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NHKで話題のサイケデリックとは?医療とセレモニーの違いを実体験から解説




「サイケデリックス」と聞いて、あなたはどんな印象を持つでしょうか。

近年は、欧米の一部で、サイケデリックス(精神展開剤)を使った精神医療についての研究再開が始まり、 「サイケデリック医療」がうつやトラウマへの新たなアプローチとして、注目され始めています。

昨年のNHK の特集番組は、このような最近の潮流を取り上げたものでした。
普通の一般社会に認められる形で、サイケデリックスが受け入れられ出したということです。

けれど、その一方で、ペルーでアヤワスカセレモニーに関わる者として、私は強く感じます。
そのような側面は、このサイケデリックスが指し示す真実のほんのわずかな側面でしかないと。

サイケデリックスの医療面としての価値は確かに非常に大きなものです。
それも、従来の投薬よりも大きな力を持っているものです。
しかし、サイケデリックス自体にはそれだけでは捉えきれないもう一つの広大な領域も存在しています。

私はこれまで長年に渡り、ペルーやメキシコなど各地で、現地のシャーマンたちからプラントメディスン(サイケデリックス)について直接多くを学んできました。また伝統的セレモニーではない形、セラピーとしてのサイケデリックも受けています。

その中で見えてきたのは、プラントメディスン(サイケデリックス)は、決して成分や作用だけに還元することのできない「体験としての現実」があるという点です。
それは「精神としての現実」です。

この記事では、NHK が描いた医療モデルを一つの入口としながらも、実際の現場で見てきたもう一つの側面、そしてそこから見えてきた本質についてお伝えしていきます。

実際に私はNHKの番組に出演していたシャーマンの家系の元でプラントメディスンのセレモニーを受けているので、そういったことについても触れていきたいと思います。


◆サイケデリック医療について


番組では、シロシビンなどのサイケデリックスが、うつの治療などに利用されている事例やさまざまな科学的分析や研究がとり上げられていました。

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025150567SA000/


諸外国や日本でもその取り組みが始まりつつあることが丁寧に紹介されていました。例えば、以下のような内容です 。

・サイケデリックスの歴史 ―デビッド・ナット博士
ナット博士によって、サイケデリックスの研究開発からその歴史的発展や法的禁止の経緯までが語られています。
とりわけ、サイケデリックス研究の再開に、ナット博士自身が調査した「有害性のスコア」についての調査結果が大きな転換点となったことが解説されています。

私たちの一般的なイメージとは違って、サイケデリックスの有害性のととても低いことが医学的な調査によって明らかになったからです。
「LSD」や「シロシビン(マジックマッシュルーム)」は、「アルコール」や「タバコ」に較べて、その有害性は数分の一でしかないのです。

・ロビン・ハリス博士 (サンフランシスコ)
サイケデリックスには、 「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」をリセットする作用があるという研究です 。
DMN は、前頭前野と後部帯状回を結ぶ神経網で、私たちの自意識、物語、想像力に関わる部位です 。
うつ病では、ここが内向きに固定化する傾向が見られる。
シロシビンはこの DMN を一時的に崩壊させる。そのことによって、脳の硬直化を打破し、可塑性(変化できる能力)をつくることができる。

・ギュル・ドレン博士 (カルフォルニア)
社会性を高める MDMA の研究。
サイケデリックスによって、 「脳の臨界期」の再開=神経の再配線が起こる可能性がある。
→タコに投与。タコの社会性の抑制が解除される。
→社会的報酬学習(共感力・協調性)の臨界期が再開された(ネズミによる検証)。
→サイケデリックスは、神経細胞をつつむ「ECM(細胞外マトリクス)を分解する作用がある。
などなど。

このような事例が、数々番組では取り上げられていました。
これらは、とても興味深い研究結果であるとともに、サイケデリックスの効果と安全性を伝えるものとして役に立つものと思いました。

しかし一方、もし、サイケデリックスの効果が、このような効果だけだとしたら、サイケデリックスの世界とはずいぶんツマラナイものと言えるのではないかとも感じたのです 。

そして、 「サイケデリック」という言葉が、このような「医療モデル」を超える要素がサイケデリックス体験の中にあることを表現するために、ハンフリー・オズモンド博士によって造語されたという点が忘れ去られているということなのです。
そのあたりの事情をある作家は次のように描写します 。

