【うらがみむらかみ往復書簡】12通目 | うらがみ
むらかみさんへ
こんにちは。お変わりなく過ごされていますでしょうか。
“獄暑”まではいかずとも、まだまだ暑い日も多いですね。すこし外に出やすくなりました。きっとあっという間に寒くなるんでしょう。
「うらがみさんが居心地のいい場所にいられる日がたくさんあるといいな、と思います。」の一文がとても嬉しかったです。そんなふうに言っていただけたら、なんとかやって行こう、と思うことができます。
「いきいきとしていられる場所」にあるものは、きっと、むらかみさんは光で、わたしは風なのですね。他の方にも聞いてみたら面白そうです。
自分がいきいきとしていられるか、とても大切なことだと思います。あたたかな光が活力になって動ける。活動的な状態。素敵です。光の当たる、あたたかそうな場所を見つけたら気になって飛んでいく、軽やかでエネルギーを持った蝶々のイメージが浮かびました。生き生きと動くようすは、文章から伝わるむらかみさんの印象とも近しいものを感じます。
さて、先にお伝えしますが、次の話題は長くなります。笑
「自分を表現することへの恐れ」についてのお話です。
この件で最近もやもやしていたので、何かヒントをいただけたらと、先にむらかみさんに聞いてみました。わたしが10通目で書いたのは「むらかみさんは、さまざまな表現媒体に挑戦されていますが、自分自身や自分の中にあるものを出すこと、表現すること、に対する怖さや恐れの感覚はありますか?」という文でした。
むらかみさんのお返事を読んで、改めてきちんと考えてみると、わたしの中で「表現物を出すこと」と「自分自身を出すこと」とがごちゃ混ぜになっていたことがわかりました。すみません。
どちらのことも話題にしたいので、分けて考えてみます。
「表現物を出すこと」について。出す怖さは以前より減りました。
5年程前、わたしは写真を撮ることにハマっていました(いまも好きです)。綺麗な風景など、いわゆる万人受けしそうな写真は、人に見せると良い反応をいただけることが多かったです。それに加え、面白い形の影など、自分なりに面白いな、良いな、と感じたものの撮影も好きでした。でも、それらを人に見せると微妙な反応しか返ってきませんでした。自分の”良い”を人は”良い”とは思わない、その評価を受けて、自分の”良い”を公開することが怖くなりました。きっと、自分の”良い”や”好き”をうまく信じられなかったんです。そして、ほかのことも重なって、徐々に写真への熱が冷めていきました。
そして、今から数ヶ月前のこと。その話をある友人にしたら、「なんで誰もわかってくれないからってやめるの?誰もわかってくれなくても自分が撮りたいならそれで良いじゃん、勿体無い」というようなことを言われました。この友人の言葉を受けて過去の自分を見つめたとき、たしかにそうだ、評価されるためだけに撮っていたのではないはず、と感じました。好評価をもらうために撮ったわけでも、いいねの数で勝負していたわけでもない。良いと思ったから撮ったんだ、と。
そう思えたのは、過去の自分を客観的に見られたこともそうですが、5年の間に多くの出会いや経験を積んで、以前よりも自分の”良い”や”好き”を信じていたことも大きいと思います。自分の「好きなもの」の傾向や、「なぜそうするか」「なぜそれが好きか」「なぜそれを良いと思うか」の裏付けみたいなものが、以前よりも固まっていました。
その点では、いまは前よりも強くなったのかもしれません。好きなんだからしょうがないと開き直って、わかってくれなくても良いや、と口笛を吹いているような気持ちが、以前より増えています。
ただ、むらかみさんも仰るように、「だれかを不快にしてしまうことの怖さ」にはどう向き合ったら良いものか、わかりません。もし自分の”好き”がだれかを傷つけるとわかったら、それはうまく信じられなくなると思うし、信じるべきではない場合も多々あると思います。ただ人間は無自覚に他者を傷つけるものだと思うので、「傷つけたとわかったら一旦考え直す」しかないのかな、とか。
次に「自分自身を出すこと」の話です。いま主に書いて投稿している内容は自分のことが多いのに、”わたしを見ないで”、と思う気持ちが強いです。エッセイと折り合いが悪いんじゃないか、と感じる日々です。たぶん、自分自身、自分そのものについての自信があまりありません(じゃあなぜ書くかというと「出したいものを出してすっきりしたい」のだと思います。誰かに言えなかったから書く、とか。コミュニケーションのリベンジのような)。
誰かが投稿を読んでくださることはすごく嬉しいのに、その反面、”誰も読んでない”と思ったほうが生き生きできます。批判が怖い。自分を出すことが怖い。自分のことがだれかに、手に取るように伝わってしまったら、しかもそれをジャッジされたら、自分にさえ触れられない中の中まで誰かが触ったようで、すごく怖い。そういう感覚があります。
だから「届く怖さ」とも言えますが、根底では、むらかみさんの「誰にも届かないことの怖さ」とも繋がっていると思います。「自分のことを、誰もわかってくれなかったら」と怖いんです。
いま、その点において、”書いたものを出す”に怖さが伴っています。
だから、書くものを、いまよりも自分自身と切り離すことができたら、”書いたものを出す”が怖くなくなる気がしています。
その一歩として、先日、はじめて小説っぽいものを書けました(謙遜ではなく、あえて”っぽい”と言います)。「作る」ことの難しさを知りました。細部まで作りあげる前に燃料切れしました。ここで細部までこだわる人が良い文章を書くんだろうな、と思いながら。ただ、自分が作りたいもの、作りたい空間、の姿がすこし見えたので、ゆっくりとでも、山を乗り越えたいと思います。一歩一歩できたら嬉しいです。
きっと、「わたし」ではなく「わたしの文章」を見てもらえるものを書けたら良いけれど、書く準備が整っていない、のだと思います。
とはいえ、もし「わたしの文章」をコテンパンにされたらどう思うか、どこまで耐えられるのかは、まだ経験がないから正直わかりません。けれど、自分がきちんと信じられるくらいのものを、作りたいです。それが最近の目標かもしれません。
前の投稿を読んでくださって、ありがとうございます。反応をいただけて、しかも話を広げていただけて、すごく嬉しいです。
子供の頃に繰り返し見た夢って、記憶に残りますよね。それにしても、本当に怖い夢です。目覚めても怖さを引きずってしまうことまで容易に想像できます。
「わたしは誰」の感覚が死と結びついていたこと、興味深いです。生まれる前のことと、死んだあとのことはわからない。わからないもの、見えないもの、ずっと知ることができないこと。そういう、同じ領域の仲間でしょうか。想像力で補おうにも、知らないし、きっとこの世に実体や明確な答えはない。”知らない”は恐怖に繋がることも多いですよね。そして、小さい頃の恐怖は、いまよりずっと底なしだった気がします。
香川のうどん、本当に食べたいです。早く行きたいです!
