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無名人インタビュー:作曲家・ピアニスト・キーボーディストで3人の子育てをしている人

ときどき、もんのすごい生命力をもった方と出会いませんか? この人、なんでずっと動き続けられるんだろーって。で、まあそういうバイタル超人の印象を持っていたのが今回の望月ヒカリさんです! プロミュージシャン!!
作曲、演奏のお仕事を続けながら、お子さんを3人育てるというパワフルさ。インタビューではその秘密を暴く、って感じにはならずに、自然に自然に音楽の道を進んでいったことがおうかがいできました。
なんちうか、もしかしたら、ひとつの道に進むひたむきさが内なる力の正体なのかもしれないなって。望月ヒカリさん回! お楽しみくださいませ!!

今回ご参加いただいたのは 望月ヒカリ さんです!
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1、絶対音感

qbc:望月さんは無名人っていうか、有名人に入ってしまうのかなと思うんですが。

望月:いや、全然無名人ですよ。もっと売れたいです。

qbc:有名無名の境目って、どんな感じなんでしょうかね?

望月:名前を言ったときに、あーあれの人ねーみたいになる・ならないは大きいかなって。

qbc:街で声をかけられる人になりたいですか?

望月:それは望んでないですね。どっちかっていうと、作品が有名になってくれたら良いなって。裏方気質があるので。

qbc:なるほど。

望月:歌手の方が有名で、その作曲を私がやってるんだよっていうのがもっと知られたらうれしいなって思いますね。

qbc:それでは、今、何をされている方なのでしょうか?

望月:演奏業と作家業を主にやっていまして。アーティストのライブサポートとかレコーディングサポートの演奏の仕事と、音楽を作る仕事を、二足の草鞋という感じでやってます。

qbc:ずーっとそれ一本だったのですか?

望月:基本的にはそうですね。22歳でプロデビューしたんですけど、そっから2、3年はアルバイトしながらという感じで、24、5歳ぐらいからは音楽一本になりました。

qbc:すごいなー。その前、学生のときはどんな感じだったんですか? 子どものころとか。

望月:4歳からヤマハの音楽教室に通っていました。8歳ぐらいまでは歌とか楽器とか、当時はエレクトーンとか、グループでレッスンを週一回受けるっていうのを受けていて。
でも親が勝手に入れたみたいな感じだったので、物心ついたときは嫌でしょうがなかったです。通いたくない! って。
どちらかというとレッスンを受けるよりも、自分で好きで好きな曲を弾いたりとか、自分で曲を作ったりとか、趣味でしてるほうが好きなタイプでした。

qbc:小さいころから作曲ですか!?

望月:そうですね。当時は作曲とも思ってなくてっていう感じですね。

qbc:作曲のきっかけは?

望月:伴奏を弾くってこと自体は、ヤマハで教わっていたんですよ。コードでCとかGとか、そういう簡単なのは教えてもらってたので、それを使って。
当時、学校であったこととかを歌詞にして、歌ってたような。

qbc:弾き語りですか?

望月:そう、弾き語りをして遊んでいたっていう感じですね。だから日記を書く代わりに曲を作って歌ってたみたいな感じです。それが小学生のころで。
あとは、高学年のころにきた転校生が、思えばその子との出会いが、けっこうターニングポイントだったかも。私は当時、名古屋に住んでたんですけど、千葉の柏から来た転校生の友達が、小4か小5ぐらいで、坂本龍一とテイ・トウワが好き、みたいななかなか渋い子で。
その子は、ずっとバリバリにピアノを習っていて、耳コピができたんですよ。だから、学校にあるピアノとかで、当時流行っていたような曲をバーンと弾いてたりとか。私はドラクエ好きだったんですけど、その友達もドラクエ好きで。ドラクエの曲を弾いてたりとかして。

qbc:特殊な訓練を受けた者たちのお遊びですね。

望月:わーすごーい! って。でも、本人に言わせると「聞いたらわかるじゃん」なんですよ。で、言われてみたら私にも確かに聞いたらわかるなと思って。
それで、お互いに弾いて、楽しんでたっていう感じなんですね。

qbc:耳コピって、ある程度の訓練を積めば、誰でもできる技術なんですか?