「LSD 体験を説明した科学論文の用語は、オズモンドにはぴんとこなかった。幻覚とか精神障害という用語は、悪い精神状態しか意味していない。ほんとうに客観性を重んじる科学であれば、たとえ異常な、あるいは正気でないような精神状態を生みだす化学薬品に対しても、価値判断はくださないのが筋なのに、精神分析の用語は病理的意味あいを反映していた。

オルダス・ハクスリーも、病理学的用語は、不適切だと感じていた。このドラッグの総体的な効能を完全に包含するには、新しい名称をつくるしかない、オズモンドもハクスリーもこの点では意見が同じだった。
オズモンドはハクスリーがはじめてメスカリン体験をしたときの縁で、親友づきあいをしており、頻繁に手紙をやりとりしていた。
最初ハクスリーは「ファネロシーム」ではどうかと提案した。
語源は「精神」とか「魂」という意味である。
オズモンドあての手紙には、つぎのような対句が書かれていた。

「このつまらない世界に荘厳さが欲しければ、
ファネロシーム半グラムをのみたまえ。」

これに対してオズモンドは、こう返歌を書いた。

「地獄のどん底、天使の高みを極めたければ、
サイケデリックをひとつまみだけやりたまえ」

こうして「サイケデリック」ということばが、つくられたのである。
オズモンドは、1957年、このことばを精神分析学会に紹介した。
ニューヨーク科学学会の会合で研究報告したとき、彼は LSD などの幻覚剤は単なる精神障害誘発剤を「はるかにこえる」機能を持っており、したがってこれにふさわしい名称には、

「精神をゆたかにし、ヴィジョンを拡大する側面をふくめる」

必要があると主張した。
そして、「精神障害誘発剤」のかわりに、
あたりさわりのない用語を披露したが、これは意味がはっきりしなかった。

文字どおりにはサイケデリックは「精神を開示する」という意味で、いわんとするところは、この種のドラッグは予測のつくできごとを開示するのではなく、意識下にかくされていたものを表面にひきだす機能を持つということである」
マーティン・A・リー他 越智道雄訳『アシッド・ドリームズ』(第三書館)

そのため、番組でのサイケデリックスの扱い方は、現代社会になじむように医療モデルでの話に終始していましたが、本当のところは、 「サイケデリック」以前の、ようやくスタート地点(スタート未満)に立ったということでしかないのです。

◆可能性としてのサイケデリックス(プラントメディスン)


ところで、 「自己実現」という言葉で有名な心理学者マズローは、自分の心理学を「第三の勢力」と呼びました。
そして、晩年には、「第四の勢力」と呼びました。
心理学の第一の勢力とは精神分析、第二の勢力とは行動主義のことです。
マズローが、これらの勢力を乗り越えるものとして、自分の「人間性心理学」を「第三の勢力」と呼んだのには深い理由があります。
想定している「人間像」がまったく違うからです。
精神分析や行動主義(認知行動療法)は、 「マイナスのものをゼロ(普通)にする」という方法論です。
そもそものところ、彼らは、「病気の人間」についてしか理論を持っていません。
しかし、健康な人、「しかるべき潜在能力を充分に発揮した健康な人間像」というものについての考えをまったく持っていないのです 。
「精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)」のような病気の人間については膨大な人間像、診断や理論があります。

「こういう病気(症状)があるから治しましょう」とは言いますが、病気がまったくない健康な人が、ものすごく超健康な場合、どのような姿(人間像)をしているのかについては、
実は、まったくアイディアを持っていないのです。
現代でも「医療モデル」とはこのようなものです。
下の動画で、医師である大脇幸志郎さんが、この問題の本質的なことを語っているのでご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=DDdXkwa_SgY


マズローは、このような病気の人間をモデルに、人間の普遍的な問題を考えることに違和感を持ちました。
そして、精神分析や行動主義の人間像とは、 「欠乏動機」のみに焦点化した歪んだ人間像だと指摘したのです。
足りない「マイナスのものをゼロ(普通)にする」人だけが動機の「人間像」が根底にあるからです。
しかし、人間の全体性はそんなちっぽけなものではない、とマズローは否定したのです。
人間は、存在の底から潜在能力を十全に実現したいという欲求があるとして、それを「存在動機」と呼んだのでした。
そして、「自己実現」を指向する「人間像」を、旧世代へのアンチテーゼとして打ち出しました。
以上、マズローを例に、心理学における「人間像」について見てみました。


