父へ、またね。
父が亡くなった。
悲しい――けれど、母も私も、父が辛さから解放されたという想いもあり、どこかほっとしていた。
悲しんでばかりはいられない。
通夜や葬儀の準備に追われる日々が始まった。
私が一番心配だったのは、長男である弟が喪主を務めてくれるかということだった。
両親と確執のある弟は、両親とここ数年会っていなかった。
父が心原性脳塞栓で生死をさまよったときに連絡し、一度だけ病院に来た事はある。
父は理解できない状況だった。
父が亡くなった日、弟に連絡し、喪主をお願いした。
「わかった」と返事をもらい、安堵した。
本当は母からもお願いするべきだと思い、そう伝えたが、結局それはなかったと後で弟から聞いた。
母なりのわだかまりがあったのだろう。
親子の難しさを、改めて感じた。
それでも、よかったと思う。
父は病気によって家族のことも、自分のこともわからなくなっていたけれど、きっと安心してくれたはずだ。
母は、さまざまなことを決める中で混乱していた。
「よくわからない」と戸惑い、なかなか話が進まない。
母は七十六歳。
まだしっかりしているけれど、突然の出来事への対応は難しく、私たちの支えが必要だった。
一つひとつ確認しながら、葬儀の準備を進めていった。
通夜、告別式は家族葬。
こうして親戚が顔を合わせるのは、今では数年に一度、不幸のときくらいになってしまった。
皆が年を重ね、県外から来ることも難しくなっている現実を感じた。
父と母は若い頃、熱心な創価学会の会員だった。
隣県にお墓も用意していた。
今は活動から離れていたが、父は生前から創価学会の友人葬を望んでいた。
なぜそこにこだわるのかはわからなかったが、
かつての大切なものを、最期に形にして旅立ちたかったのかもしれない。
父の願いを叶えることができて、よかった。
通夜と葬儀には、離婚した元夫も参列してくれた。
父が倒れた頃は、病院に来ることすら拒みたいほど、私の心は不安定だった。
それでも離婚から一年弱。
少しずつ気持ちは落ち着き、今では冷静に話をしたり、相談できる関係になっていた。
慌ただしい中で、子どもたちの礼服の準備などもしてくれた。
親戚には離婚のことを伝えていなかったため、家族として自然に振る舞ってくれた。
その姿が、素直にありがたかった。
まるでまた家族に戻ったかのように、父の思い出を語り合い、父へ手紙を書き、穏やかな時間を過ごした。
こんな日が続いていたら――ふと、そんなことを思った。
父の死は悲しい。
それでも、弟家族や元夫、みんなが父のもとに集まり、穏やかな時間を過ごせたことは、本当によかったと心から思う。
父もきっと、喜んでくれているだろう。
告別式の朝は、雨だった。
悲しみをなぞるように、静かに降り続いていた。
棺の中には、可愛がっていた犬の写真や家族の写真、好きだったお酒、みんなからの手紙が納められた。
叔母は、自分が大切にしていた両親の写真を入れていた。向こうで会えるようにと。
さらに、葬儀場のスタッフの方が、父の好きだった刺身や柿の種を「おつまみに」と入れてくださった。
その心遣いが、胸にしみた。
斎場へ向かう頃には、雨は激しさを増していた。
最後の別れ。
こみ上げるものをこらえながら、父の姿をしっかりと目に焼き付ける。
棺が閉じられた瞬間、胸が締めつけられた。
――お父さん、またね。
そう心の中でつぶやいたとき、静かに痛みが広がった。
桜の散る季節。
その季節が来るたびに、父を思い出すだろう。
悲しみではなく、あたたかな記憶として。
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