望月:小さいころから音楽をやっていると、絶対音感の子が何割かいるみたいですね。
だから私も、言われてみれば街に溢れてる音は全部ドレミで聞こえてたんですよね。その友達から聞けばわかるじゃんって言われてはじめて、あっ、なるほどってそれに気づいただけで。

qbc:あーなるほど。だから、聞こえてきたのをそのまま弾けばいいだけだって。

望月:そう、聞こえたのを弾けば良いだけ。
教室に一つ、ピアノというかエレクトーンというか、オルガンだったかな、鍵盤があって、あとは音楽室も出入りがわりと自由にできた学校だったので、そこで弾いてましたね。
そんな感じで、その子と交流を深めていきましたね。
そこで、音楽って楽しいなって感じるようになりましたね。

qbc:すてきエピソードですねー。

望月:高校時代は、私は選択授業を美術にしてたんですけど、音楽を選択していた友達から高2のころに作曲の課題が出たとかで、代わりにやってくれない? って頼まれたんですよ。
え、でもそんな、作曲自体は特に習ったこととかないけどって話したんですけど、でも歌詞はできてるからって言われて、じゃあなんか適当にメロディつけて弾いてみようってできたのが、それが初めての共作ですね。
それがすごい良い曲だって言ってもらえて、その友達から一緒に路上ライブをやろうよって誘われたんですよ。

qbc:あ、ボーカルやりたい人だった?

望月:そうです、歌がやりたい人で。ちょうど、ゆずが弾き語りで路上ライブをしていたころだったんですよ。

昔の曲はyoutubeになかったよ。

望月:そのときは横浜に住んでたんですけど。新横浜駅で路上ライブをやったりとか。

qbc:あー、あの広いところ。

望月:そうです。あそこです。

qbc:人がバァーッといるところ。

望月:はい、あそこでやってました。

2、ライブ

qbc:ヤマハの音楽教室は、いつごろまで通ってたんですか?

望月:中2までです。中学はバレーボール部だったので、そっちが忙しくなったのでいったん止めました。で、高校のときに家族がエレクトーンを習いだしたので、その流れで私も復帰しました。

qbc:あー音楽やること自体はすごく自然なんですね。

望月:そうですね。それはあると思います。環境がおっきいのかな。

qbc:高校後の進路って、どう決めたんですか?

望月:高校生のときは、音楽療法士になりたかったんです。でも当時は、音楽療法の勉強するにはアメリカに行くしかないっていう時代だったんですよ。それで、親に話したら、海外には行かせられないと断られてしまって。
じゃあ違う音楽の手段が良いなあと思って、エレクトーンで音大に行くのも楽しそうかなと思ったので、音大受験に向けたクラスに一度変えたんです。そしたら、高2の夏休みからサマースクールみたいなのに通わなきゃいけないって言われて。
でも私、部活でブラバンをやっていたんですが、ブラバンは夏はコンクールだなんだで忙しいんですよ。だからとてもじゃないけど、エレクトーンのサマースクールには行けませんって言ったら、進学は無理ですって言われて。

qbc:なるほど。

望月:じゃあ違うのにしようと思ってたら、そのエレクトーンの先生がたまたま尚美って専門学校の先生だったので、それで専門学校もあるよ、て選択肢も教えてくれて。それで、高3の夏ぐらいに体験入学に行ったんです。
そこで、私が自分で作った曲を弾き語りしたら、その先生がベースで参加してくれて、ちょっとしたライブっぽいのがいきなりはじまったんですよ。それが強烈で、私もこういう人になりたいって思ってそのまま進路を決めました。

qbc:そのときは、ライブと言えばまだ路上ライブしか経験してなかった?