実は、サイケデリックス医療についても同様のことが言えると思います 。
サイケデリックス医療そのものは、素晴らしいものですが、その「ポテンシャル(可能性)」に較べて充分に素晴らしいものかと言えば、そうとも言えません。
従来の「投薬モデル」の中で、使う薬が変わっただけという見方もできるからです。
「マイナスのものをゼロ(普通)にする」だけのものではない、ハクスリーやオズモンドが予感したサイケデリックスの未来の形は、まだそこにはありません。


◆現地で出会ったシャーマンたちの姿


さて、多くのサイケデリックスは、伝統的なシャーマニズムの世界で使われていたプラントメディスン(植物)などから抽出されたものです。
当然、伝統的な社会では、それらは成分として考えられていたのではなく、生きた植物のスピリットとして考えられていました。

そのような「世界観」があり、その「世界観」は、プラントメディスンの理解を深めるためにも重要なことなのです。
また、私たち日本人は、「シャーマン」と聞くと、なにかとても「神秘的な人」を思い起こしがちです。
そして、シャーマンを「特別な力を持つ人」「何かを与えてくれる人」と捉えがちです。
悩みを解決してくれる存在、導いてくれる存在、あるいは奇跡を起こす人としてイメージしたりします。
また、どこか「聖者」のようなイメージを持つ人もいます。
しかし、現地で出会った彼らは、非常に多様かつさまざまであり、一概にこういうものだとは言えません。
部族やファミリーによって、さまざまな異なった伝統、やり方や考え方があり、現代人が頭で考えて簡単に「こういうもの」と整理できるような単純なものでもありません。
そして、彼らは、特別な技や能力を持ってはいますが、普段はごく普通の人です 。

場を整え、余計な介入をせず、起こるべきことが起こるのを見守る。

必要な事態に合わせ、必要なことをし、
その姿勢は、一見すると何もしていないようにも見えることもあります。

けれど実際には、その選択こそが、非常に高度な在り方と関わり方であり、深い理解と経験の上に成り立っているものです。
たしかに、スピリチュアルなものに関わる存在ですが、形式的な宗教性ではなく、もっと等身大の生き生きとしたスピリチュアリティなのです。
また、先進国の人々から注目され、諸外国から人々がやって来るせいで、当然、さまざまな商業主義がはびこり、そのまわりで金儲けに奔走する人々もいます 。

・観光客向けに作られたセレモニー
・表面的な形式だけを真似た儀式
・言葉や雰囲気でそれらしく見せているケース

知らない人が一見すると、それらも本物らしく見えてしまうため、外からの情報だけで判断するのは非常に難しい領域です。
特にネットや SNS で流れてくる情報は断片的であり、文脈や背景が切り取られていることがほとんどです。

実際にメキシコでとある外国人に彼は素晴らしいシャーマンだと紹介されてセレモニーに参加してみたら実際にはシャーマンではなかったということもありました。

ただ、それは紹介してくれた人が、シャーマンそのものの役割を理解していないから起きたことだというように私は受けとめています。

単にプラントメディスンをシェアし、歌を歌うのがセレモニーではないからです。
そのため、本当のセレモニーとは何か
本当のシャーマンとは何かを知らなければ、そういったズレが起きてしまうものでもあると思っています。

だからこそ重要なのは、長期にわたり現場に入りこんで、現場で体験すること。
誰が、どのような文脈でそれを行っているのか。
どのような意図と責任を持って、その場を扱っているのか。
そこに触れて初めて、表面的な情報では見えなかった違いが、感覚としてはっきりと分かるようになります。
私が現地に長くとどまり、現地の人々の心を見分けているのはそのためです。
実は裏側では、外国人が知ればがっかりしてしまうようなことなどもいろいろあり、日常茶飯事なのが、この手の世界なのです 。

◆Huautla de Jiménez という場所


NHK の番組では、「シロシビン」の発見の由来となった、メキシコのシャーマン、マリア・サビーナについて触れられていました。
シロシビンは、サビーナがセレモニーに使っていたマジックマッシュルームに含まれている成分です 。
西洋人としてはじめて、マジックマッシュルームのセレモニーに参加したゴードン・ワッソンが、キノコを持ち帰り、LSD の発見者ホフマン博士に分析を依頼し、シロシビンが見つかりました。
番組では、マリア・サビーナの曾孫が登場して、セレモニーやさまざまな事柄を語るシーンがあります 。
実は、この番組の一年前に、私は、このメキシコの Huautla de Jiménez という土地を訪れていて、実際に、マリア・サビーナの曾孫(彼の弟)にセレモニーを受ける体験をしていました。



