遠野はなぜ日本で最も伝承の残る地になったのか ― 日本異界地図#25
本記事は「日本異界地図」の一編です。
私は日本各地に点在する「異界」を歩いています。
伝説の残る山、奇妙な村、信仰の跡、忘れられた町。
日常のすぐ隣にある異界を訪ね、その物語を記録しています。
遠野へ
私は岩手県遠野市に向かった。
遠野は、岩手県の内陸と三陸海岸の間にある盆地である。
遠野では、河童が馬を川へ引き込み、天狗が山で人に道を教えるという。山女は岩の上で髪を梳く。死んだはずの者が、いつもの戸口から帰ってくる。いまなら妖怪と呼ばれるものが、遠野では村民たちと共存していたようだ。遠野にはこのような伝承が多数ある。
明治の終わり、柳田國男が遠野の伝承に目を留めた。
柳田は後に日本の民俗学を築いた。民俗学は、習慣や信仰から人々の暮らしを考える学問である。柳田は遠野に伝わる伝承を百あまりの短文へまとめ、『遠野物語』と名付けた。
今から100年以上前に出版されたとはいえ、当時は近代化しつつある日本である。汽車が走り、電灯が夜の街を照らし、電話も存在し、X線撮影もあった。そのような時代の中で、河童や天狗、その他妖怪の類がたくさんいる地域が存在することは、柳田國男にとっても信じられないことであった。
そして、遠野物語に、柳田國男はこう記した。
願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。
平地人とは現代で言う都会人である。近代化に染まり、妖怪の類のことなど忘れてしまった人々に、遠野の話をして震え上がらせてほしい。柳田はそう願った。
私もその平地人の一人である。私はアウトドアリュックに遠野物語を詰め込み、遠野への現地調査を始めた。

遠野物語前夜
明治の終わり、東京にある柳田國男の家で、二人の男が向かい合った。
一人は、遠野から上京した佐々木喜善である。祖母や村の老人から、河童や天狗の話を聞いて育った。

もう一人の柳田は、農村政策を扱う官僚だった。この時点で民俗学に関心はあったものの、肩書は官僚である。

喜善は、遠野に伝わる伝承の類を柳田に伝えた。喜善の話は極めてリアリティのあるものであった。どこの家で河童が出たのか。遠野の何村の誰が山女を見たのか。どの家に死者が戻ったのか。それらの話は遠野の住所や家と結びついていたし、証人には当時まだ生きているものもいた。
喜善は何度も柳田の家を訪れ、柳田はその話を書き留めた。原稿がほぼできた後で、柳田は初めて遠野を訪れている。柳田は土地を見る前に、喜善の声から遠野を知ったのである。
二人がこれらの伝承をまとめ上げ、文章として記録に残した。柳田が文章にしつつ、喜善も草稿と校正を行った。
こうして『遠野物語』が完成した。
柳田は、この小さな本を自費で世に出した。やがて遠野物語は民俗学の代表作となった。
遠野のカッパ伝説
私は遠野に降り立った。まず、カッパ伝説を調べることにした。

遠野にはカッパ伝説が多数残る。その伝説の残る場所の一つに、カッパ淵がある。
一般的にイメージされるカッパは、どこか愛嬌がある。しかし遠野物語のカッパはそのようなキャラクターではない。水掻きがある赤子をそう呼んだり、全身が真っ赤で口が大きい醜い子をカッパと呼んだりした。その影響で遠野のカッパは赤い。

遠野のカッパは妖怪というより、ほとんど人間であり、醜い赤子に近い。さらには、「間引き」の対象となった子が、まるでその免罪符であるかのようにカッパだったとされるケースがあるように見受けられる。
遠野物語では、醜い赤子を棄てようとした話や、あるいはカッパと人との間にできた子を切り刻んで処分したという話がある。
カッパの正体は何か。飢饉の口減らしで流された赤子がカッパになったという説がある。水死した子や棄てられた子が、カッパ伝説の始まりと見る説である。頭の皿は水死体の頭髪が抜けた様子、カエルのような姿形は水死体が膨張した様子、などという都市伝説的言い伝えも根強く存在する。

遠野は過去何度も凶作と飢饉に見舞われている。また、遠野には貧しさゆえに年寄りを村の外へ移したというデンデラ野の伝説、すなわち姥捨山伝説がある。飢饉や姥捨山伝説は「カッパ=捨て子説」を補強する材料のように見える。
私は、子を棄てた親の側を想像した。親も翌朝には畑へ立たねばならない。胸の内で、こう言い聞かせて自分を納得させたのかもしれない。
「あれは河童の子だった。川へ返したのだ。」
赤い顔の山の神
遠野に、続石という巨岩がある。ここも遠野物語の舞台である。
その昔、鳥御膳というあだ名の男が、続石付近で赤い顔をした男女に出会った。鳥御膳が女をからかったところ、男に激怒され蹴り飛ばされた。鳥御膳は意識を失ったが、仲間に発見された。しかしその3日後に亡くなった。事情を知らない家族が山伏に相談すると、「山の神が遊んでいるところを邪魔したので、そのたたりを受けたのでしょう」と答えた。
という話である(遠野物語91話)。