望月:そうですね。

qbc:ってことは、ライブで演奏するのは楽器一つだけ?

望月:そうですね。相方はタンバリンをやってましたけど。

qbc:はあー、じゃあそのセッションがほんとに初めてだったんですね。

望月:そうですね。そこから楽しくって、高3は結局バンド活動に明け暮れました。

qbc:あーなるほど。なんか自然に人生が音楽へと流れていく感じがしますね。

望月:今思うと、子どものころは音楽の仕事に就くとは、まったく思ってなかったです。私は、絵を描くのが好きだったので。

qbc:あー。高校のころは美術の授業を選択してたんですもんね。

望月:子どものころに何になりたいって言われたら、デザイナーとか看板屋とか、ずーっとそういうふうに答えてたんですよ。
でも、とにかく親が反対してたんですよね。うちの親がいろいろと、反対をする親で。

qbc:それまたなんでだったんですか? 何かを見て影響された?

望月:影響はですね、子どものころにやっぱり、女の子なんだからスカートを履きなさいとか言われるんですけど、私はずーっとパンツ派なんですよ、もう子どものころから。
で、赤とかピンクとか、ああいう服を着なさいって言われるけど、好きな色も青とか紫だったし。なので、そういう色を着られないんだったら、自分で描いて作ってやれと思って。それでデザイナーという仕事があるのを知って、なりたいって思ったのが最初ですね。

qbc:ってことは、望月さんの性格だと、自分で洋服を作ったりしました?

望月:作りました。全然見様見真似ですけど。布買って、やってましたよ。
さすがに自分用のってなると親にバレると思ったので、リカちゃん人形用とかのやつを。ちまちまやっててもバレないと思って、それで自分の好きな服を作ってましたね。

qbc:自分で何かを作るのは、お好きなんですね。作曲もしてたし、服も作った。

望月:そうですね。それは、ずっとそうなんだと思います。

qbc:そのときに好きだったアーティストさんって、どんな人たちでした?

望月:子どものころから好きだったのは、ミスチルですね。ずーっと。
あとは、親が聞いていたのもあって、ビートルズはずっと好きでした。親が二人とも軽音楽部出身なので、アコギが弾けるんですよ。で、なんか酔っ払いだすと、ふたりでギターを弾いて何かをはじめるみたいな親でしたね。

qbc:その世代かー。そうしたら井上陽水とか、吉田拓郎とか。

望月:ですね、よく聞いたりしました。で、父は洋楽も好きだったので、サンタナとかローリングストーンズとか、そういうのも聞いてました。
自分は、親の弾き語りでそういうのを聞いて、それをカッコいいなっていうよりは、酔っ払って、またはじまったな、ぐらいの印象だったんですけど。
あとは、エレクトーンでいろんなジャンルの曲が弾けたのは、今思うと良かったかもしれないですね。フュージョンとかサントラっぽいのとか。

qbc:音楽業界は、誰でも入れる業界ってわけでもないと思うんですが、卒業後どうするかっていうのはどう考えていたんですか?

望月:音楽で食ってくことしか考えてなかったですね。
まあでも、食えないは食えないので、最初はアルバイトをしながらバンド活動をしたりとかしてたんですよ。
でも、専門学校に在学中に組んでたバンドなんですが、ボーカルの子が目をかけられてたのもあって、それをずっと続けていたのは大きかったかもしれないですね。

qbc:音楽で食べていくって、いろいろな職種があると思うんですけど。アーティストデビューを目指されてたんですか?

望月:自分はずーっとサポートミュージシャンで食っていきたいと思っていましたね。演奏業、誰かのサポートができれば、もうそれでよかったです。
学校を卒業して2年後に、今もご縁がある庄野真代さんのサポートをさせてもらうことになったんです。22、3歳ぐらいのときに、真代さんと、もう一人こちらも今もお世話になっている、HALさんという方の二人で、マニラでライブをやったんですが、そのライブにピアニストとして誘ってもらえたのが、大きな出来事でしたね。

庄野真代さん!

