MIT 衝撃の講義:政治学
今年、MIT(マサチューセッツ工科大学)スローン校のグローバルプログラム IDEAs Asia-Pacificに、アジア太平洋地域から選ばれた45名のフェローの一人として、参加しています。
5年前、私は学校教育の現場を去るという決断をしました。自分の生き方と、当時の教育現場のあり方がどうしても噛み合わなかったからです。現在、教育事業の後方支援などお手伝いさせていただいていますが、どこか整理のつかない部分がずっと残っていました。MITで受けたこの講義が、まさか、私の Deep Experience を導くとは。今回はその講義の内容の紹介です。
私の具体的な Deep Experience については、別途記す予定です
スピーカー:J. Phillip Thompson
MIT建築・計画学部 都市研究・都市計画学科 教授
2018年から2021年までニューヨーク市の特別政策担当副市長
就学前教育の全市展開、マイノリティ・女性所有企業支援、労働力開発など、市長直轄の重要施策を横断的に統括
※講義内容そのものの詳細な引用・転載はできませんので、私が受け取った内容の要約として記載します。
Current Political Situation in the United States
J. Phillip Thompson
アメリカの現在の政治状況
アメリカの経済的現実
1980年以降、大卒以外の学歴を持つ労働者の実質所得は46年間増加しておらず、黒人労働者に限れば減少している。同じ期間にCEOの報酬は労働者平均の30倍から285倍に急増した。特に印象に残ったのは、平均的なアメリカの家庭が抱える負債額が、年収の約2倍に達しているという指摘です。しかもその負債にかかる利息—クレジットカードで年利28〜30%にも及ぶ—こそが、金融セクターの急拡大(経済に占める割合が7%から42〜43%へ)を支え、富裕層の収入源の一つになっている。つまり労働者の困窮そのものが、富裕層の資産形成の仕組みに組み込まれているという構造です。上位1%が下位90%と同額の資産を保有するに至った背景には、この仕組みがある。
富裕層の政治的戦略
これを、富裕層はどう政治的に利用してきたか。教授はまず、移民を「敵」として描く戦略を挙げました。トランプ大統領の「ハイチ移民がペットを食べる」といった発言に象徴されるように、感情に訴える形で移民への敵意を煽る一方で、民主党側は「あなたのクレジットカードに高い利息を課しているのは移民ではなく、一部の富裕層だ」という対抗の論理を提示してきた—この対立構造の説明は、右派・左派それぞれの怒りの矛先がどう作られているかを理解する上で非常に明快でした。
もう一つの戦略として詳しく語られたのが、最高裁への政治介入です。共和党政権のたびに終身職の連邦判事に保守的な人物を任命し続けた結果、最高裁はすでに保守超多数派となっている。そして本年、1965年の選挙権法が最高裁によって無効とされたことにより、南部の州議会がアフリカ系アメリカ人の選挙区を再編し、議会における黒人代表の半数近くが失われると予想されているという、極めて具体的な現在進行形の事例が示されました。
アメリカの歴史的背景
「人種統合」が実現したとされる後も、実際には有色人種の選挙権が様々な形で制限され続けてきた実態が語られました。黒人大学(HBCU)周辺から投票所が意図的に撤去され、学生が投票のために10〜30マイルも移動しなければならない状況や、Proud Boysのような武装した自警団が投票所に現れ、有権者を威嚇していた実例も紹介されました。
さらに、ICE(移民・関税執行局)についての言及も強く印象に残りました。移民取締りを名目としながら実際には誰もが標的になりうること、米海兵隊を上回る予算を得て全国に収容施設を建設していること、大学在学中なら借金を免除するという条件で若者を積極的に採用し、議会への説明責任を負わない組織として拡大している実態—これらは、単なる制度の話ではなく、現在進行形の脅威として語られていました。
人口動態の変化と新しい政治勢力
移民や人種間結婚により、アメリカはまもなく非白人が多数を占める国になろうとしている。都市部の若い白人層の80%がオバマ元大統領に二度投票するなど、多様性を積極的に支持する新しい世代が生まれており、教授はこれを「アメリカの新しい民族集団」と表現していました。
この世代的な変化と重なるように、都市部で誕生している新しいリーダーたちの顔ぶれが、具体的な名前とともに紹介されました。ニューヨーク市長のZohran Mamdaniはムスリムの社会主義者であり、10万4000人のボランティアが400万戸を戸別訪問するという圧倒的な草の根運動でウォール街の資金を持つ対立候補を破った。ロサンゼルス市長のKaren Bassは、かつて22年間キューバとの連帯運動を率いた活動家。シカゴ市長は元社会科教師でマルクス・レーニン主義者を自認する人物です。こうした具体的な出自を持つリーダーたちの台頭は、単なる個別の政治現象ではなく、既存の権力構造を揺るがす大きな潜在力を持っていると教授は位置づけていました。
「平等」と「経済」を対立させる言説への批判
政治学が扱う「価値観」(民主主義・平等・自由といった社会的・道徳的な問い)と、経済学が扱う「価値」(価格・生産性・利益)が、アメリカではまったく別のものとして語られてきたと指摘しました。奴隷制度が何百年もアメリカ経済を規定してきた事実を踏まえれば、文化と経済を切り離して考えること自体が不合理だという論理展開です。
これに関連して、「社会主義は経済を破壊する」という反社会主義的な言説がアメリカでどのように繰り返し語られてきたかも詳しく説明されました。経済をより平等に、より公平にしようとする試みはすべて「ただの社会主義者だ」「ソ連やキューバのようになる」と一蹴されてしまう。そしてこの言説の裏には、学者たちが大胆な異端のアイデアを避け、10人程度しか読まない論文を書くことに終始し、市民社会への責任を果たしていないという、アカデミアそのものへの批判もありました。
