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世界を区切る技術が、人間関係を少し楽にする

「あなたの世界では、そうなんだね」

先日、公園で遊ぶ子どもたちを眺めていたときのことだった。

近くにいた兄弟が、おもちゃか遊び方をめぐって喧嘩をしていた。

どちらも譲らない。
一方は「自分が先だった」と言い、もう一方は「貸してくれると言った」と主張している。

子どもの喧嘩としては、よくある光景だった。

そのとき、近くにいたお母さんが、二人に向かってこんなことを言った。

「〇〇ちゃんの世界では、こうだったんだね」

「〇〇くんの世界では、こうだったんだね」

その言葉を聞いた瞬間、私は雷に打たれたような気持ちになった。

どちらが正しいのかを決めるのではない。

片方を叱って、片方をなだめるのでもない。

それぞれが見ていた世界を、いったん別々に置いていた。

なんて優しい言葉なのだろうと思った。

同時に、これは子育てだけではなく、仕事や人間関係にも使える、と感じた。

人は、同じ場所にいても違う世界を見ている

私たちは普段、同じ出来事を見ているのだから、同じように理解しているはずだと思っている。

しかし、実際にはそうではない。

同じ会議に参加しても、

ある人は「売上を伸ばすための会議」だと思っている。

別の人は「失敗しないための会議」だと思っている。

また別の人は「自分の責任範囲を明確にするための会議」だと思っている。

同じ会社にいても、見ている景色は違う。

育ってきた環境も違う。
成功体験も違う。
過去に怒られた経験も違う。
評価されるポイントも違う。
守りたいものも違う。

人は、客観的な現実だけを見て行動しているわけではない。

自分の経験や価値観を通してつくられた「自分の世界」の中で判断している。

当たり前の話なのだが、私たちはすぐに忘れてしまう。

そして、自分の世界を「普通」や「常識」と呼んでしまう。

苦手な人を「その人の世界」から見る

仕事をしていると、どうしても苦手な人が出てくる。

言い方がきつい人。

細かいことを何度も確認する人。

結論をなかなか出さない人。

突然、前提を変える人。

自分の成果を強く主張する人。

こうした人に出会うと、私たちはつい人物そのものを評価してしまう。

「〇〇部長はきつい」

「〇〇さんは細かすぎる」

「この人は信用できない」

もちろん、本当に距離を置いたほうがいい人もいる。

すべてを理解し、受け入れなければならないわけではない。

ただ、少しだけ見方を変えて、

「〇〇部長の世界では、どうなっているのだろう」

と考えてみる。

もしかすると、その人の世界では、

  • 部下には厳しく伝えることが誠実である

  • 曖昧な表現は責任逃れに見える

  • 問題は早く潰すべきである

  • 上司は弱みを見せてはいけない

  • 仕事は感情よりも成果で評価される

  • 自分が細かく確認しなければ事故が起きる

というルールがあるのかもしれない。

そう考えると、相手の態度をすべて肯定する必要はないが、行動の背景は少し理解できる。

「嫌な人」で終わらせるのではなく、

「この人は、こういう世界のルールで動いている」

と捉え直す。

これは相手を許すためだけの考え方ではない。

自分を守るための考え方でもある。

世界を区切ると、相手の感情を背負わなくて済む

人間関係が苦しくなる理由の一つは、相手の世界と自分の世界の境界が曖昧になることだと思う。

上司が不機嫌だと、

「自分が何か悪いことをしたのではないか」

と思ってしまう。

相手から強く否定されると、

「自分の考えは間違っているのではないか」

と思ってしまう。

誰かに嫌われると、

「自分には価値がないのではないか」

と感じてしまう。

しかし、相手の反応は、必ずしも自分の価値を表しているわけではない。

その人の置かれている状況、過去の経験、抱えている不安、守ろうとしている立場によって生まれている場合も多い。

「これは、あの人の世界で起きていることだ」

と区切る。

「私の世界では、こう考えている」

と自分の側も区切る。

この二つを分けるだけで、相手の感情を必要以上に自分の中へ持ち込まなくて済む。

すべてを自分事にしない。

しかし、無関心にもならない。

この距離感が大切なのだと思う。

「どちらが正しいか」から離れてみる

人間関係の衝突では、正しさの争いが起きやすい。

私は間違っていない。

相手の理解が足りない。

説明したはずだ。

普通はこうする。

常識的に考えれば分かる。

しかし、正しさをぶつけ合っても、解決しないことがある。

なぜなら、双方が別の世界のルールを使っているからだ。

たとえば、仕事のスピードをめぐる衝突があったとする。

一方は、

「まず出して、フィードバックをもらいながら改善したほうが早い」