HALさん!

望月:バンドでデビューもしたんですけど、バンド自体はすぐ解散しちゃったので、そのライブからがほんとのフリーになったところですかね。

3、子どものこと

望月:そのマニラのライブ以降、演奏業を続けていたんですが、東日本大震災が2011年にあったときに、今回のコロナみたいな感じで、演奏業の仕事が激減したんですよ。

qbc:あーそっかそっか。そうですね、

望月:音楽でライブをやってハッピーなんていうムードじゃなくなったのもあって。
そこで仕事が激減したときに、このまま演奏業だけで食っていくのは、無理だなと思って。
そこで作家の仕事をしたいってなり、全然勝手がわからないですけど、とりあえず営業してみようと思って営業したら、ヨガDVDの音楽を作ることが決まったりして。そこで「あ、作家の仕事もあるんだ」って思いました。

qbc:作曲家じゃないと、印税がもらえないんですよね。

望月:そうなんですよ。演奏家って基本的には、労働収入が中心なので。
作家をはじめてから、印税ってすごいなと思いました。不労収入があるって良いなぁって。

qbc:なるほどー。

望月:それで、ヨガのDVDの音楽をやったあと、子どもができて、そこで活動のペースがガラッと変わり、作曲をしっかりやりはじめたのは2017年ぐらいですね。

qbc:たしかお子さん3人ですよね。子育てと音楽のお仕事の両立ってどんななんですか? ふつーにめちゃくちゃ大変そうなんですが。

望月:一人目を産んだあと、いつ復帰するのかっていうところが、最初の大きな課題でしたね。結局産後2ヶ月半で、ライブに出たんですけど。
今思うと、すごいなと思います。2ステージ出たんですよ。よくやったなぁって思います。子ども同伴で行って、楽屋で見ててもらって、ちょっと休憩があると思ったら楽屋で授乳しました(笑)

qbc:あー、休憩中に授乳?

望月:そうです。もう、子どもを産んだことによって、仕事がなくなったらどうしようというのは、ずっとありましたし。産休のときは代役をお願いしていたんですが、そのまま代役の人で行きますって言われたらどうしようとか。全然ない話じゃないと思ってたので、不安はありました。でも子どもは欲しかったし。

qbc:なるほどなるほど。

望月:当時は子どもがいない人がうらやましいなって思ったりもしました。一人目を産んだのがちょうど20代後半で、一番フットワークも軽くてミュージシャン的にも脂が乗ってきて、良い時期なんですよ。だからほんとはいろいろ行けるはずなのに、行けてない、ってジレンマはありましたね。色々強行なこともしましたけど(笑)

qbc:でもお話をうかがっていると、やりたいことをやってきている方なのかなという印象ですね。苦労はもちろんあったと思うんですけど、やりたいことを実現させられている人だと。
それでは、今後こうしていきたいなって未来をおうかがいしたいです。

望月:今後はですね、仕事はバリバリやりたいのはずっと変わらないんですけれども、自分の子どもだけじゃなくて、これからの子どもたちに何か還元できることとか、子どもが成長できるような何かをしたいです。それは仕事じゃなくてもいいんですけど。
日本の貧困率とか聞くと、すごくショッキングで。日本と思えないようなこととか、けっこういっぱいあったりとか。単純にごはんが食べられない子どもが日本にいると考えると、すごく怖いなと思ってて。
私にできるようなことがあれば、やっていきたいと思ってます。

qbc:それはもう、今すぐにでも取り組みたいという感じですか?