そして、この章で最も心に残ったのが、次の言葉です。
「全員でなくてもいい、過半数でいい。人々が平等を望むようになるにはどうするか、多様性を望むようになるにはどうするか、包摂を望むようになるにはどうするか—それを考えなければならないのです。どうすればそれができるのか。」
強制によってではなく、人々が自らそれを望むようにする。この一言に、教授の思想の核心が凝縮されているように感じました。
変革のための提言
新技術についての提言の中で、AIに関してこう述べました。
「人間同士がどんな意図を持って向き合うか——これより重要なことはありません。だからこそ、技術は何のためにあるのかという問いを社会全体で問い直し、本当に重要なことを前面に出していく必要があります。」
AIを「核兵器より危険な技術」と位置づけながらも、技術そのものを恐れるのではなく、それを使う人間の意図こそが問われるべきだという視点は、テクノロジーの議論が技術論に閉じがちな中で、非常に本質的なものだと感じました。
経済の民主化については、スペイン・バスク地方のモンドラゴン協同組合の話が具体的に語られました。約100社の労働者所有企業からなるこのネットワークでは、企業への投資判断が利益率だけで決まるわけではありません。「高校中退者や薬物依存者を雇用し、更生させている企業こそが、私たちのコミュニティにとって最も価値がある」——利益率が損益分岐点ギリギリであっても、その企業を最も価値ある存在として評価するという価値基準そのものが、経済的な意思決定を市民自身が下すとはどういうことかを、具体的に示す実例でした。
質疑応答
各国のフェローから寄せられた質問も、内容の濃いものばかりでした。フィリピンからはAI規制の国際的な脆弱性について、日本からは外国人排斥への社会変革のレバレッジポイントについて、シンガポールからは小国が存在感を保つ方法について、中国からは製造業の個別化トレンドへの対応について——それぞれに教授は具体的なエピソードを交えて答えていました。
特に印象に残ったのが、教授がニューヨーク市の副市長時代に経験した、市民組織化の具体的な方法についての話です。
行政に影響力を持つ方法として一般的なのは「説得力のある政策提案書を書き、上司にプレゼンする機会を得ること」ですが、教授はそのやり方を明確に退けます。彼が実際にとった方法は、ハーレムの有名な劇場を借り切り、地域の黒人経営者たちに「市との関係に満足しているか、ただ話を聞かせてほしい」という手紙を送るというものでした。
会場の座席数をはるかに超える人々が詰めかけ、その反響を知った市長自身が「次は自分も登壇したい」と申し出るまでになった。そして教授は最終的に、市の一定額以上の契約について、マイノリティや女性所有ビジネスへの配慮が不十分だと判断すれば単独で差し止められる権限を得ることになったのです。
「説得力のあるメモを書いたから得た力ではない。市民を組織化し、行政のトップ自身がその場に来たいと思うような場を作り出したから得た力だ」——政治家がリードしないのなら、私たちの仕事は市民社会を組織化し、行政が応答せざるを得ない状況を作ることだ、という結びの言葉に、実務家としての重みを感じました。
この講義は、MIT Sloan School of Managementの最高水準の授業の一つとして提供されたものでした。
政治・経済・人々の感情やエネルギーを横断的かつ明確な論理構成な語られているのを人生ではじめて聞きました。
歴史・経済データ・政治構造・そして人々の感情という、バラバラになりがちな要素が、一つの明快なストーリーとして統合されていました。
そして何より、思想に一本筋が通っていることが伝わってきました。どんな質問が来ても、その場しのぎの答えではなく、ご自身の経験と信念に裏打ちされた回答が返ってくる。それは、理論だけを研究してきた人にはなかなか出せない説得力だと思います。
聞いていて勇気づけられました。世界の課題は大きく、時に絶望的にすら見えますが、それでも「変えられる」という確信を持って語られる姿勢に、深く考えさせられました。
このMIT IDEAsのプログラム自体、MITのオットー・シャーマー上級講師が同じくピーター・センゲ上級講師とともに設計したものであり、今回の一連の講義は、彼らが提唱する「U理論(Theory U)」と「学習する組織」への深い理解と共感を持つ教授陣によって行われている、特別なものです。単なる知識の伝達ではなく、社会をどう観察し、内省し、そこから未来を共創していくかという一貫した哲学のもとに、各分野の第一人者が招かれています。
今回のPhil Thompson氏の政治学の他にも、もちろん、Otto Scharmer氏のU理論、 サステナビリティ・オリエンテッド・イノベーション、Climate Adaptation and Resilience(災害適応の建築学)や、AI Ethics and Governance、Generative AI and Strategy、アントレプレナーシップ、Financeなどで構成されており、また紹介したいと思います。
MITでの一連の集中講義を受けながら、私はずっと自分の中で様々な考えを巡らせていました。そんな中で、このPhilの講義を聞いた瞬間、小さなアハ・モーメントがありました。
「何のために教育が必要なのか」という問いに対する、新しい視点に—いや、正確には、かつて自分の中にあったはずの使命に、改めて気づかされたような感覚がありました。
講義の後、私はそのことをオットーに伝えました。
近いうちに、私は教育のフロントラインに戻ることになるかもしれません。どんな形になるのかは、まだ何も決めていませんが。
