういい」と言っているように感じてしまう。

だから私は、
「お父さん、頑張ってるね」
「早く楽になるといいね」
としか言えない。

“楽になる”という言葉には、
自分の中でいくつもの意味が重なっている。

はじめて倒れた時とは違う、この感情。
特養に入所し、少し安堵したあの時の気持ち。

桜を見に散歩しよう。
一緒にうなぎを食べに行こう。
そんなことを思っていた。

でも今、それは叶わなくなっている。

満開の桜が嬉しい季節。
今年は、その美しさの中に、
嬉しさとつらさが入り混じっている。

父が、穏やかでいられることを——
ただ、それだけを願っている。

今日は、5日ぶりに父に会いにいく。
静かに手を握り、
「大丈夫だよ」と声をかけようと思う。

いつも、読んでいただきありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

うり いつも読んでくださりありがとうございます。励みになります😌 よろしければ、応援よろしくお願いします。