高い高地帯にある現地に足を踏み入れてまず感じたのは、「特別な場所に来た」という高揚感ではなく、むしろ逆でした。
そこは、霧深い山村でした。
そして、そこにあったのは、あまりにも自然で、日常と地続きの空気感。
観光的な演出はあることはありましたが、セレモニーは、人々の生活の延長線上に、当たり前のようにひっそりと存在していました。
(この地だけに限らず)メキシコでのセレモニーは文化の中に存在する普段の営みとしてそこにありました。
それは、特別に用意されたものではなく、土地に根付き、歴史と共に受け継がれてきたものでした。
印象的だったのは、シャーマンの在り方。
心を澄ませ、場を整え、流れを見守り、必要なことが自然に起こるのを信頼している。
その姿勢に触れたとき、シャーマニズムとは小手先の技術ではなく、存在の在り方そのものなのだと。この現実を目の当たりにしたことで、私はこの領域を「知識」ではなく「体感」としてより理解することができたのだと思います。

サイケデリック・セレモニーの未来を考えるとき、このようなシャーマニズムの姿勢は、私たちにとてもヒントを与えてくれるものと思われたのです 。

◆現代的シャーマニズム(現代シャーマン)とは


プラントメディスン(サイケデリックス)を使う伝統的なシャーマニズムは、特定の土地や文化、そして共同体の中で機能してきたものです。
そこには長い歴史と文脈があり、その土地の価値観や信仰、生活様式と深く結びついています。
つまり、シャーマニズムは普遍的なものではありながらも、その現れ方は文化ごとに大きく異なるのです。
シャーマンという存在も、その文化での文脈によってさまざま在り方をしています 。
例えば、日本では昔、「狐に憑かれた」という人は普通に大勢いました。
「或る体験」を解釈する文化的な語りや文脈がそうなっていたので、人々は普通にそう感じ、考えていたのです。
現代日本で、そのようなことを言ったら「精神病の人」ということになるでしょう。
このように時代時代、場所場所により、どのような「語りや文脈」の中にいるかを、相対化して物事を見ることはとても大切なことなのです。
サイケデリックスの可能性を深く探求するためには、プラントメディスンを扱うシャーマニズムの智慧がとても参考になります。
しかし、現地のシャーマンは、現代医学の知識も乏しく、前近代的な考え方をしている人もいるので、そのような「語りや文脈」をきちんと見抜き、得るものと捨てるものとを選り分けていかないといけないのです。

シャーマンの言っていることややっていることを妄信的に真に受けるのは危険なことなのです 。

そのため、私は、シャーマニズムの世界観や技法を利用しつつ、かつ、閉ざされた近代的世界観にもはまらないように、バランスよく実践を積むことが、現代では必要だと考えています。

そして、現代的シャーマニズム、現代シャーマンの方法論を探求しています。
シャーマニズムとは、「この世界」と「異界」とを行き来する方法論のことです。

この構造を、より現代的に理解するために、
「この世界=自我(日常意識)」 、 「異界=潜在意識の深層領域」
として捉えるのが良いです 。

一般的に「異界」と聞くと、どこか遠くの特別な世界や、神秘的な空間をイメージするかもしれません。

しかし実際には、それは外側に存在するものではなく、私たち一人ひとりの内側にある領普段の意識ではアクセスできない、無意識や深層心理、記憶や感情が蓄積されている場。
それは、私たちの自我にとっては、もう異界です 。
そこに触れることで、私たちは大きな気づきや創造力の発揮、変容を経験することになります。

シャーマンとは、人々がその領域に安全にアクセスし、必要なプロセスを経て、再び日常へと戻ってくるためのナビゲーターのような存在です。

そして、その往復が安全に行われるように、場と流れを整えることです。
現代シャーマンとは、この本質を理解したうえで、現代社会に適応させた形で提供していく存在だと考えています。

昔の伝統社会とは違い、情報過多で抽象思考が過剰になりすぎている現代においては、ただ伝統的技法を再現するだけでは、充分なサポートが行なえません。

現代人に合った体験的心理療法やボディワークといった手法を組み合わせて、現代人の心理構造に合わせたアプローチをしていく必要があります。
私は、シャーマニズムを、特殊なものとして考えるのではなく、「誰もが持っている本来の感覚に戻るための普遍的技術」として捉えています。