この物語に出てくる赤い顔をした男女の山の神は、天狗を指していると思われる。遠野物語の他の話でも天狗は赤い顔をしているとされる。遠野には天狗伝説がいくつかあり、天狗が出るという天狗森もある。
この地に天狗伝説が多数あることは、何か元となったきっかけがあると私は考えている。遠野の天狗伝説は、妖怪や神の類というよりも「顔が赤く、山にいる人間」として描かれているからである。
私は、この顔が赤い人というのは、おそらく白人を指しているのではないかと思う。白人は赤みがかった顔に見えることもあるからだ。

遠野に白人。私は最初、キリスト教の宣教師ではないかと考えた。最も古い教会堂は遠遠野物語が刊行された2年後に設立されているが、それ以前にもキリスト教組織自体は存在していた。実際、佐々木喜善はキリスト教徒であった。しかし、宣教師ならなるべく現地の人と交流をするはずであり「よくわからない山の神」として扱われるとは考えにくい。
私は改めて遠野物語を読んだ。天狗森で赤い顔の大男を見た出来事は、遠野物語刊行から20〜30年前と書いてあり、これは1880〜1890年頃である。別の話でも当時35〜36歳の女性が12歳ごろに山の神に会ったいう話がある(遠野物語102話)。これは1886〜1889年頃に相当する。
この年代は、遠野にもまたがる鉱山、釜石鉱山に西洋人技術者が入った時期と重なる。1870年代には鉱山技師ベンジャミン・スミス・ライマンが現地調査を行い、続いて他の西洋人技術者たちが鉱山に勤務した。

また、遠野に続く峠である仙人峠付近では、外国人技術者による鉄道測量も行われている。
一方で、遠野は西洋人技術者が来る前から山の神や天狗にまつわる伝説があった。よって西洋人技術者そのものが天狗の元となったわけではなく、当時珍しい白人を見た人が、天狗伝説の物語に重ねて解釈したのではないか、と思う。
整理するとこのようになる。
遠野にはもともと山の神や天狗、山男といった「通常の人間と異なる存在」の観念があった。
明治初期、ドイツ人やアメリカ人などの技師・測量者・探鉱者が遠野の山岳地帯に入った。
遠野の村民が山中で西洋人と遭遇する。言葉が通じず、大柄で顔が赤い西洋人を、村民は既存の山の神や天狗といった枠組みで解釈した。
「大男に追い払われた」が「天狗に追い払われた」となり、「青や灰色の目」が「目が光った」という物語になり、遠野物語に載るに至った。
という流れである。つまり、もともと存在していた天狗伝説に、西洋人技術者がきっかけとなって物語が肉付けされてリアリティのある伝承になったのではないか。
遠野を遠野たらしめた地形
なぜ遠野地方にはこのような伝承が多数残っているのだろうか。
伝承一つ一つよりも、私は「遠野が遠野になった理由」が気になった。都市部から離れた山沿いの田舎、というだけでは根拠としては弱い。そもそも日本の6割以上は森林地帯であるし、日本の都市部は全体から見ればごくごく一部である。
では遠野が遠野になった理由とは何か。その答えの一つは、遠野の地理的条件が関係しているように思う。
遠野は内陸の平野と太平洋との間にある。その間は深い森と山があり、その中に遠野の平野がある。ある意味では遠野は島のような構造を持っていると思う。
島は独自の文化が残りやすい。日本でも小笠原諸島や奄美諸島などでは、本土では見られない珍しい文化が今も残る。

中央の青いピン部分が遠野
遠野が遠野になった理由はもう一つある。それは、古来、内陸の平野と海の間にある交通の要所的な場所であったことだ。
岩手の遠野付近では、海と平野の間で大きな集落は遠野しか存在しない。そのためアクセスの悪い場所でありながらも人は多数訪れたようだ。市場が開く日は「馬千匹人千人」と呼ばれるほどの大きな賑わいだったようである。

遠野は、独自の文化が残りやすい島のような場所であり、一方で交通の要所として他地域の文化が入り込んできた。
私はこの遠野に、かの聖地エルサレムを重ねた。イスラエルの都市エルサレムもまた山や谷に囲まれた地形である。一方で地中海沿岸の都市として、また中東やアフリカを繋ぐ都市として交通の要所でもあった。そして聖書の舞台でもあり、ユダヤ教やキリスト教が発展した土地である。
島、交通の要所。それは遠野が遠野になった理由であるように思う。
遠野物語と、100年後の遠野
私は一週間あまり遠野に滞在した。朝になると『遠野物語』をリュックへ入れ、本に記された場所を行ける限り歩いた。
河童が現れた淵がある。山の神が遊んだ岩がある。神隠しに遭った娘の家があり、物語を東京へ運んだ喜善の墓もある。
小さな盆地の中にこれほど多くの物語が残っている。そのうえ、物語には今も住所がある。私は一つ見つけるたびに、本の中へ入り込んだような気持ちになった。
喜善の声を通じて柳田國男を魅了した舞台が、確かにここにあった。
それから約百余年。天狗がいた山の山頂では、風力発電所の巨大な風車が町を見下ろす。
私はその景色を見て少しだけ寂しくなったが、すぐに思い返した。これが遠野なのだ。遠野物語はこの地の歴史のスナップショットであり、一つの側面でしかない。部外者である私は遠野の地と遠野物語を強く結びつけていたが、それは身勝手な期待と解釈である。
カッパや天狗に思いを馳せ、身体の中に遠野の雰囲気が染み込み始めたころ、私は滞在を終えて東京へ帰った。遠野を離れる時、山の稜線で白い羽根がゆっくり回っていた。