東日本のおすすめは、まずはむらかみさんが気になっている北関東周辺で挙げると、群馬の草津温泉や伊香保温泉、長野ですが軽井沢、栃木の宇都宮の餃子、日光が浮かびます。定番観光地、ちょっとしたお出かけスポットです。どこもとっても良いところでした。
東北はあんまり行ったことないけれど、仙台は、牛タンやずんだもちが美味しいし、見所も多くて楽しかった記憶があります。
宮城県内では、松島も印象に残っています。海に点在する小さい島々を、遊覧船に乗って見ることができます。わたしが船に乗った日は曇りでしたが、もやのかかる景色も綺麗でした。その日は周辺に泊まり、晴れ渡った翌朝に見た、島々の点在する海の美しさは忘れられません。帰る時だったので遊覧船に乗り直すことはできず、残念でした。今度は晴れた日に船に乗りたいなと思っています。また行きたい場所のひとつです。
旅って、意外と気軽に行けるかもしれないのに、本当に、意気込むあまり行けませんよね。金銭的・時間的問題もあるけれど、もっといろいろ行けたらと思うところです。和歌山の海も素敵ですね!
小川洋子さんの「ことり」、面白そうです。準備をするのに、どこにも行かない、というのがなぜなのか、とっても気になります。今度読もうと思います。教えてくださってありがとうございます。
エディット横濱、素敵なホテルですね。選書サービスもあるとは、気になります。以前旅先でブックホテルに泊まったことがありますが、旅行の疲れでほとんど読めず、、。本を読むためだけにホテルに行く、なんていう使い方も贅沢で楽しそうです。
東京って、新宿以外にも、大手町や日本橋の丸善とか、池袋のジュンク堂とか、何階にも分かれた大きい本屋さんがたくさんあって、びっくりしました。階ごとにジャンルで分かれていて、なんでもある感じがして、わくわくしますよね。
友人との再会で印象に残っていることは、”遠くから来た友人”の話にします!会うのが久々だったので、お互い相手に渡したいもの(お土産など)を持参していて、「渡したいものがあるんだけど…」「わたしも実はあるんだけど…」なんて言い合って、ほっこりしました。それと、彼女は大学時代の友人で、”一緒に観劇して感想を話して帰る”が当時の定番パターンでして、今回それをまたできたことが嬉しかったです。
別れ際にまた会おうねと約束して、次の予定はなにも決まってないけれど、楽しみです。おすすめの本を紹介しあうとかして、すっごく良い時間でした。
最後に近況です。最近、長めの小説をちまちま読んでいます。けれど、他の興味があること、探求したいこと、の本も読みたくなっています。
一気にのめり込んで読む小説(村上春樹などはそうなります)と、ある程度距離を置いて淡々と読める小説(時系列が行ったり来たりする長編なんかはそうなりがちです)、がありますが、いま読んでいるものは後者です。だから、たとえば、昼間には興味あることや探求したいことの本、寝る前には小説をちまちま、とかって同時進行で読めたら良いな、と思っています。
むらかみさんは、一気読み派ですか?同時進行派ですか?その他、心地よい読書スタイルやこだわりはありますか?
小説は、時間をかけて読めば読むほど、土地や人物が自分の中で形作られて、登場人物の息遣いを感じられる気がするから、急ぎたくないなって思ってるんです。
次々と読みたい本が見つかるし、友達からおすすめしてもらったり、読み返したい本も山のようにあったり、パンクしそうだけれど、そんな状態がとっても幸せです。想像する自分の未来はいつも不安で曇っているけれど、読みたい本のことを思うとき、読むのにかかる時間の分だけ希望で彩られて、ひかって見えるんです。
何もかも、まだまだ自分のことで精一杯。だけどなんとか生きて、自分の近くくらい、ほんのり明るくできたらいいのにな。と思います。
過去最長かもしれません!
うらがみ