本当の現代シャーマンとは、ただ非日常の体験を提供するだけの人ではありません。

異界での体験を促進し、なおかつ、日常意識への統合を助ける人です 。
日常の中で失われてしまった感覚を取り戻し、本来の自分へと戻っていくための回路を整える存在なのです。

また、アートセラピー(芸術療法)の第一人者ショーン・マクニフは、自分の方法論の起源を、シャーマニズムに求めています。
伝統社会におけるシャーマンは、人々や社会の深い領域のエネルギーを解放し、癒すことを行う人びとだからです。
そして、自分の方法論を、現代社会に適合させたシャーマニズムだとしているのです。


◆セレモニー後の統合の重要性


現代シャーマニズムを考える上で、最も重要にしているポイントがこれらの実践技法です。
異界的なサイケデリック体験、それは素晴らしいものです 。
しかし、セレモニーだけでは、人生が本当に変わることにはならないのです 。

「セレモニー中に私たちの意識に浮上する可能性のある深い心理的・霊的なダイナミクスを、完全に統合するためには、その前後にわたるガイダンスが必要です」

「たとえ素晴らしい体験をした参加者であっても、適切な指導や解釈の助けがなければ、その恩恵を十分に得られないかもしれません。」

これはペルーにあるTemple of the way of light のアヤワスカリトリートセンターに参加している医師であるガボールマテ博士の言葉です。

多くの方が、セレモニーを通して強烈な体験をします。
深い気づきや感情の解放、これまでに感じたことのない愛や安心感。
その瞬間、「すべてが変わった」と感じることも少なくありません。
しかし現実は、その体験だけで完結するということはないのです 。
なぜなら、その体験はあまりにも過剰で、自我がそれを支えるには、理解を上回りすぎており、体験の情報量が多すぎるからです。
容易には消化しきれないのです。


そして、適切に整理消化されないまま時間が経つと、

ただの印象的な記憶として残る
体験の意味を自分なりに固定化して誤解してしまう
現実とのギャップに戸惑い、不安や恐れに変わる

といったことが実際に起こります。

体験は夢のように深く鮮烈なものとして感じられる一方で、日常へ戻るにつれ、その感覚や気づきが徐々に薄れていく側面もあります。
それは、私自身の数多くの経験、そしてこれまで多くの方々の経過を見てきた中で、実感として感じていることでもあります。
だからこそ必要になるのが、体験の「統合」というプロセスなのです。
統合とは、他者が体験を解釈することではありません。
瞑想や呼吸法は統合のサポートをしてくれることはあっても統合とはなりません。

統合とは身体的、心理的に表面化している過剰な情報を
自分の言葉にし、感覚として落とし込み、身体化して、現実の選択や行動に繋げていく錬成的なプロセスです。

私はこの統合をサポートするために、
サイコセラピー(心理的な整理と言語化)
アートセラピー(感覚や無意識の造形表現)
サイケデリック専門の統合の手法

といった現代的な手法を組み合わせています。
言葉にならない体験を、無理に言語化して理屈で理解するのではなく、表現し、反芻し、感じ直し、少しずつ日常存在へと身体化していく。
これはまさに
「異界体験を物理現実に変えるプロセス」
です。
そしてもう一つ、私が大切にしているのが「依存させない」という姿勢です。
人びとにとって重要なのは、外側の体験や誰かの導きに頼り続けるのではなく、最終的には自分自身の内側に戻っていくこと。
自分の足で立つこと。
統合のプロセスを通して、自分の感覚で選び、行動できる状態をつくること。
それが本当の意味での成熟した変容だと考えています。
セレモニーはきっかけにすぎません。
その後の統合があって初めて、その体験は人生を変える力として機能し始めるのです。


◆魂の浄化とは―何が起きているのか


医療は、症状を扱います。
不安やうつ、トラウマといった「困りごと」に対して、改善していくアプローチです。
それは非常に重要であり、多くの人にとって必要不可欠な領域でもあります。
しかし、セレモニーが扱っているものは、それとは少し異なります。
「存在そのもの」
つまり、「どう生きるか」や「自分とは何か」といった、より根源的な領域です。マズローのいう「存在動機」に関わる部分です 。
実際のセレモニーでは、症状が軽くなるというレベルを超えて、自分の存在そのものに触れるような体験ができます。
多くの人が口にするのは、