と考えている。

もう一方は、

「未完成なものを出すのは、相手に失礼だ」

と考えている。

どちらも、それぞれの世界では正しい。

ある人にとってはスピードが誠実さであり、別の人にとっては完成度が誠実さなのだ。

このときに必要なのは、どちらが正しいかを決めることよりも、

「あなたの世界では、何を大事にしているのか」

を確認することである。

価値観の違いが言葉になれば、初めて落としどころを考えられる。

「初稿は70%で共有する。その代わり、顧客に見せる前には完成度を上げる」

といった共通ルールもつくれる。

対立しているように見えて、実際には前提を共有していないだけということは多い。

世界を理解することと、従うことは違う

この考え方で注意したいのは、相手の世界を理解することと、その世界に従うことは別だということである。

「この人は、厳しく言うことが正しいと思っているのだな」

と理解したとしても、傷つく言い方を受け入れる必要はない。

「この人の世界では、休日も仕事をするのが普通なのだな」

と分かったとしても、自分も休日に働かなければならないわけではない。

「この人は、不安だから細かく管理したいのだな」

と分かったとしても、過度な管理に黙って従う必要はない。

理解は、服従ではない。

むしろ、相手の世界を理解することで、自分の世界もはっきりする。

「相手はそう考えている。私はこう考えている」

「相手はこれを大事にしている。私はこれを守りたい」

と境界線を引けるようになる。

相手を否定せず、自分も失わない。

これが、世界を区切る技術なのだと思う。

子どもにも、自分の世界を持ってほしい

あの公園のお母さんの言葉が素敵だったのは、子どもの感じ方を否定していなかったからだ。

「そんなことで怒らないの」

「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」

「普通は貸してあげるでしょう」

と言うのではなく、

「あなたの世界では、そう見えたんだね」

と受け止めていた。

それは、子どもにとって大きな安心になるのではないかと思う。

自分が感じたことを、まずは感じたまま持っていていい。

嫌だったことを、嫌だったと言っていい。

大事だと思ったものを、大事にしていい。

そのうえで、相手にも相手の世界があることを知る。

自分を押し殺して相手に合わせるのでもなく、自分の正しさだけを押し通すのでもない。

自分の世界と相手の世界を、どちらもテーブルの上に置く。

子どもの頃からこの感覚を持てたら、人間関係は少し楽になるのではないだろうか。

ビジネスは、異なる世界をつなぐ仕事でもある

考えてみれば、ビジネスも異なる世界をつなぐ行為である。

経営者の世界。

現場の世界。

営業の世界。

マーケティングの世界。

開発の世界。

顧客の世界。

投資家の世界。

それぞれ見ている数字も、時間軸も、リスクも違う。

経営者は3年後を見ているが、現場は今週の納期を見ている。

営業は今月の受注を見ているが、開発は半年後の保守性を見ている。

顧客は自分の課題を見ているが、企業側は自社の機能を見ている。

組織の中で起きる問題の多くは、能力不足というよりも、世界の違いが翻訳されていないことから生まれる。

「なぜ分かってくれないのか」

ではなく、

「この人の世界では、何が見えているのか」

と考える。

相手が使っている言葉や評価基準、恐れていることを知る。

自分の考えも、相手の世界の言葉に翻訳して伝える。

プロジェクトを前に進める人や、優れたマネージャー、マーケター、プロデューサーは、この翻訳が上手なのだと思う。

一つの正解を押しつけるのではなく、異なる世界の間に橋を架けていく。

世界を分け、必要なところだけつなぐ

人は違う。

そんなことは、誰でも知っている。

しかし、実際の生活では、相手も自分と同じように考えるはずだと期待してしまう。

期待が外れると、失望したり、怒ったり、自分を責めたりする。

だから、まず世界を分ける。

「あなたの世界では、そうなんだね」

「私の世界では、こうなんだ」

そのうえで、必要な部分だけをつなぐ。

全部を分かり合う必要はない。

同じ価値観になる必要もない。

相手の世界に入り込んで、自分を失う必要もない。

別々の世界を持ったまま、どこなら一緒に歩けるのかを考える。

公園で聞いた、何気ない一言。

それは、兄弟喧嘩を収めるための言葉だったのかもしれない。

しかし、私には、人間関係を少し楽に生きるための知恵のように聞こえた。

あの人には、あの人の世界がある。

自分には、自分の世界がある。

その境界線を丁寧に引くことは、冷たさではない。

むしろ、相手と自分の両方を尊重するための、優しい技術なのだと思う。

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