望月:長いスパンでっていう感じです。たとえばですけど、里親をいつかやってみたいなって思ってて。こないだ別の人にも話したんですけど、うちの子どもたちが、もうちょっと大きくなっていったときに、児童養護施設に行くような子の中で、うちに来てもいいよって言ってくれるような子がいたら、迎えてみたいと思っています。
夫には言ってないですけど、私は個人的に思ってます。やっぱり、子どものうちにいろんな人と接するのって、大事だなあと思うんですよね。人と接することで感情を豊かにできたりだとか、思ってることが言えたりだとか。児童養護施設がダメっていうわけじゃないんですけど、すこしでも、そこに行きたくないのに行かざるを得ない子たちを減らしたい。

qbc:どうしても制約がでちゃいますからね。

望月:あとは、小学校でワークショップをやるとか、中学校で芸術鑑賞とか、そういうのもやれたらいいなって思ってますね。
先ほどお話した庄野真代さんが国境なき楽団っていうNPOの団体を作られていたんですけど、その中に、日本で使わなくなった楽器を世界の子どもに届けようっていうプロジェクトがあったんです。鍵盤ハーモニカとかリコーダーとか、そういった楽器を現地の子どもにプレゼントする活動。

国境なき楽団!

望月:当時、ライブ真代さんについていってマニラの子どもたちを見たとき、すごいショックだったんですよね。外国にもあんまり行ったことがなかったから、はじめて世界の現状を知ったんですよ。
子どものうちにやりたいと思うことがあったとしても、それを叶えられない子っていうのがいるんだって。いつか自分がもうちょっと大人になって経済力もついたときに、私もそれを手伝うことがしたいって思ったんですよね。それがずーっと頭の中にあった、っていう感じです。

qbc:なるほどねー。もう昔からなんですね、その気持ちが。

望月:あとは、障がい者の人と音楽を楽しむみたいな機会がありまして、そのときに音楽が持つ力っていうのがすごいなって思ったんです。
脳性麻痺の子が、ウインドチャイムの音を聞いたり鳴らしたりしていくうちに、手が動くようになったりするんですよ。その様子を見て、医学とか科学じゃない部分で、そういう音楽の力ってすごいなと思って。そのあたりは仕事と別で、ライフワークとしてやっていけたらいいなとは思うんですよね。

qbc:はい。

望月:私は、音楽療法士になりたかったけど、それが仕事じゃなくても、こういった趣味というか、別のところでやれるのであれば、音楽療法士にはならなくてもいいのかなって。

qbc:音楽って、癒し効果というか、人の心を開く力が確実にあるじゃないですか。
苦しい状態にある人の心を救うというか、ポジティブに変換する力をもっと利用できればなって思ってます。

望月:まあ、仕事としてはバリバリ稼ぐとか、そういう夢ももちろんありますけどね(笑)

qbc:最後に、言い残したことがあればおうかがいします。

望月:私の人生ってけっこうつながってたんだなあって発見があって良かったです。
仲の良い作詞家がいるんですけど、その人が、人生には真ん中に太い棒が一本通ってて、周りを螺旋でまわるようにいろいろと出来事が起こっていくって言ってたんですよ。それでも、その芯がしっかりしていれば、やりたいこともしっかり実現させられるよ、大丈夫だよって言ってくれたことがあって。何かあるとそれを思い出すんですけど、今回もそれを思いだしました。

qbc:ありがとうございます!

望月:ありがとうございました。

あとがき

話の流れでカットしてしまったところなんですが、望月さんのご主人も自営業なんですよね。比較的時間が自由になる、ってところも3人の子育てを実行可能にしている大事な要素のひとつですわな。
いかがでしたでしょうか?
私自身は、音楽の持つ癒す力についてお話おうかがいできたのがうれしかったです。
音楽療法がもっと広がってくれたらいいのになって思ってます。私のやっている「話を聞く」ということもそうなんです、が、ただ音に耳をかたむける、というだけでも疲れが取れたり、悩みがうすれたりする。
自分ってものへの集中がなくなった時に人間はほんらいの力をよみがえらせるのだ。
これでいいのだ。あばばばば。

編集協力:有島緋ナさん 白原すみさん

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