父の再入院から三週間ー確信した日ー
父の面会後は、毎日父の様子が気がかりだった。
入院して三週間。
心不全や感染は落ち着いているようにみえるが、衰弱が激しく、意欲が見られない。
これでは食べることもできない。
回復は難しいことは、看護師の私はよくわかっていた。
医師から病状説明はないが、
理解している自分がいた。
5日ぶりに、母と面会に行く。
前回よりも、さらに気持ちがざわつく。
今日行ったら、少し元気になっていますように…。
そんなわずかな望みをもって、病室へ向かった。
酸素が外れていた父。
酸素飽和度は正常値だった。
ああ、心不全は改善しているんだ。
マスクが外れた父は、
声をかけると目を大きく開け、うなづいた。
時々、何か話そうとするかすれた声。
そして、首を横に振る。
でも、頬はかなりこけ、顔色もよくなかった。
拘束衣の上から触れた身体は、
肋骨がはっきりとわかり、
お腹はへこみ、手足は痩せ細っていた。
この時、私ははっきりと
父が長くないことを確信した。
点滴は、なかなか刺せなくなっているのだろう。
抑制を外そうとしたり、左手でベッド柵をつかみ、起き上がろうとする。
何か声をかけても、首を横に振る。
もういいよ。
自由になりたい。
そう言っているように感じた。
思い返せば、父はよく言っていた。
「ピンピンコロリがいい。延命処置はしない」と。
心原性脳塞栓になった7ヶ月前。
助からない状態だった父に、延命処置はしないと伝え、覚悟した。
それでも父は、命をつないだ。
少しでも動けるようにと、リハビリ病院へ転院した。
父は高次脳障害となり、
自分で判断することも、家族の記憶も失っていた。
それでも、わからないながらも言葉を発し、
たくさん話そうとしていた。
これが続けばいいと願った。
父とやりたいことが、まだたくさんあった。
でも、今思う。
父はもう元気にはなれない。
十分すぎるほど、頑張っている。
この辛さから、解放してあげたい。
その気持ちが、強くなっていた。
看護師さんに父の様子を聞くが、
「担当ではないので」と言われる。
今の時代、看護師の判断で病状を伝えることはできない。
トラブルになるからだ。
それは、よくわかっている。
一週間前の記録が部屋に貼ってあり、
ゼリーを少し食べたという記載以降は、何もなかった。
その日は土曜日で、主治医はいない。
話を聞けないことも、わかっていた。
看護師だからこそわかってしまう病院事情が、
自分の判断を邪魔する。
そこが、もどかしかった。
母も、父の変化を理解していた。
「お父さん、つらいね。点滴も痛いね。大丈夫だよ」
そう声をかけていた。
訪室した看護師さんが、血糖測定に来た。
父は、指を触られた瞬間、
こんなに大きな声が出るのかと思うほど
「嫌だー、痛いー」と叫んだ。
言葉が出ない父が、はっきりと。
私たちは、ただつらかった。
血糖なんて、もういい…。
そう思った。
でも、それを言っても、医師の指示である以上仕方がない。
それからの父は、つらい表情しか見せなかった。
次に来るのは、3日後の平日。
その時に主治医に伝えようと思った。
看取りの方向でいいことを。
帰り道、母にもう回復はないことを話した。
母も理解していた。
父が「痛い」と大きな声を出していたことが、
つらかったようだった。
なるべく穏やかに。
それからは、いつ病院から電話がかかってくるのか、
そればかりが気になる毎日だった。
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