圧倒的な愛に包まれる感覚
理由のない深い感謝
ありのままの自分を受け入れられる感覚

です。
それは誰かから与えられるものではなく、外側から治されるものでもありません。
むしろ、自分の内側にすでにあった本来のものに気づく、という感覚に近いものです。
だからこそ、これは治療とは少し違います。

実存的な「魂の浄化に近い体験」
余計な思い込みや、抑え込んでいた感情、「こうあるべき」といった固定された自己イメージが一度ほどけていき、本来の自分に戻っていくプロセス。
それが、セレモニーの本質だと感じています。

私はこの感覚を、日本の文化でいう茶道のような「道」に近いものだと捉えています。
茶道は、単にお茶を飲む行為ではありません。
一つひとつの所作を通して、空間を整え、自分を整え、静かに内側と向き合う時間です。
千利休は、禅の精神の体現として、このような所作を考えたのでした。
セレモニーも同じです。
特別な何かを得るための場ではなく、余計なものを手放し、自分の本質に還っていくための時間。
だからこそ、この体験は「効果」や「結果」だけでは語ることができません。
人生の見え方そのものが変わる。
世界の捉え方が静かに変わっていく。
そんな深い変化が、ここにはあるのです 。

◆日本のサイケデリックスはまだ始まったばかり


NHK の番組でも取り上げられたように、この分野は今、大きな転換点にあります。
これまでサイケデリックスは、ドラッグとして見なされていて、 「危険なもの」「特殊なもの」として扱われてきましたが、世界各国で医療研究が進み、その価値が科学的にも見直され始めています。
一方、研究的な整理が進むと、同時に見えてくるのが、医療だけでは扱いきれない領域の存在です。
海外では、以前よりこのような領域を「エンセオジェン(内なる神性に触れるもの)」という概念で捉える動きがありました。
これは単なる薬理作用としてではなく、人の意識や在り方そのものに働きかけるものを、
聖なる次元として理解しようとする視点です。
つまり、この領域には大きく二つの役割があります。

医療=症状の改善、機能の回復
精神文化=存在の理解、自己や超越性との関係再構築

医療は「困りごと」を扱い、精神文化は「生き方」を扱う。
どちらも欠かせないものですが、どちらか一方だけでは、本来の価値は十分に発揮されません。

逆に精神文化だけに寄せれば、深い体験は得られますが、扱い方を誤るとリスクも高まります。

医療だけに寄せれば、安全性や再現性は担保されますが、体験の深さや意味は限定的になる。

だからこそ、未来はどちらかを選ぶ時代ではありません。
医療と精神文化を分けるのではなく、統合させていく時代。
未来はそのようなものが必要な時代だと感じています。

安全性や科学的知見の担保と、人間の深い超越体験を扱う精神文化の冒険とが同時に存在している。
その両方が統合されることで、初めてこの領域は本来の可能性を発揮していくのではないでしょうか。

芸術と工学がひとつに融合した、そんな精神宇宙の新しい航海図が描かれそうな気がしてきます。
そしてそれを繋ぐ存在こそが、これからの時代における「現代シャーマン」の役割なのだと、私は考えています。



MIYUKI

約20年にわたり、癒しと変容の分野に携わる。
ペルー、コロンビア、コスタリカ、メキシコなど中南米諸国におけるシャーマニズムの学びと実践を通じ、アヤワスカを中心とした伝統的植物療法に深く関わってきた。
ペルーでは2019年より、シャーマニズムにおける伝統的ディエタの学びを開始。これまでに日本人・外国人を含む100名以上の参加者をサポートし、アヤワスカセレモニーの開催および、体系化した長期プログラムを提供している。
心理・身体・スピリチュアルの多面的視点に基づく知見を活かし、統合ワークを含めた包括的なサポートを行う。
伝統への敬意を大切にしながらも、現代的な感性と実践的アプローチを融合し、それぞれの人生の再生と目覚めを支える活動を続けている。



News
2026年 ペルー・アヤワスカセレモニープログラム
第13回開催日程:9月
第14回開催日程:11月後半
詳細は「クリエーターへのお問い合わせ」よりお問い合わせくださいませ。
観光的、一般的なリトリートツアーではありません。
内面の深い探究を目的とした沈黙の行や、デジタルデトックスを含む体系化されたプログラムです。


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